『ザ・ビートルズ 解散の真実』
[著]ピーター・ドゲット
[訳]奥田祐士
[発行]イースト・プレス
だがポール・マッカートニーとジョン・レノンは、どちらも飢えに苦しむ人々の生命を、自分たちのエゴよりも優先することができなかった。
「クラインは記者会見を開き、ぼくがパキスタンの人々のためのコンサートに出ることを拒んだ、と発表した」とマッカートニーは不満げに語っている。「でも事実はそうじゃない。ぼくはジョージに、それは無理な相談だ、そんなことをしたら、ビートルズが再結成と世界中のマスコミが騒ぎ立てるのは目に見えていると言ったんだ。それこそクラインの思うつぼじゃないか。歴史的なイヴェントになる可能性もあったし、そうなったら手柄は全部、クラインが自分のものにしていただろう。いずれにせよ、ぼくはプレイする気になれなかった」
レノンの言い分も、驚くほど似通っていた。「ジョージには一週間ほど前に出れないと言った。その気になれなかったんだ。リハーサルに出たり、いかにもショウビジネスっぽいことをやったりするというのが、どうにもピンとこなくてね。それにこっちがいようといまいと、もうあれ以上、人は出せなかったんじゃないかな。レコードだけで稼ぎは十分だし、ひと晩に二回もステージに立つのは、勘弁してほしかった」
ここで問題にされているのは、ビートルズの元メンバー間のパワーバランス以上に重要なことだという認識が、このふたりには欠けていた。人々の命を救う機会に比べたら、マッカートニーやレノンの個人的感情など、ものの数にも入らないはずではないか? 七〇年代を通じて彼らには、こうした倫理的なジレンマがついて回った。飢えた人々に食事を与え、病んだ人々を治療できることがわかっていてなぜ、たったひと晩だけ一緒にプレイすることを拒むような真似ができるのか? 確かにこのグループが、救世主になろうとしたことは一度もないが、だからといってその役柄を拒む資格はあるのか? ビートルズに世界を救う、道徳的な義務はないのか?
依然、自分たちの生活というドラマにとらわれていた彼らは、もっとささいな悩みに気を取られていた。バングラデシュのコンサートにレノンが出なかった真の理由が、やっとのことで明らかにされたのは、彼が亡くなってからのことだ。つまり、レノンはオノ抜きでは出演しないと言い張っていたのである。ハリスンは彼に、これはロックのスーパースターの集いであり、アヴァンギャルドのフェスティヴァルではないので、彼女を出すことはできないと告げた。
レノンは激怒し、オノの才能がわからないハリスンには、限られた知性しかないと決めつけた。「ジョージはいくら言ってもわかってくれない」と彼は語っている。「すごく考え方が狭くて、広い視野が持てないんだ。ポールのほうがジョージより、はるかによくわかってる……ポールやオレと仕事をしていたせいで、劣等感を抱えているんだ……ジョージはわけもわからずにやってるのさ」
記者会見ではハリスンに、「またグループとして一緒にやれたら、と思ったことはありますか?」という質問が飛んだ。その後も元ビートルたちは、ジャーナリストと向き合うたびに、開始早々、この質問を浴びせられる羽目になる。ハリスンは如才のない答えを返した。「うん、確かにそういう時はある*2。でも逆にぼくらが全員、ひとりでよかったと思うこともあるけどね」
レノンもロンドンで同じ質問を受けた。「オレは一度も連中〔ビートルズ〕がズルズル滑り落ちてきて、カムバック的なことをしたらいいのにと思ったことはない。オレはビートルズにいた二〇歳のころ、三〇になっても〈シー・ラヴズ・ユー〉をうたっているとは思えないと言った。今年、オレは三〇になるけど、無理にうたわなくなったわけじゃない。自然にそうなったんだ。三〇になったらもう、あの手の曲は卒業してるだろうと思ってたわけでね。で、現にそうなったのさ」