『ザ・ビートルズ 解散の真実』
[著]ピーター・ドゲット
[訳]奥田祐士
[発行]イースト・プレス
一九六九年のクリスマス、ジョン・レノンとヨーコ・オノは「戦争は終わりだ(きみがそう望めば)」とポスターで告知するキャンペーンを世界中でくり広げた。平和に対する責任を全人類に負わせる、呆気に取られるほどシンプルで効果的なメッセージである。だが自分たちの稼ぎを平和のために寄付するとか、ベッド・インの戦略を鉄のカーテンの向こう側に持っていくといった類の話は、ほとんど口にされなくなっていた。
彼らの優先順位は今や、個人的な自由──肉体、薬物、実存からの自由にあった。「オレたちはドラッグ使用後の鬱状態をくぐり抜けた」と一月のなかばにデンマークから戻ってきたレノンは説明した。「自分たち自身に対する希望を取り戻したんだ」
しかし世間はレノン夫妻に対する包囲網を狭めていた。ふたりの結婚生活は崩壊しつつあり、トロント・ピース・フェスティヴァルも同じくだった。数回の流産をへて、オノの健康状態は思わしくなく、さらにアップルという長年の問題があった。一九六九年の五月以来、ふた組の強欲な弁護士たちが、レノン、ハリスン、スターキー、クラインの結んだマネジメント契約の正当性をめぐって議論を闘わせていた。ポールは悲しげにこうふり返っている。「ぼくらはあらゆる弁護士の子どもたちを、学校に行かせてやったんだ」
一月なかばにアップルで開かれたミーティング中に、レノン、ハリスン、スターキーはABKCOと範囲を広げたマネジメント契約を結ぶことで合意し、クラインは当初の草稿にあった抜け穴の数々を埋めはじめた(この契約について、マッカートニーの意見が求められることはいっさいなかった)。彼らはその月、さまざまなアップルの子会社だけでなく、シングソング・リミテッド(ハリスンの音楽出版を扱う会社)、スタートリング・ミュージック・リミテッド(スターキーの音楽出版を扱う会社)、そしてオノ・ミュージックといった企業も含む、数々の系列企業を代表して契約書にサインした。
ほかにもスイス、カナダ、オーストリア、オランダ、スウェーデン、イタリア、ドイツに設けられていたアップルの支社、ニューヨークとロスアンジェルスのアップル・レコード、レノン=オノ帝国が送り出す前衛的な作品のために設立されたバッグ・プロダクションズ、そしてレノン夫妻による映画作品のアメリカでの上映権をあつかうジョーコ・フィルムズが考慮の対象となった。トータルで三三の会社がアップルの傘下にあったが、そのひとつひとつが今や、ABKCOに忠誠をつくすことになったのだ。