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ルポ・エッセイ
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『エイリアン9』に驚け!

『おたく神経サナトリウム』
[著]斎藤環 [発行]二見書房


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 やあ。日本一「萌え」にくわしい精神科医だよ。今度から連載なんだそうだ。だからこのイカした連載タイトルも自分で考えた。せいぜい期待してくれたまえ。


 それにしても、惜しまれつつ終了した『地球少女アルジュナ』、みんな観てたかな? いやあ、こんな素晴らしいものを毎週テレビで観られるなんて、せんせいはひさびさに感動したよ。とりあえず、あの変なクリオネみたいなコスチュームに敬意を表して、ハンバーガー断ち。「愚かな……」とか「いただきます」とかも、しばらく口グセになりそうだ。


 ところで、この河森正治って監督は、同時進行で『地球防衛家族』もやっている。FAXで地球防衛の指令が来たりテレカで変身したりとシャレの効いた演出をするこのヒトが、シャレにならない『アルジュナ』をやっているのはなんとも不思議な話。インタビューでも自然農法とかインド神話とか話しているから、やっぱり本気みたいだ。「プロパガンダにはしない」と言っているけど、こんなストレートなプロパガンダ作品、いまどきめずらしいって。ああじつにユカイ、っていうかカユいよ、これ。

エイリアン対策係の少女たち

 それはそうと、今回メインで取り上げようと思うのはバンダイビジュアルから六月に発売予定のオリジナル・ビデオ・アニメーション(以下、OVA)『エイリアン9』だ。これは一九九九年にヤングチャンピオンで連載された、富沢ひとしの同名漫画が原作となっている。連載当時から傑作との評判が高く、アニメ化の噂は聞いてはいたが、まずは無事完成を寿(ことほ)ぎたいね。


 漫画好き、アニメファン、ゲーマーは重なり合いつつ棲み分けているから、漫画ファンには認知度が比較的高かったこの作品のことも、まだ知らない人が多いだろう。物語の基本フォーマットは、簡単に言えば「戦闘美少女」もの。近未来の「第9小学校」を舞台に、「エイリアン対策係」に選ばれた三人の少女、「ゆり」「くみ」「かすみ」たちが活躍する。次々に学校に飛来する謎のエイリアンを捕獲するのが彼女たちの任務だ。この係に選ばれると、共生型エイリアン「ボウグ」を体に寄生させなければならない。ところがエイリアンが苦手な「ゆり」は、この係が嫌でしかたない。それでも学級委員長タイプでしっかり者の「くみ」や、天才肌だけど寂しがり屋の「かすみ」たちに支えられ、エイリアン退治に精を出すが……。


 原作も単行本が三巻出ているから、まあ読んでみてくれ。傑作と思うかどうかはともかく、なんとも奇妙な作品なんだ。アニメ絵っていうか、ちょっと前に「ぷに」ってあったよね、キャラはまさにあんな感じ。スパッツ姿の小学六年生という設定も「萌え」狙いでなければ何だろうか? 寄生エイリアンの「ボウグ」は、彼女たちの垢を食べて生きているという設定なので、風呂場や保健室でのトップレスシーンも満載。なんだかこう書いてみると、ありがちのロリ作品に思われるかもしれないが、どうしてさにあらず。


 せんせいは戦闘美少女研究家でもあるので判るのだが、戦闘美少女ものにしても、これはちょっとめずらしいタイプの作品ではないかな。少女三人組という設定は『セーラームーン』みたいな「チーム系」だし、エイリアンを退治するという目的がはっきりしている点は『はいぱーぽりす』みたいな「ハンター系」、戦闘の学習や才能の差が問われるあたりは、ちょっと「スポ根系」も入っているか。でも問題はやっぱり「寄生」だな。


 戦闘美少女にはそれこそ、宇宙人もいたしサイボーグもいた。けものもいれば小学生もいた。でもね、「寄生」ってのは、さすがに思い当たらない。もちろんちょっと「変身」っぽくもあるし「念力」や「魔法」っぽい面もある。でも、「寄生」ってのは、かなり特異な設定だ。これからは「寄生萌え」ってのもありだな、うん。ないとは思うが。


