『わが青春のマジックミラー号 AVに革命を起こした男』
[著]久保直樹
[発行]イースト・プレス
「今度セルビデオメーカーを作ったから監督をしてほしい」
1995年12月、セルAVメーカー「ソフト・オン・デマンド」(SOD)が創業され、社長である高橋がなりさんから、そんな電話がかかってきた。
当時、私はテリー伊藤さんの番組制作会社「ロコモーション」でディレクターをしており、主に「ビデオ安売王」という、全国にフランチャイズ展開しているセルビデオショップで販売されているビデオ作品を制作していた。
がなりさんは、そのテリー伊藤さんがディレクターを担当していた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』でADを務めるなど、伊藤さんとはテレビ番組ディレクターとして“師弟関係”にあった。私は人の紹介で「ロコモーション」に出入りするようになり(その詳細は第2章で触れる)、がなりさんと出会った。
私は、もともとテレビ番組制作を経て一般映画を撮りたいと考えており、アダルト業界にはさほど興味がなかった。がなりさんも、そんな私の希望を知っていた。
だからこの電話をかけてきた段階では、がなりさんも「SODは、最初はアダルトビデオを作るが、ゆくゆくは映画など一般作メインのメーカーにする」と話していた。
この言葉が殺し文句となり、私もSOD参加を決意したのだが……。
まずは、SODが誕生した経緯から説明しておこう。それはまさに、AV業界にとって激動の時代でもあった。
1970年代後半にAVが誕生して以来、その流通経路はレンタルビデオが主流で、特に「日本ビデオ倫理委員会」(以下、ビデ倫)と問屋が支配する業界だった。
AVメーカーはビデ倫に加盟し、「猥褻物ではない」とビデ倫の審査を通った作品のみが、問屋を通じて全国のレンタルビデオ店に流通する、という仕組みである。
つまり、ビデ倫に加盟していないメーカーの作品、ビデ倫の審査を受けていない作品は、非合法の猥褻物とみなされる。それらは「インディーズ作品」と呼ばれ、一部のアダルトショップで販売されていたが、あくまでも非合法のシロモノだった。
こうした流通システムを持つAV業界に風穴を開けたのが、「ビデオ安売王」(日本ビデオ販売株式会社)の全国チェーン展開だ。
この「ビデオ安売王」がAV業界に大きな変革をもたらし、さらにSOD誕生へとつながっていくこととなる。