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続 山口組若頭暗殺事件
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ルポ・エッセイ
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はじめに

『続 山口組若頭暗殺事件』
[著]木村勝美 [発行]イースト・プレス


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 暗殺事件当日、宅見勝若頭ら山口組大幹部3名の行動を、山口組総本部内から(ちく)(いち)、暗殺チームに連絡していた人物がいた。


 五代目山口組組長の渡辺芳則が居宅としている本家の部屋住み組員で、中野会から派遣されていた男である。


 彼は、中野会会長の中野太郎が破門された日、中野によって山口組本家から連れ出され、京都の居宅内に()()された。


 こうした事実が明らかになったのは、宅見の暗殺現場に居合わせながら、からくも難を(まぬか)れた山口組総本部長の岸本才三と同副本部長の野上哲男らの検事調書からである。



 宅見暗殺事件は、平成9年8月28日午後3時半ごろに起こった。


 ヒットマン・中保喜代春の検事調書によると、暗殺チームが宅見若頭を狙って、山口組総本部近くに集まったのは同日午前7時ごろのことである。


 宅見暗殺の首謀者は、中野会若頭補佐で壱州会会長の吉野和利、現場指揮者が財津組組長の財津晴敏で、実行部隊はつぎの4名である。


 鳥屋原精輝 加藤総業


 中保喜代春 神戸総業


 吉田武   至龍会


 川崎英樹  誠和会


 ヒットマンたちは、財津の指示で山口組総本部近くで待機場所を4度変更した。


 彼らは山口組総本部と公園をへだてた反対側の道で指示を待った。2本の川にはさまれたグラウンドと公園の間の道である。


 彼らは路上に停めた京都ナンバーのセダンのなかで拳銃を握りしめていた。


 平成11年4月10日に録取された中保喜代春の検事調書には、つぎのようにある。カッコ内は私の補足である。

「財津から拳銃を準備するよう指示があったので、私は、(あし)(もと)に置いたポリ袋から拳銃を出し、吉田と川崎に1丁ずつ38口径の拳銃を渡し、私は45口径と38口径の拳銃を持ちました。


 そして、私は、いつでも拳銃を使えるようにしておこうと思い、拳銃を腹巻ではなく、ズボンの前ポケットにいれることにし、吉野会長から『撃ちつくせ』といわれた45口径の拳銃を()き腕側の右側のポケットに、38口径のほうを左側のポケットにいれました。


 ポケットにいれた拳銃はずしりと重く、しかも、『これから宅見組長を、これで殺す。そのときは、おれも返り討ちにあうかもしれん』と思うと、ポケットのなかの拳銃が何倍にも重く感じられ、その分だけ、私の気分も沈んでいくようでした」


 さらに、

「私たちは、ここで宅見組長が(総本部から)出てくるのを待つことにしました。ここは、本部を出てきた宅見組長が、この道を通ると想定して、(橋の手前の)交差点で宅見組長の車にこちらの車をぶつけて止め、襲撃するという計画でした。


 公園の真ん中付近に財津組長がウロウロしているのが見えました。


 財津組長は、ひっきりなしに携帯電話で電話をかけているようでした」


 財津は、宅見の動静に関する情報を集めていたのである。


 30分後、彼らは、財津の指示でふたたび待機場所を移動させた。


 首謀者の吉野が車に近寄ってきた。

「とにかく、当日の吉野会長の表情は鬼気迫るものがあり、もはや手段など選ばず、宅見組長をなんとしても暗殺するのだという執念がむきだしになっていました」(前出の中保供述調書)


 実行部隊は、30分ほど待機した。

「午後3時前ごろ、財津組長が鳥屋原の携帯に電話をかけてきて、『もう(宅見は本部を)出てしもた、北から行ったらしい。オリエンタルホテルへ行ったらしい。おまえらもオリエンタルホテルへ行け』と命令してきたのです」(前出の中保供述調書)


 彼らが、暗殺現場となった新神戸オリエンタルホテルに着いたのは、同日午後3時ごろのことである。



 いったい、だれが、宅見若頭たちの動静を暗殺チームに通報していたのだろうか。


 山口組執行部は、事件発生直後から傘下の各組に対して情報収集と本部への報告を指示した。


 山口組の調査能力は、警察のそれをもしのぐといわれている。


 すぐさま確度の高い情報が続々と集まってきた。配下の組員が暗殺チームにくわわっていた組織のトップが、山口組の報復を恐れて情報を提供したからである。


 集まってきた情報は、中野会の犯行を()()するものばかりだった。


 平成11年4月10日に神戸地検で録取された野上哲男の供述調書は、つぎのように語っている。なお、同供述調書は、私の責任で読みやすいように、一部要約している。

「当然のことながら、山口組の若頭を襲撃し、殺害するということは末端の組員の判断で実行することなどありえず、間違いなく中野会会長の中野太郎の指示にもとづき殺害しているはずです。


