『わが青春のマジックミラー号 AVに革命を起こした男』
[著]久保直樹
[発行]イースト・プレス
文化工房に入社した当初、私の仕事はテレビ朝日の目玉報道番組『ニュースステーション』(当時。2004年に『報道ステーション』へリニューアル)のスポーツコーナー編集だった。
だが編集といっても、入社1年目は毎日、全力疾走していた。これはものの例えではない。実際に毎日走っていたのだ。
私の“ランニングコース”は、横浜スタジアムの一塁側スタンドからセンタースタンドまで、それと横浜スタジアムから朝日新聞横浜支局までだった。
どういうことかといえば、まず球場内にある撮影済みテープ(素材)をすべて回収し、さらにその素材を運搬していたのだ。
私は、プロ野球ニュースコーナーで、大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)担当者の編集助手となっていた。
プロ野球の試合終了は21時過ぎ、時には22時過ぎに終わることもある。
一方『ニュースステーション』は、現在の『報道ステーション』と同じく、生放送だったのでオンエア(OA)開始は22時、スポーツコーナーは毎日22時30分ごろから始まる。
ということは、その日の試合を当日のスポーツコーナーで報じるためには、試合が早く終わっても1時間30分ほどで編集しなければならない。
つまり「撮って出し」なので、常に編集テープの納品はOAギリギリになる。
横浜球場で試合を撮影し終え、その素材を持って当時テレビ朝日があった赤坂まで戻っていては到底OAに間に合わない。
そこで編集車(車内で編集作業ができる、通称“走る編集室”)を球場に横付けし、回収した素材映像を車内で編集する。
この段階でアナウンサーの原稿読みもミックスし、「完パケ」(そのまま放送できるように完全に編集されている状態)にしてしまうのである。
その完パケを局に電送することができる、FPUという「無線中継伝送装置」が、横浜球場から300メートルほど離れた朝日新聞横浜支局にあった。
だから私の仕事は、スタジアム内の3カ所に置かれているカメラから、撮影テープを走って回収し、編集車で控えている先輩編集マンに渡すこと。さらに、編者車で完パケになったOAテープを、朝日新聞横浜支局まで走って届けることだった。
『ニュースステーション』OAに間に合わせるには、まさに1分1秒を争う状況のため、仕事中は常に全力疾走だった。
おかげで私は、ずいぶんと足が速くなった。
当時、大洋ホエールズには“スーパーカートリオ”と呼ばれる快足自慢の選手たちがいた。なかでも3度の盗塁王を獲得した屋鋪要の俊足ぶりは有名で、彼にちなんで私も“テレ朝の屋鋪”と言われたものだ。
それはともかく、私の入社1年目は編集部に配属されたにもかかわらず、編集機すらいじることができなかった。ただひたすら毎日、全力疾走していたのだ。