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自由民主党の深層
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政治・社会
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はじめに

『自由民主党の深層』
[著]大下英治 [発行]イースト・プレス


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 自由民主党は、平成二七年一一月一五日、結党六〇年を迎えた。


 昭和三〇年(一九五五年)の結党以来、戦後日本人の情動と欲望を体現したのが、自民党であった。自民党の権力闘争の歴史は、まさに戦後史そのものであった。


 敗戦の混乱からの戦後復興、日米安保闘争、三種の神器がそろった高度成長と公害、東西冷戦、列島改造と石油ショック、バブル経済と政治不信、平成不況……。そして現代の世に広まっているグローバリゼーションや、格差と少子高齢化・人口減少社会のひずみをどうカバーするのか、一時期を除き、常に政権与党であり続けた自民党に求められた課題でもある。


 言い換えれば、戦後日本人の思考と姿が、自民党政権を希求したのだ、ともいえる。


 創成期は何事も面白い。


 昭和二三年一〇月以来、六年二カ月にわたり日米外交を基軸に、「軽軍備・経済重視」政策をとり、長期政権を築いていた(よし)()(しげる)を退陣に追い込んだのは、何を隠そう、自由民主党を生んだ最大の功労者、保守合同の仕掛け人・()()()(きち)に他ならない。


 三木は、わずか八人の同志を核に、がんに冒されながらもあらゆる権謀術数を使い、吉田自由党を切り崩し、野党第一党の日本民主党を結成。戦後二大政党の一方の雄であった社会党委員長の(あさ)(ぬま)(いね)()(ろう)らを抱き込み、五期にわたる吉田ワンマン独裁政権を崩壊に追い込み、念願の(はと)(やま)(いち)(ろう)政権を樹立する。公職追放、病魔、政敵の裏切りの数々を乗り越え、総理の座に就いた長年の盟友・鳩山一郎に三木はこう宣言する。

「国民が望んでいるのは、こんな内閣ではない。保守結集による安定政権だ。今日からでも鳩山内閣を倒すために動くかもしれないぞ。吉田とも手を組むかもしれない。昨日の敵は今日の味方だ」


 三木は、鳩山が半身不随の病床にいた際、「いつまで甘えているんだ。起きろ、鳩山。片手がなくとも政治はできる。いっそ半身を切り落とせ!」と迫った。


 晩年の三木武吉の気迫は、まさに謀将であった。三木は保守合同の大願が叶った翌年、天に旅立つ。巨万の富を残した吉田や鳩山とちがい、その財布には現金一万五〇〇〇円だけだったという。稀代の策士でありながら、親族に世襲をさせない清廉さがあった。


 演説の達人、()()将軍としても知られ、政敵に「借金だらけで、(めかけ)が四人もいる候補者に選良が務まるか」と野次られると、「その候補者とは()(しょう)三木武吉であります。正確を期せば妾は四人ではない。五人だ。それも若い妾ではない五人を養っている。ここにいる米屋のつけは一年ではない。二年だ。そんなことも誤認する候補者に選良が務まるか」と豪語し、聴衆の笑いを誘った。すかざす貸主の米屋が応援弁士となり、「貧乏ですが、われわれ庶民の心がわかる三木先生を宜しくお願い致します」と話し、喝采を浴びた三木は見事初当選を果たしたという。


 自民党の生みの親はこうした不世出の男だったのだ。


 三木の他界から一六年後の昭和四七年七月七日に、自民党を二分した凄まじい権力闘争「角福戦争」を制して、総理総裁の座に就いたのが高等小学校卒の庶民宰相・()(なか)(かく)(えい)であった。


 ここにロッキード事件後も「闇将軍」として君臨した角栄が、自らの総理就任にちなんでつけた自派閥「七日会」の研修会の肉声を読者諸氏の参考のため掲載する。戦後日本人の欲望に応えた、昭和の大宰相・田中角栄の思考、その戦後観、国家観を知る貴重な言葉である。

「今日はその~、戦後の日本がどうしてできたのか、戦後の世界は一体どうしてできたのか、(こん)(にち)に至るまでのいくつかの問題、一九四五年、昭和二〇年をスタートとして、その後の国際的な動きをかいつまんでお話をしよう。