 この若頭殺害は、中野会若頭補佐の壱州会会長である吉野和利が、中野太郎の指示にもとづき指揮者となって実行したものと、私はにらんでおります」


 宅見若頭ら3人が、凶行現場となった新神戸オリエンタルホテル内のティラウンジ「パサージュ」へ行くことが決まったのは、事件発生の1時間半前、山口組総本部の廊下での立ち話からであった。


 したがって、宅見らの動静を知る者の範囲はおのずと限定される。


 平成11年4月9日に神戸地検で録取された供述調書のなかで、山口組総本部長の岸本才三は、つぎのように語っているので、一部要約のうえで紹介する。

「午後2時ごろ、本家を出て総本部事務所にもどり、総本部1階の応接室兼会議室で30分ほど3人で雑談をしております。


 その後、宅見若頭が、『お茶でも行こうか』といい出したのです。


 その場所ですが、私の記憶では、玄関につづく廊下で話が出たと思います。この廊下は勝手口と理解してもらって結構です。


 総本部事務所には、敷地内の駐車場からはいりますが、この駐車場の入り口から先ほどの廊下までは距離にして約70メートルあります。


 副本部長(野上哲男の意)が、『西村のコーヒーでも行きましょうか』といいますと、宅見若頭は、『オーパでええやないか。オーパにしよう』といい、オーパに行くことになったのです。


 このオーパといいますのは、新神戸オリエンタルホテル4階のティラウンジ・パサージュのことです。


 このように宅見若頭、私、野上副本部長の3人が、これからパサージュに行くことになったのですが、このことは、このとき、事務所にいました本部の部屋住み組員、本家の部屋住み組員も知っていると思います」


 当時、山口組の敷地内には、本部の部屋住み組員が13人、本家(渡辺組長の居宅)の部屋住み組員が1718人いた。


 岸本才三の供述調書をつづける。

「私ら3人がパサージュに行くことに決まりましたのは総本部を出る直前ですから、総本部および本家にいただれかが、襲撃犯人らの指揮者に宅見若頭がどこに行くか、連絡をとっているはずです。


 そうでなければ、パサージュで襲撃され、宅見若頭が射殺されることはないからです」


 さらに、岸本は核心部分について、つぎのように供述調書のなかで答えている。

「山口組総本部から襲撃犯人らの指揮者に携帯電話で連絡をとった人物につきましてはわかっています。


 中野会の若い衆です。


 この中野会の若い衆は、本家の部屋住み組員をしていました。


 この若い衆の名前までは私は把握しておりませんが、調べたらわかります」


 岸本は、この人物の名前をあげることを(ちゅう)(ちょ)している。

「その中野会の若い衆というのは、中野会K組のH・K(原文では実名表記)ではないか?」


 検察官が、つっこんでたずねている。事件の背景に迫れるからである。


 それでも岸本は名前をあげるのを避けた。彼は前出の供述調書のなかで、こう語る。

「なぜ、この中野会の若い衆が襲撃犯人の指揮者に、私をふくめた3人の行き先を携帯電話で連絡した人物かというと、事件後、総本部にいた者らから、私たち3人が車で総本部を出た後、総本部内の駐車場から何回も携帯で、どこかに連絡をしていたと聞いておるからです。


 拳銃で襲撃する場合、実行犯、いわゆるヒットマンのほかに、ヒットマンを指揮する者、また、犯行の見届け人がいることはヤクザ社会では常識でありますから、本家部屋住みの若い衆が襲撃犯の指揮者に、携帯電話で連絡しているはずです」


 この内部通報者について、山口組副本部長の野上哲男は、平成11年4月10日付の検事調書のなかで、つぎのように語っている。

「私ら3人がパサージュに行くことを決めましたのは総本部を出る直前でありますから、総本部および本家にいただれかが、襲撃犯人らの指揮者に宅見若頭、私、総本部長がパサージュに向かったと連絡をとっているはずです。


 事件後、本家部屋住みの若い衆、これは中野会傘下の組員ですが、この男が、総本部敷地内の駐車場から何回か携帯電話で、どこかに連絡をとっていたと、総本部にいた者から聞いております。


 当時、本家および総本部にいた部屋住み組員で、中野会傘下の組員は1名だけです。


 この男が、宅見若頭、私、総本部長がパサージュに向かったと襲撃犯人の指揮者に連絡していることは間違いないのです」


 検事は、この本家住み込み組員の所属組名や個人名をあげて野上にたずねている。前出の供述調書のつづき。

「当時は知りませんでしたが、事件後、この男がH(原文は実名表記)という組員であることを、当日の当番責任者から聞いております。現在、中野太郎会長の家にいると聞いております」


 暗殺チームに情報を提供していた男が、山口組五代目組長の身辺につかえる中野会傘下の組員だったという事実は、山口組直参組長たちに衝撃をあたえた。


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