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ザ・ビートルズ 解散の真実
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ニューヨークのビートルたち

『ザ・ビートルズ 解散の真実』
[著]ピーター・ドゲット [訳]奥田祐士 [発行]イースト・プレス


読了目安時間:5分
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「アメリカこそ今いるべき場所だ」とジョン・レノンは一九七〇年の一二月に語った。「オレは本来、ニューヨークで生まれるべきだったのさ。そう、ヴィレッジでね! オレの居場所はそこだ。なんであそこで生まれなかったんだろう?」


 ビートルズの居場所はリヴァプールからイギリス、そして世界へと広がっていた。アップルの本社はイギリスの首都に置かれていたものの、もう一年以上にわたり、そのオフィスはストレスの種以外のなにものでもなかった。おたがいに対する責任から解放された三人のビートルは、年末にかけて、別々にニューヨークを目指した。


 ジョージ・ハリスンはソロ・アルバムの最終セッションのために、フィル・スペクターを追って彼のホームタウンに向かった。レノンはアートの拠点という、この街の評判に惹きつけられていた。「だれだって中心に向かうもんだし、オレが今ここにいる理由もそれだ。単純にその空気が吸いたくてね……ここはなにかがはじまる場所なんだよ」


 ニューヨークはまた、アレン・クラインが営々と仕事に精を出してきた場所でもあったが、ポール・マッカートニーは一一月、それとは無関係にこの地を訪れた。この動きは彼が、イギリスでずっと取り憑かれていたふさぎの虫から、ようやく解放されたことをあらわしていた。


 三人の男たち全員にとって、ニューヨークは解放を意味した。レノンだけがこの街に、圧倒されたことを正直に認めた。「オレはどうしようもないダメ男だから、あんまりいっぺんには受け止められない。すごすぎるんだ。怖すぎるんだよ。とにかくすごいし、みんな、とても攻撃的なんだ」


 リンダ・マッカートニーと同様、実質的にはニューヨーカーだったヨーコ・オノが、夫にこの街のアート界を案内した。それは彼女の領分だった。一〇年前に型破りなアーティストという定評を打ち立てた場所だったからだ。というわけでこのカップルは、否応なしに彼女のスタイルを採り入れ、二作のコンセプチュアルな映画をはやばやとまとめ上げた。クスリでもうろうとした女性の裸体を這い回る昆虫が、もっとエロティックな曲線やクレヴァスに近づくようにせっつかれる『フライ(Fly)』、そして『フィルム・ナンバー4』(『お尻(ボトムズ)』)の理論的な続編とも言うべき『アップ・ユア・レッグズ・フォーエヴァー(Up Your Legs Forever)』である。


 マッカートニー夫妻もニューヨークで、彼らなりにクリエイティヴなパートナーシップをスタートさせようとしていた。ただしこのふたりのパワーバランスは、どう見てもポール側に大きく傾いていた。アルバム《マッカートニー》に対するリンダの貢献も微々たるものでしかなかったが、にもかかわらず生涯初となるアメリカでのセッションを開始したとき、彼が目指していたのは「ポールリンダ・マッカートニー」のレコードだった。


 だがこのふたりのパートナーシップの性質は、傍目にはわかりづらかった。「スタジオでのリンダはあまりやることがなくて、もっぱら子どもたちの世話をしていた」とセッション・ギタリストのデイヴィッド・スピノザは明かしている。「正直、スタジオでこれはよかった、これはよくなかったとコメントすること以外、彼女はなにもしてなかったと思う。いったいどこから出てきたんだ? って感じ。なのにもうプロデューサー気取りだった」


 ハリスンなら思わずうなずいてしまいそうな口調で、スピノザは不満を述べた。「ぜんぜん自由がないんだ。こう弾け、ああ弾けと細かく指図されて。彼には自分のほしいものがわかっていたし、ぼくらはそれをやらせるための道具でしかなかった」

《オール・シングス・マスト・パス》がリリースされたとき、ハリスンと妻のパティはニューヨークにいた。ロック史上初の三枚組アルバムは、「敬虔さと犠牲と歓喜の饗宴であり、その壮大さと野心だけでも、ロックンロールの『戦争と平和』と呼べる作品」と「ローリングストーン」誌に評された。ラジオからはハリスンのシングル、〈マイ・スウィート・ロード〉のスピリチュアルな詠唱が鳴り響いていた。「ラジオをつけると、そのたびに『ああ、わが主よ(オー・マイ・ロード)』が聞こえてくるんだ」とジョン・レノンはコメントしている。「本気で神様はいるんじゃないかという気がしてきた」


 もっとも早い時期に〈マイ・スウィート・ロード〉がシフォンズの〈イカした彼(He's So Fine)〉と似ていることに気づいたのは、「ローリングストーン」誌のレヴュワーだった。ほぼ同一の構成とメロディ・ラインを軸にした、一九六三年のヒット曲である。ハリスンはのちに、自分がやろうとしていたのは〈オー・ハッピー・デイ(Oh Happy Day)〉という別の曲の改作だが、メロディは念のために変えてあった、と認めている。


 ここで驚くべきなのは、大西洋の両側でかなりのヒットを記録していたレコードとの類似性に、彼もフィル・スペクターも気づかなかったことだろう。一九七一年の二月一四日には〈イカした彼〉の出版権を持つブライト・チューンズが、ハリスンに曲を剽窃されたとして、賠償金の請求訴訟を起こした。


 その時点で〈マイ・スウィート・ロード〉は、かつてのビートルズのヒット曲よろしく世界中を席巻し、イギリスとアメリカの両方で、売り上げチャートの首位に輝いた。また通常のアルバムの二倍以上という高い小売り値をよそに、《オール・シングス・マスト・パス》も、一月までに世界中のチャートを総なめしていた。


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