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昭和プロレス正史 上巻
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はじめに

『昭和プロレス正史 上巻』
[著]斎藤文彦 [発行]イースト・プレス


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 本書のテーマは、昭和のプロレス史の分析と解体である。力道山を客観視し、ジャイアント馬場とアントニオ猪木を客観視すること。力道山というプロレスラーと“力道山現象”、力道山の後継者である馬場と猪木が歩んだ道をさまざまな視点から検証し、昭和のプロレス史を相対化すること。昭和のプロレス史を相対化することで、平成のプロレス、そしてプロレスというジャンルの未来を予想・予測してみようという試みである。


 日本のプロレス史、とくに昭和のプロレス史は力道山、馬場、猪木という3人の偉大なるスーパースターによってつくられた。歴史を書くのは歴史家である。歴史的な事件の数かずをじっさいに現場で取材し、記事や本を書き、文献・資料を次の世代に残すという作業だ。日本のプロレス史、とくに昭和のプロレス史のほとんどは()()(はま)弘さん、鈴木庄一さん、櫻井康雄さんという3人の偉大なプロレス・ライター──プロレス・マスコミのパイオニア──によって記された。


 昭和のプロレス史の主人公が力道山であり、馬場、猪木であることはいうまでもないが、その力道山、馬場、猪木の物語をリアルタイムで活字にしてきたのは基本的に田鶴浜さん、庄一さん、櫻井さんの3人である。プロレスラーとマスコミは、アナログ・レコードでいえばA面とB面の関係、あるいはコインの表と裏の関係と考えればわかりやすいかもしれない。本書──活字プロレス史──の主人公は田鶴浜さんと庄一さんと櫻井さんである。


 日本はこれまでずっと“プロレス先進国”といわれてきた。この国を“プロレス先進国”にしてきたのは、プロレス・マスコミという日本にしかない特別なメディア──あるいはコミュニティー──の存在だった。日本プロレス史の本格的な幕開けとなった力道山&木村政彦対シャープ兄弟の“国際大試合”、力道山対木村の“昭和巌流島の決闘”がおこなわれたのは、いまから62年まえの1954年(昭和29年)。この年をプロレス・マスコミ元年とすると、活字プロレスの歴史もそれと同じ長さということになる。


 田鶴浜さん、庄一さん、櫻井さんはそれぞれちょっとずつ世代の異なるマスコミ人だった。田鶴浜さんは“戦後のヒーロー”力道山が出現する以前から新聞、雑誌でプロレスに関する記事を書いていたただひとりのプロレス・ライター。庄一さんは1951年(昭和26年)のボビー・ブランズ一行の慈善興行にかかわったことでプロレス記者となった。田鶴浜さんと庄一さんは力道山よりも年上で、力道山ときわめて近い関係にあった。田鶴浜さん、庄一さんよりも若い櫻井さんも新人記者時代に約3年間、力道山とじかに接した。3人に共通していることは、力道山時代から馬場・猪木時代を通じて、ものすごい量の活字プロレスを後世に残したことである。


 田鶴浜弘さんは1905年(明治38年)、宮崎県生まれ。早稲田大学卒。旧『報知新聞』記者、日本初のプロレス専門誌『月刊ファイト』の主宰をはじめ、1920年代から80年代まで50年以上にわたりスポーツ記者、評論家として活躍。日本ボディビル協会副会長、日本プロスポーツ会議専務理事、日本スポーツ評論家協会常任理事もつとめた。


 鈴木庄一さんは1923年(大正12年)、静岡県生まれ。法政大学ボクシング部主将から日刊スポーツ新聞社に入社し、同社運動部長、編集委員を経て、後年は『週刊プロレス』(ベースボール・マガジン社)編集顧問。法政大学講師、関東アマチュアボクシング連盟理事、国際空手道連盟極真会館理事、日本プロレス評議員、全日本キックボクシング諮問委員、日本格闘技連盟相談役を歴任した。本名のほかに“野目利二”“木仁好”というペンネームも使用した。野目利二はレオ・ノメリーニのノメリーニで、木仁好はジン・キニスキーのキニスキーであることはいうまでもない。


 3人のなかではいちばん若い櫻井康雄さんは1936年(昭和11年)、東京都生まれ。法政大学法学部卒。61(昭和36年)、東京スポーツ新聞社入社。運動部でプロ野球、相撲、武道、プロレスを担当し、その後、第二運動部部長を経て同社取締役編集局長。30年以上にわたり東スポ紙上で膨大な量の記事を執筆したほか、本名と“原康史”のペンネームでプロレス関連の著書を多数、出版している。本書ではその大著『劇録 力道山』全5巻と『劇録 馬場と猪木』全13(いずれも東京スポーツ新聞社)を参考文献として取り扱った。


