『わが青春のマジックミラー号 AVに革命を起こした男』
[著]久保直樹
[発行]イースト・プレス
セルAVメーカー「ソフト・オン・デマンド」(SOD)が1995年に設立され、『全裸スポーツ』シリーズで大ヒットを飛ばした。
続く『地上20メートル空中ファック』の失敗で会社の存続が危ぶまれたものの、1996年に発進した『マジックミラー号』がその窮地を救うことになったのは、第1章でも書いたとおりである。
私もその後はフリーのディレクターとしてSODの企画・作品に参加しながら、テレビ番組制作の仕事も請け負い、映画監督への夢も薄れつつあった。
ところが1997年、そんな私を大事件が襲う。なんと、突然SODを追放される事態に陥ってしまったのだ!
某SOD作品に関する出来事だった。私はテレビの仕事があるため、「この日のロケはNG」であることをプロデューサーに伝え、ロケには行かなかった。
するとどういうわけか、がなりさんが怒っているという話が伝わってきた。
この時、プロデューサーを務めていたのは、サダージ深野という男である。
そう、あの『空中ファック』の撮影現場で、なぜかがなりさんにボコボコに殴られていたサダージ深野だ。
なんと彼が、私は「この日のロケはNG」と伝えていたことを忘れ、撮影当日がなりさんに「久保が来ない。この作品の監督なのにロケ現場に来ないので、撮影を飛ばしました(キャンセルした)」と伝えたのだという。
いやいや、私はロケに行けないことは、サダージ深野さんだけでなく、アシスタントプロデューサーやADも、事前にそのことは把握していたはずである。
しかしスタッフは全員、がなりさんが怒り始めると怖いから、誰もその事実を伝えず黙っていた。
そうなれば、当然がなりさんは怒るに違いない。結果、「マメゾウ(私の監督名)は出入り禁止だ!」と言い出し、さらに後日、私のもとに「今後は一切SODと関わらないでくれ」という内容証明が届いた。
なんと私は、こうしてワケもわからないままSODを追放されてしまったのだ。