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(2021/11/26 追記)

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乱談のセレンディピティ
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生き方・教養
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1 乱談

『乱談のセレンディピティ』
[著]外山滋比古 [発行]扶桑社


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 英知を身につける術



 乱談ということばはない。


 どうしても必要だから、勝手に造った。よいことではないが、この際、お目こぼしいただきたい。


 すぐ、乱読を思い合わせるかもしれないが、大きく異なっている。


 乱読はひとりでできる。ひとりでなくてはできないが、乱談は、もちろん、ひとりではできないし、二人でも難しい。三人寄ればかろうじてできるが、なお、不足。四、五人くらい仲間がほしい。


 乱談は、筋道が通っていては窮屈である。話が入り乱れて、収集がつかないのがおもしろいのである。


 同じようなことをし、似たことを考えている人たちだけでは、行儀がよくて、うまく乱れることが難しい。


 隣りは何をする人ぞ、というのでも困るけれども、“同業者”だけでは、なかなか乱談にならないだろう。


 小さな専門をありがたがり、特殊な知識を誇るような人たちでは、乱談は始まらない。ほかの人のことはよくわからない。自分のこともあまりよくわかっていない。そういうノンキな人間が、トリなき里のコウモリ、のように、まくし立てるのが、乱談である。


 ひとの言うことをいちいち、批判、ケチをつけるのが生き甲斐、といった人は乱談のメンバーには不適当である。珍しいことはなんでも飛びついて感心する、お人好しが、すぐれた乱談を起こす。


 話すより、読むほうが高級であり、書くのはもっとも高度の知的活動であるように考えるのは近代の迷信である。


 話すことは、読むことより容易であるように考えるのも、教育のつくり上げた迷信である。何でも話せるわけではないが、文章にするよりはるかに多くの深いことを伝えることができる。もちろん、愚にもつかぬ“おしゃべり”が多いけれども、本当の心は、文字ではなく、声のことばにあらわれる、ということを理解するのは、いわゆる教養以上の知性を必要とする。


 ものごとを、あるがままに、伝えるのは、りっぱな芸である。しかし、すでに存在するものごとを、いくら、上手に、正確に、表現しても、世の中はすこしも進歩しない。


 新しいこと、価値あることは、未来形である。いくら新しい本を読んでも、新しいことの出てくることは少ない。


 読書と知識から生まれた発見は、ほんものではない。本当に新しいことは、談論風発の風に乗って飛来する。それをとらえるのが英知である。いくら本をたくさん読んでも、その英知を身につけることが難しいことを文化の歴史は示しているように思われる。


 違った仕事をしている人、異なる専門の人が、用もないのに会合するというのは、功利的な社会において、きわめて難しいことである。しかし、新しいことは、そういう異質交流の間においてのみ生まれるらしいことをスペシャリスト、プロフェッショナルをありがたがる社会では考えることが難しい。



 日本人の視覚信仰



 乱談ということばがないのも不思議ではない。


 乱談がきわめて少ないからである。


 目は大切にする。百聞は一見に()かず、というのは、日本だけのことではないらしく英語にも、「見ることは信ずることなり」(Seeing is believing)ということわざがある。耳をバカにしているのである。


 大きな目的のためである。乱談ということばを造ったことを許していただきたい。かつて、コトダマノサキワウクニ(言霊の幸う国)といわれた日本である。乱談によって大きなものが得られると信じる。

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