 申すまでもなく、占領軍政策はね、『自由化・民主化』という政策であり、それが今の憲法であり、教育基本法であり、警察予備隊の改組であり、内務省の解体とか、司法制度の確立とか、婦人に参政権を与えたり、そして当時の指導者を全部追放、いわゆる公職追放に処したり。とにかくねぇ、日本の民主化っていうのは本当の意味でね、日本人を自由化・民主化をするためにだけ、かかる占領政策がとられたものとは、誰も思う人はいない。ただね。その後、大きく国際情勢が変わって、普通ならばその占領軍政策はいっぺん全部白紙にして、もう一回、新しい視野と立場と角度から、日本人に望ましい諸制度・諸法規がつくられることこそ望ましかった訳だ。


 しかしね、そんなことをしなくても、(こん)(にち)はちゃんとあるでしょ、これはね、日本の力だけでなったんじゃないんだよ、そこがよく理解をされなきゃならない。いいですか。


 しかしね、人間は豊かになってくると勝手なことをいうもんだ! 今のような弱体化政策をそのまま残しておったなら、日本はどうなるかわからんから、変えよう! 今のうちに芽を摘もう! 日本に合う憲法をはじめ、諸制度・諸法規をつくる、こういう動きが出てくるのは、これは当たり前なんです。必然性なんです。


 ところがねぇ、社会党とか野党の諸君はねぇ、憲法改正などに一番強く反対する、特に共産党だ! そうでしょ。社会党、共産党は絶対反対なんだ!


 まぁ、諸君にひとつだけいいますとね。三公社って、日本電信電話公社(現・NTT)、日本国有鉄道公社(現・JR)、それから日本専売公社(現・JT)。郵政省設置法、これよく見てごらんなさいよ、日本文じゃないから。全部直訳だ。それを直訳などというもんじゃない! 付帯条項さえも許さない。それだけじゃない。


 憲法に書いてあるんだから、『国会は唯一無二の立法府である、余は衆議院議員である、よって憲法の定めるところ議員立法をおこなう!』と、わしは宣言したことがある。そしたら当時の占領軍、民政局のホイットニー少将、ケージス、ウィリアムスというような国会対策の将軍が国会へ来てね、『そういう法律を出したら、お前を公職追放にする』って。『どうして追放にできんだ。わしは、アメリカの国会議員じゃねぇんだ!』といったら、追放できなかったがね。


 そのときにできたのが、いまの道路三法。大正八年制定の道路法をやめて、現行道路法を昭和二八年に公布した。有料道路制度をとった『ガソリン税を目的税とした道路整備の財源等に関する法律』を明治以来初めて採用した。最初はみんな反対だった。政府も反対だったけどね。アメリカも反対だった。

『こんな大きな道路を造ったら、軍用道路として西ドイツが第二次世界大戦を起こした時と同じになる』


 わたくしもねえ、この野郎! と思いましたがねぇ。


 そういう意味では、日本の占領軍政策の中で、道路を造り、鉄道を敷設する、港湾を整備する、空港の開港などは、夢にだに考えられることではなかったんだ! そういうものがね、ちゃんと今日我々の生活の基盤になっている。


 そういうものを認めようとしない、そういうものを無視して、いつまでもいつまでも、自分たちが反対をした憲法が、このままにしておくほうが自分たちに有利だというような狭義な評価から、そういう政策とか態度をとっているから、彼ら(野党)は、過半数以上の国民から支持を得ることができないのであります。


 憲法があって、日本があるんじゃないんですよ!


 憲法がどうあろうと、我々は(なに)(びと)かが、我が家を犯すときに黙ってますか?

『憲法があるんだから、殺すなら、殺せ?』


 そんな馬鹿なことがあるか! 自衛権だ、自衛権。これだけは共産党だけははっきり、しっかりいってるね。自衛権があるんだ、と。自殺したいものにはさせろ! っていうんだ。そんな簡単にさせられるか、とは思うけどね。


 いずれにしてもね。憲法がどうこうというよりも、西ドイツやフランスやNATO諸国と比べて、日本はね、戦略的要衝として各段の優位に立ったということだ。日本人はあんまりそういうことを国会で議論しないけどね。議論しなくてもいいことは徹夜してやっててね。してもいいことはやらねぇんだ。それが国会の一部である。そうじゃないですか!


