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江戸全170城 最期の運命 幕末・維新の動乱で消えた城、残った城
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歴史
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長岡城攻防戦から逃げた殿様一家──新潟、山形

『江戸全170城 最期の運命 幕末・維新の動乱で消えた城、残った城』
[著]八幡和郎 [発行]イースト・プレス


読了目安時間:16分
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136──(えち)()国 (なが)(おか) 牧野家 新潟県長岡市 七・四万石



 明治になって鉄道交通の拠点となり、さらにここを地盤とした田中(かく)(えい)の腕力による経済的成功で県下第二の都市となった長岡だが、江戸時代には高田と新発田に次ぐ第三の城下町だった。信濃川中流の渡し場にある細長い丘陵地帯であることにちなむ命名だ。


 築城したのは新潟の恩人としても知られる堀(なお)(より)で、一六一六年に()(おう)(どう)城(長岡市)に代わる居城とした。一六一八年に堀氏は(むら)(かみ)に移り、そののち幕末まで牧野氏がこの地を治めた。


 戊辰戦争のときの長岡城攻防戦はこうである。越後にやってきた官軍の軍監で土佐出身の岩村精一郎に長岡藩家老の河井継之助が「官軍側で戦うとか献金については藩内の意見集約に時間がかかる。一方、自分には会津などを説得する自信があるので待ってくれ」といったが、追い返されて攻撃を受けたため、長岡城では持ちこたえられずに逃げ出した。しかし、河井は藩主一家を会津に逃がしたうえで、奇襲攻撃で城を奪い返して善戦したが、最後は再落城して、河井は逃亡中にケガが悪化して死んだという話だ。


 たしかに圧倒的な官軍を相手にいったんは城を奪い返すというのは、ある意味で痛快な武勇談ではあるが、内戦時に武装したまま局外中立でいたいなど虫がいいだけだし、明治維新の論理は、軍閥割拠では諸外国に対抗できないから朝廷のもとでひとつになって国難にあたろうということなのだから、トンチンカンもいいところだ。


 また会津を説得するといっても、裏づけはまったくなかった。もともと河井は幕府のためなら長岡藩はなんでもすべきだという立場ではなく、「東北辺境の一小藩主重責に堪えず」といって殿様の牧野(ただ)(ゆき)に老中を辞めさせたくらいだから、忠義を通すのが目的でもない。つまるところ、最新式の武器など集めて軍略家としての自分の腕を見せたかっただけで、多くの藩士の命を落とさせ、長岡の地を戦火にさらしただけではないのかと思う。

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