 読めばわかるが、とにかく可愛いし、おそろしくグロテスクだ。「不気味可愛い」なんて生やさしいもんじゃないね。キュートな小学生たちが、カエルの頭に羽根が生えたような生き物を頭にのっけて戦う姿は、血と漿液まみれの天使といったところ。おまけに漫画の語り口が、妙に引いた視点と外したリズムをキープしていて、一種の離人感(現実味が感じられないこと)めいたもどかしさが続く。


 これでアニメ化できるのかなあという不安もあったが、プロモーション・ビデオを観て安心した。これはいい。すごいハマっている。むしろアニメ向きだったんだ。声優の演技も違和感ないし、ローラースケートでエイリアンを狩る躍動感とか、ほんと素晴らしい。ボウグの武器は羽根から無数に繰り出される、ワイヤー状の「ドリル」。瞬時に放射状に展開するドリルが「カカカカ」と壁に突き立つ絵なんか、じつにアニメ映えしてゾクゾクするなあ。まあ、グロの部分は多少薄まるだろうが、うん、これなら買いですよ。

萌えのないところに思想もない

 そもそもこの作品、物語自体がすごく寓話的、というか抽象的で、いくらでも深読みができるのもいいところ。本来、戦闘美少女ものでは、「敵」はしばしば大人の女性だったし、少女の「変身」は「成熟」の隠喩だった。この作品についても、そうした図式は部分的にはあてはまる。そう、ここに描かれるのは、思春期の少女たちのとまどいなんだ。エイリアンとの共生は「成熟」を意味している。「くみ」は断念とともに成熟を受け入れ、「かすみ」は孤独を逃れるために成熟を楽しもうとする。そして「ゆり」は、いつまでも成熟を恐れ、拒否し続ける。ね、ハマる解釈でしょ?


 しかし、ここにはもう一つのテーマが見て取れる気がする。それは「共生」の問題だ。『エイリアン9』の世界では、エイリアンはもはや敵ではない。それどころか、一部の人間にとって「共生」は避けられない選択なんだ。それじゃあ、なぜ「ボウグ」だけが味方で、ほかのエイリアンが敵視されるのか。それはたまたま、「ボウグ」が先に共生をはじめたからに過ぎない。ところが「共生」を積極的に受け入れた「くみ」も「かすみ」も、エイリアンに取り込まれて一体化してしまう。こうなると、もはや「共生」じゃなくて「乗っ取り」だね。


 皮肉にも、「共生」への不安や嫌悪感を最後まで捨てきれなかった「ゆり」だけに希望が託されたということ。まあ、それが希望なのか不安なのかは、簡単には言えないけどね。しかし希望も不安も、「未知」に対する感情という点では同じこと。そして、「未知」と向かい合うための倫理があるとしたら、それは「知れば知るほど、未知は増していく」という謙虚さを保つことじゃないだろうか。


 話を戻すと、『アルジュナ』のカユさというのは、アニメで正論を説かれる辛さだ。正論というのは、いきなり結論を見せちゃうんだ。そこには未知への謙虚さが欠けている。だいたい正論からは、ダイナミックな物語が生まれない。同じエコものでも『もののけ姫』(一九九七年)のほうに分があるのは、宮崎監督が結論が出せない迷いをそのまま物語の原動力にしてしまったところなんだろうな。この『エイリアン9』にも、「共生」することの難しさにかかわる、未知のヒントが沢山つまっている。でも、作品では結論なんか出していない。そう、「共生」が本当によいことかどうかなんて、誰も知りゃしないんだから。


 ただ、楽しげに共同生活をする女の子たちの姿を見て、束の間ほっとすること。そして、期待とも不安ともつかないラストシーンに戦慄すること。このシーン、たぶん文章や実写じゃ無理だろうなあ。だから、せんせいはあらためて痛感したね。「萌え」のないところに「思想」もないんだってことをさ。つまり、こういう驚きこそが、漫画やアニメに固有の論理で描かれた「思想」そのものなんだな。


二〇〇一年五月号

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