 中国というのは共産党だというんですがね、わたしはあの(しゆう)(おん)(らい)首相と会ったときにこういった。

『わたしはあの~、共産党好きじゃない』と。嫌いだとはいえないからね(笑)。『好きじゃない』といった。『中国は便宜共産主義だと思う』とわしはこういったの、飯食うときにね。『どうしてかっていうと、八億も一〇億人もいる国家がね、日本のように、民主主義だ、自由主義だといったら、これはどうなるもんだがわからん』といった。二人の子どもが喧嘩するのも親が止められないくせに、一〇人もいたら治まらん。


 まぁ~今日ね、五つ子が生まれたっていうけどね、あれ大きくなったら親が泣くぞ!


 あれがまぁ~、とにかく大変なもんだな。しかし、一○人も子どもがいたってどうしようもない。参っちゃうね。


 しかし、中国は天下泰平じゃないんです。『黄河文明を申すまでもなく、地球上に住む全人類の中で最高の知識階級である中国人がね、便宜以外で共産主義者となるはずがない。だからわたしが来たんです』とこういったんです。第一ね、『世界中で最も重要な経済論者は誰だ、それはユダヤと華僑だ』っていったの。


 周恩来首相は、『あんた、勉強しておられますねぇ』なんていってましたがね。


 みなさん、こういうね、少し楽々とした雰囲気のなかで、真実でね、誰でもうなづける、お互いに意思の疎通を図ることが重要なんだ。そして厳しい現実のなかにも、後代に向かって雄大な理想を実現するようにしなきゃならんのがね、政治ですよ。


 我々はね、戦後三五年、これはね、かけがえのない人生を経験したのかも知れません。あまりにも変化が激しかったのでね。後代に褒められるような実績を残したと自負することはできません。


 しかし、これだけ大きな国際的変化に日本は対応してきた。少なくともね、いいですか。わたくしがここでもって諸君にいえるのは、世界は、民主自由主義と社会主義どっちかの対立だ。戦後、冷厳な事実の上に立って、自由主義・民主主義国家群のなかに我々は位置をちゃんと決めたんだ。思えば、我々の選択は路線的には誤りではなかった。


 誤りでなかったというよりもね、日本人の血がそれを求め、日本人のほとんどすべてはだ、その日本人の考え方が、今日までの日本政治の基盤を容認しているんですよ。


 おんなじ人(自民党)が三五年もやっている。なかには問題も起こす。わたしもその一人だ(笑)。ロッキードなんて、もうこっちも身震いするほど嫌だけど(笑)。時がこなきゃ解決しないからしょうがないよ、もう。わしは三権分立の体制を守る! 日本の法律諸制度をそのまま容認する、とこういう立場に立っているんだから。


 しかしまぁ、国民から見ればね、こんちくしょうと思うだろうね、それはわかる。にもかかわらず、自民党を支持しておるんだから。『七日会』にはこれだけの時代を担う諸君が研修しているじゃないですか!


 政治は誰のものでもない。国民全体のものなんです! そしてお互いの生命であり、将来の我が子、我が孫に継承される生命なんだ。そういう意味で諸君、自信を持って、我々、お互いが、波動、激動限りないなかで今日までたどり着くことを得たように、これからも一つしっかりとした足どりで前進をしようではありませんか! 諸君の自愛健闘、心から祈ってご挨拶を終わります」



 昭和五六年九月六日、田中角栄六三歳の至言である。


 なお、本書序章には、自由民主党の党三役である幹事長の(たに)(がき)(さだ)(かず)氏、総務会長の()(かい)(とし)(ひろ)氏、政務調査会長の(いな)()(とも)()氏の三氏に結党六〇年史について直撃したインタビューを掲載した。ご多忙のなか、取材にご協力いただいたことをここに記して感謝致します。


平成二八年五月

(おお)(した)(えい)() 

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