 明治生まれの田鶴浜さんと大正生まれの庄一さんは故人。昭和生まれの櫻井さんもすでに東スポを定年退職したが、現在も執筆活動をつづけている。第二次世界大戦が終結したとき、田鶴浜さんは40歳、庄一さんは22歳、櫻井さんはまだ9歳の少年。1951年(昭和26年)にボビー・ブランズ一行が来日した時点では田鶴浜さんが46歳、庄一さんが28歳、櫻井さんは15歳で、63(昭和38年)12月に力道山が死去したときは田鶴浜さんが58歳、庄一さんが40歳、櫻井さんは27歳の若手記者だった。


 3人とも活字メディアだけでなくテレビ・メディア(とテレビ番組づくりの現場)とも関係が深く、田鶴浜さんは54(昭和29年)2月、力道山&木村政彦対シャープ兄弟の日本初の“プロレス国際試合”のテレビ中継──街頭テレビ──の解説者をつとめ、その後、日本プロレスと全日本プロレスの中継番組(いずれも日本テレビ)のコメンテーターをつとめた。庄一さんも昭和30年代から昭和50年代にかけて民放テレビ局5社でプロレス中継、キックボクシング中継の解説を担当。櫻井さんは69(昭和44年)7月の放映開始時から18年間、『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日=当時はNET)の解説者として活躍した。


 本書は、この国のプロレス・マスコミのパイオニアであり、昭和のプロレスの語り部であり、“生きたメディア”であった田鶴浜弘、鈴木庄一、櫻井康雄の3人の歴史家に親しみと尊敬の念を込めて“田鶴浜さん”“庄一さん”“櫻井さん”と“さん”づけで表し、田鶴浜さん、庄一さん、櫻井さんがこれまで執筆した単行本、新聞・雑誌記事、歴史的な記述、プロレスラーや関係者たちのコメント内容などをそれぞれ“田鶴浜ナラティブ”“庄一ナラティブ”“櫻井ナラティブ”と表記することとする。


 ナラティブnarrativeとは物語、朗読による物語文学、叙述すること、語り口といった意味で、ここでは活字によって語られた物語、ストーリーを指す。あるひとつの事件、史実でも語り部によってそのディテールが異なっている場合がある。たとえば、力道山がプロレスと出逢うきっかけとなったとされているハロルド坂田との銀座の酒場での遭遇シーンは、その日時もやりとりも文献ごとに微妙にデフォルメされ“演出”されているし、力道山から馬場、そして現在の全日本プロレスの三冠ヘビー級王座へと継承されてきたインターナショナル・ヘビー級王座の出自についても、田鶴浜ナラティブと庄一ナラティブでまったくそのストーリーがちがっている。本書では田鶴浜ナラティブ、庄一ナラティブ、櫻井ナラティブをベースに、過去60余年のあいだに活字化された複数のナラティブをできるだけ公平に検証していく。


 田鶴浜さん、庄一さん、櫻井さんは明治から昭和初期にかけて生まれた日本人で、パソコンどころかワープロさえ存在しない時代から“活字”を書いていたライターだから、いまとなってはそれを確かめるすべはないけれど──庄一さんは鉛筆で、櫻井さんは細いサインペンやボールペンで原稿を書いているところをぼくは目撃したことがある──原稿執筆は手書きの作業であったと思われる。取材の方法についても、とくにレスラーや関係者のコメントを取るさいにテープレコーダー(いまだったらICレコーダーか)にそれを録音していたかどうかもわからない。おそらく、テープに録るようなことはせず、メモ書きをしていたのではないだろうか。しかし、活字になった記事のなかでは力道山や馬場、猪木らのかなり長いコメントがかぎカッコのなかにおさめられている。つまり、力道山の発言、馬場の発言、猪木の発言もまた広い意味では田鶴浜ナラティブであり、庄一ナラティブであり、櫻井ナラティブだということだ。


 田鶴浜さん、庄一さんとほぼ同じ時代を生きたジャーナリストではあるけれど、田鶴浜ナラティブ、庄一ナラティブとは異なるスタンスで、また、田鶴浜ナラティブにも庄一ナラティブにもまったく影響を受けることなくプロレス──とくに“力道山プロレス”──に関する書籍を著したライターでは小島貞二さんと(かど)茂男さんがいる。


 小島貞二さんは1919年(大正8年)、愛知県豊橋市生まれ。漫画家、力士、雑誌記者、新聞記者とたいへんカラフルなプロフィルの持ち主で、のちに相撲評論家、演芸評論家、作家として活躍し、その生涯に100作品を超える著作を残した人物だ。プロレスを専門分野としていたわけではなかったが──これはぼくの勝手な解釈ではあるけれど──相撲出身の力道山に親しみをこめ、プロレスにも愛情をこめ、“力道山プロレス”を扱ったプロレス関連の文献に『日本プロレス風雲録』と『力道山以前の力道山たち──日本プロレス秘話──』の2作品がある。昭和40年代前半あたりまでは大須猛三(おすもうさん、または、おおずもうさん)というペンネームでプロレス専門誌にも記事を寄稿していた。

