『ザ・ビートルズ 解散の真実』
[著]ピーター・ドゲット
[訳]奥田祐士
[発行]イースト・プレス
「わたしたちは八〇歳になるまで生きようという話をしていたんです」とヨーコ・オノはその二日後、記者のひとりに語っている。「それまでの年月に、ふたりでなにができるかを書き上げたリストもありました」
「事件の三、四日後に」とジャック・ダグラスはふり返っている。「ヨーコとわたしはスタジオに戻り、ジョンの声と音楽を使ったコラージュを一緒に作った。ふた晩がかりでね。どうやらそれが一種のセラピーというか、救いになってくれたようだ」
そのころにはもう、遺体は荼毘に付され、遺灰はダコタに戻っていた。ジョン・レノンの最後の写真を手に入れたのは「ナショナル・エンクワイラー」紙で、安置台に横たえられた彼の遺体には、歴然とした検死解剖のあとがあった。
「わたしはカミソリや新聞を隠そうとするスタッフに、いいから全部見せてと言いつづけました」とオノはのちに明かしている。「遺体の写真も見ました。ジョンは《イマジン》の裏ジャケットのように、安らいで見えました」。だが検死の模様は撮影され、安置所の係員たちが、遺体と一緒に悪趣味な写真に収まっていたといううわさも、根強くはびこっている。
ジョン・F・ケネディの死以来、アメリカで発生した暗殺事件には、憶測がつきものになっていた。じきに陰謀論者たちは、FBI、あるいはCIAのボスをレノンの殺人に関与させ、犯人は一九六八年にロバート・ケネディを狙撃したサーハン・サーハンのように、高度なマインド・コントロールを受けていた、あるいはリー・ハーヴェイ・オズワルドのように、ただの捨て駒だったなどとする説を唱えはじめた。
暗殺を命じたのは、新たに選出されたロナルド・レーガンに違いないと断じるパラノイアじみた説も出た。レノンがカウンターカルチャーの復興を先導することを見越し、先手を打ったというわけだ。しかしレノンが最後に受けたいくつかのインタヴューはむしろ、自分のヒーローを撃った理由は、元ビートルの物質主義者的なライフスタイルに裏切られた気持ちがしたからだ、と主張していた殺人者自身の言い分に説得力を与える内容だった。
一〇年以上にわたって人々の笑いものにされてきたあげく、オノは今や、哀しみに沈む寡婦として描かれていた。「一〇年間、わたしは悪魔でした」と彼女は皮肉っぽく指摘している。「今のわたしは天使です。この世界がジョンを失わないと、人々はわたしに対する見方を変えることができなかったんでしょうか? 信じられません。もしそれでジョンを取り戻せるのなら、わたしはむしろ、嫌われ者になりたいと思います」
ファンのふたりが自殺を遂げたと聞かされたオノは、哀しみをコントロールしてほしい、とレノンのファンたちに懇願した。彼女は夫を追悼する世界的な徹夜祭を企画し、レノンと設立したスピリット・ファウンデーションへの募金を呼びかけた。雑誌やポスターを売って、レノンの名前で金儲けをすることに後ろめたさを感じる必要はないと語り、けれども彼や彼の信奉者たちを食いものにするのは許されない、と釘を刺した。そして夫に宛てたメッセージを手書きし、それは「ローリングストーン」の追悼特集号に掲載された──「愛しているあなたが恋しいあなたは神とともにあるわたしは言ったとおりにする『しっかりヨーコ』きっとそうする約束するXX」
そして彼の死から一か月が過ぎたとき、彼女はファンたちに、復讐などということは考えないでほしいと呼びかけた。「わたしたちにとって意味がある唯一の『復讐』は、手遅れにならないうちに社会を変えること、ジョンが可能だと思っていたように、愛と信頼を基盤にした社会を実現することなのです」
《ダブル・ファンタジー》はレノンが希望していた通り、世界中でナンバー1を獲得した。新旧のシングルも同じくだった。マッカートニー夫妻はダコタにオノを訪ねた。「ぼくらはみんな、大泣きに泣いた」とマッカートニーはふり返っている。
レノンの長男、ジュリアンはオノとの同居を考えていると公表した。「ヨーコはひどいありさまだった」と彼は明かしている。「親父と一緒に行った場所を通ったり、一緒に観ていた番組がはじまったりするたびに、泣き崩れてしまうんだ」