『日本プロレス風雲録』(初版1957年7月)は、ボビー・ブランズ一行の来日から6年後、“力道山プロレス”がスタートしてからわずか3年後に刊行された、日本プロレス史をリアルタイムでひもといた日本で最初の歴史書で、いま読み返してみてもその資料的価値はひじょうに高い。『力道山以前の力道山たち』(1983年)は、力道山の死去からちょうど20年後に刊行された「遠い時代のプロレスラーたちの群像の記録」(小島)で、小島さんのプロレス史観が記された文献としてこれも資料的価値が高い。本書はこの2作品も貴重な参考文献として取り扱い、小島さんのオリジナルの記述を“小島ナラティブ”と表記する。


 門茂男さんは1924年(大正13年)、福井県福井市生まれ。東京師範学校(現在の東京学芸大学)、東京高等体育学校(現在の筑波大学)を卒業。53(昭和28年)に内外タイムスに入社し、社会部で警視庁キャップ、運動部長を歴任。力道山-木村戦からプロレス界にかかわり、東京スポーツ新聞社第二運動部部長を経て、日本プロレスコミッショナー事務局局長、コミッショナー代行を歴任。“メモ魔”の異名で知られ、プロレス関連の多くの著作を残した。得意分野は“暴露本”だった。本名のほかに“御門茂”“荒道茂”のペンネームも使用した。故人。本書では“暴露本”として記された、史実として取り扱うにはいささかの議論の余地があるものと思われる“門ナラティブ”は引用していない。


 昭和の活字プロレスづくりにかかわったジャーナリスト──昭和プロレス史をつくった当事者──としては田鶴浜さん、庄一さん、櫻井さんのほかに新聞記者出身の森岡理右(り う)さん、山田隆さん、菊池孝さん、門馬(もん ま)忠雄さんという4人の著名なプロレス・ライター/プロレス評論家の存在も外すことはできない。本書では森岡さん、山田さん、菊池さん、門馬さんが執筆した記事、著作も参考文献として引用し、それぞれの論旨、論点を“森岡ナラティブ”“山田ナラティブ”“菊池ナラティブ”“門馬ナラティブ”と分類する。


 森岡理右さんは1934年(昭和9年)、三重県鳥羽市出身。東京教育大学卒業後、東京タイムズに入社。社会部を経て運動部で相撲、プロ野球を担当。65(昭和40年)から『スポーツタイムズ』でデスク兼プロレス担当。68(昭和43年)12月から『プロレス&ボクシング』『大相撲』(ベースボール・マガジン社)の編集顧問。ニックネームはリッキー森岡。学習院大学非常勤講師を経て、76(昭和51年)から筑波大学に常勤。現在、筑波大学名誉教授。プロレス・マスコミから“闘いの場”を大学の教壇に移したインテリである。


 山田隆さんは1933年(昭和8年)、北海道北見市出身。日本大学法学部卒業後、59(昭和34年)、国民タイムス新社(のちの東京スポーツ新聞社)に入社。同社では櫻井さんの2年先輩にあたる。東京スポーツ新聞社運動部部長を経て、フリーのプロレス・ライター。67(昭和42年)から約20年間、日本テレビのプロレス中継(日本プロレス、全日本プロレス)の解説者として活躍した。東スポ以外の活字媒体で記事を執筆する場合は“山田豊”“山路登”という、すぐにそれとわかる暗号のようなペンネームを使用した。故人。


 菊池孝さんは1932年(昭和7年)、神奈川県横須賀市出身。立教大学卒業後、地方紙の社会部記者、運動部記者を経て、60(昭和35年)から『大阪新夕刊』でプロレス担当記者となり、68(昭和43年)からフリー。77(昭和52年)から81(昭和56年)まで国際プロレス中継(東京12チャンネル=テレビ東京)の解説者としても活躍。昭和50年代までは本名以外に“菊入三山”“西武菊彌”(または菊弥)“須賀真美”“山丸智能”(サンマルチノ)といった複数のペンネームを使い分けていた。現役最古参記者として2012年79歳)まで現場で取材活動をつづけた。故人。


 門馬忠雄さんは1938年(昭和13年)、福島県相馬市出身。日本大学藝術学部卒業後、62(昭和37年)、東京スポーツ新聞社入社。運動部部長、編集委員を経て、86(昭和61年)からフリー。70年代から80年代にかけては国際プロレス中継、『世界のプロレス』(いずれもテレビ東京)の解説者としても活躍した。現在でも『東京中日スポーツ新聞』にコラムを連載し、単行本、雑誌記事の執筆をつづけている。


 昭和40年代から昭和50年代にかけてのプロレス専門誌(『プロレス&ボクシング』『プロレス』『別冊プロレス』など)の目次には、執筆陣として“志摩一郎”“司次郎”“築地三郎”“北直人”“竜豪二”“小松川正”“芦名兵太郎”といったあまり聞いたことのないライターのクレジットが並んでいる。これらはいずれも明らかにペンネームで、その正体は櫻井さん、山田さん、門馬さんの東スポ・トリオではないかと思われる。

『東京スポーツ』は毎日、夕方になると駅の売店に並ぶ日刊サイクルの夕刊スポーツ新聞で、プロレス専門誌は本屋さんで売っている月刊ベースの雑誌。しかし、ほとんどの記者がいくつかのペンネームを併用していた事実からもわかるように、記事を書いている人たちは、じっさいにはスポーツ新聞も雑誌もほとんど同じメンバーであることが多かった。つまり、昭和のプロレス・マスコミは、ひじょうに限られた人材によって形づくられた──そのなかで仲がよかったり、仲が悪かったりということはあったとしても──それほど大きくはない共同体だったのだろう。


 本書では、プロレス専門誌はおもに『プロレス&ボクシング』『プロレス』『別冊プロレス』『デラックス・プロレス』『週刊プロレス』(いずれもベースボール・マガジン社)を参考文献として取り上げた。そのライバル誌にあたる『ゴング』『別冊ゴング』『週刊ゴング』(いずれも日本スポーツ出版社)にはあえてタッチしていない。これはぼく自身が少年時代から『ゴング』よりも『プロレス』を愛読していたことと、これまでの35年間のプロレス・ライター生活のほとんどを『週刊プロレス』の記者として過ごしてきたことがその理由だ。『昭和プロレス正史』というタイトルで昭和のプロレス史、活字プロレス史をひもといていくうえで、それでは偏りがあるのではないかといわれてしまえばたしかにそういうことにもなるかもしれないが、これはぼく自身のなかのどうにもならない偏りなので、そういう批判があるとしたら甘受するしかない。


 昭和の終わりから平成にかけてデビューしたプロレス記者、プロレス・ライターは──ぼくを含め──田鶴浜ナラティブ、庄一ナラティブ、櫻井ナラティブを教科書として読み、大先輩である菊池さんや門馬さんのおはなしを取材現場で聞きながら、プロレス観、プロレス史観を構築してきた。ぼくは在米中の1981年(昭和56年)から『プロレス』『デラックス・プロレス』の海外通信員となり、『週刊プロレス』には83(昭和58年)の創刊時からスタッフとしてかかわってきた。


 現在、日本国内のスポーツ新聞、雑誌、書籍などの活字媒体、放送媒体(テレビ、ラジオ、通信メディア)、インターネット上などで資料、史実として扱われている昭和のプロレス史に関するありとあらゆる情報──つまり活字プロレス──のルーツは、突きつめていけば、過去40年ほどのあいだにさまざまな形でコピー・アンド・ペイストがくり返され、時代を超えてマスメディアとその読者のあいだでシェアされ、ひじょうに長い時間をかけて加工、再加工、再生産されてきた田鶴浜ナラティブ、庄一ナラティブ、櫻井ナラティブであり、森岡ナラティブ、山田ナラティブ、菊池ナラティブ、門馬ナラティブなのである。


 1980年代以降の活字プロレスは、ターザン山本さんの『週刊プロレス』と竹内宏介さんの『週刊ゴング』の闘いの歴史だった。月刊誌から週刊誌に“変換”されたことで、活字プロレスのリアリティーもまた週刊サイクルとなった。本書は、ぼく自身が書いた記事も含め、『週刊プロレス』に掲載された記事も資料文献として引用、山本さんの署名入りの記事については“山本ナラティブ”と記した。


 昭和30年代から昭和50年代にかけての“現在進行形”として活字になった田鶴浜ナラティブ、庄一ナラティブ、櫻井ナラティブには、現代の人権意識にかんがみるとやや不適切・不適当と思われる単語、表現などが用いられている場合があり、また、外国人レスラーや外国人関係者の人名、外国の地名などのカタカナ表記も統一されていないことがあるが、原稿執筆時の時代背景と作品のオリジナリティーを重んじ、本書ではこれらを〔原文ママ〕という注釈つきでそのまま引用することとした。


 引用した著作や記事、歴史的事件の日付、場所、登場人物のフルネームなどのデータについては必ずその出典(作品名、新聞の名称、雑誌名など)を明らかにし、本文中にそれを記した。また、プロレスラー、プロモーター、歴史上の人物、著名な関係者などはパブリック・フィギュア=有名人・公人として文中敬称略とした。


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