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続 山口組若頭暗殺事件
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ルポ・エッセイ
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「宅見を殺(や)る。おまえらそのメンバーや」

『続 山口組若頭暗殺事件』
[著]木村勝美 [発行]イースト・プレス


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 宅見勝若頭暗殺事件の1カ月ほど前になる平成9年8月上旬、中保喜代春の携帯に、彼の親分にあたる桑原美津男(神戸総業組長)から電話がはいった。


 中保は毎月、50万円からの金を組長に上納している。月によって渡す日時はさまざまだったうえ、桑原が増額を求めていたこともあって、この電話は上納金に関するものかなと、彼は気楽な気持ちで電話口に出た。


 だが、そんな生易しいものでないことを、中保は間もなく知ることになる。


 平成11年4月4日に神戸地検に録取された供述調書のなかで、彼は、つぎのように語っている。なお、(はん)(ざつ)さを避けるため、私の責任で文章の一部を書きかえて紹介する。

「神戸総業組長の桑原美津男からの電話の内容は、至龍会の宮本徹会長から10時に事務所へきてくれというもので、『おまえを好いとる吉野和利(壱州会会長)もくるらしいぞ』というものでした。


 この時点では、どういう用件で呼びつけられたのかは聞かされていませんでした」


 当時、至龍会の宮本は、中野会の関東ブロック長をしている実力者のひとりである。


 関東ブロックというのは、関東地区に進出している中野会傘下の各組の利害などを調整する機関のことである。中保と宮本は同ブロック会議で何度も顔合わせをしているが、中野会での格の違いから直接話をしたことはなかった。


 そんな関東ブロック長からの呼び出しである以上、出向かないわけにはいかなかった。このときの心境について、中保はつぎのように語っている。

「吉野がきていると桑原組長から聞き、私は、内心、また吉野は余計な仕事を持ってくるのかな、会いたくないなと思いました。しかし、吉野と私の関係は、会社でいえば専務と平社員の関係のようなもので、そんなことは素振りにも見せるわけにはいきませんでした」(前出の中保供述調書)


 中保喜代春は、東京・新宿区荒木町にある至龍会の事務所に向かった。


 事務所に着くと、至龍会の若頭が中保を左手奥の6畳ほどの洋間に案内した。


 中保は、事務所奥に宮本の顔を見つけると軽く頭をさげて会釈した。

「ご苦労さん」


 宮本が短く挨拶を返してきた。


 この日、至龍会事務所に呼び出されたメンバーは次の通りである。いずれも中野会の枝の組員であった。


 佐藤忠則 拓竜組組長


 岩野昌司 拓竜組組員


 宮川正高 高山組組員


 氏名不詳


 吉田武  至龍会組員


 中保喜代春 神戸総業若頭補佐


 6畳の部屋で中保と至龍会若頭が雑談をしているところに、40歳ぐらいの男がはいってきた。

「拓竜組の佐藤です」


 と、男は自己紹介をした。


 彼は、ここに呼びつけられた()()を知っているような様子だった。


 中保は、ここに呼ばれた理由を佐藤にたずねた。

「前にも集められて仕事をしたんだ。きょうもそんな件だろ」


 佐藤は、奥歯に物の挟まったような言い方をした。


 指定された時間が少し過ぎたころ、吉野和利と森山義信(義信会会長)がやってきた。


 これを機に彼らは6畳間の奥にある10畳間に移った。


 吉田、岩野、宮川、氏名不詳の若い衆らが顔をそろえた。


 8人の男がそろうと部屋が手狭になった。


 彼らは、吉野の指示でソファとテーブルを部屋の隅に片づけた。


 前出の中保供述調書を紹介する。

「吉野は、この部屋の中央にひとつだけ残したソファに、森山は、吉野の右横に胡坐(あぐら)をかいて座りました。


 吉野も森山も真剣そのものの表情であり、私たち6人も、なにがはじまるのかわからないまま緊張して、吉野に向かい合う形で座りました。


 吉野は、私たちを見下ろすように全員をゆっくりと見据えながら、押し殺すようなドスの()いた声で、『ここに集まってもらったのは、ほかでもない。(かしら)の宅見が東京におる。あいつを()るから居場所を探せ。きっちりタマを取らないかん。おまえらはそのメンバーや』といいました」


 五代目山口組若頭の暗殺指令が吉野の口から飛び出したとたん、一同は凍りついた。


ありがた迷惑が現実に!



 中保供述調書をつづける。

「私は、これを聞いて、『まさか、(かしら)は身内やないか、なんで殺さなあかんのや。信じられへん』と思ったのですが、吉野の態度は真剣そのもので、とても冗談をいっているようには見えませんでした。


 さらに吉野はつづけて、『ええか、まずは宅見の居場所を探すんや。あいつが東京のどこにおるんかわからんが、とにかく東京で出入りする場所を探せ。何カ所かわかってるところもある。宅見の車(のナンバー)は1番や。1番の黒い車をチェックせえ。森山の指示にしたがって探せ』といいました。


 私たちは、いきなり、このようなとんでもない計画のメンバーを命じられて、頭が真っ白になり、呆然としてしまいました」


 呼び集められた6人のメンバーは、だれもが顔を伏せていた。声をあげる者もいなかった。タバコの煙が室内に充満し、息苦しかった。


 森山が口を開いた。


 彼の発案で、ふたり(ひと)(くみ)の班にわかれて宅見を探すことになった。


 吉野がいった。

「班同士の連絡は佐藤と一本松を中心にして取りあえ。とりあえず、宅見の居場所を是が非でも探し出せ。わしらも調べる……」(前出の中保供述調書)


 一本松というのは、中保喜代春の稼業名である。


 森山がつづけた。

「とにかく、班にわかれて宅見を探すから、おまえらで段取りをせえ。早よ、探しに行け」(前出の中保供述調書)


 6人のメンバーは、宅見の居場所を探す相談を別の場所ですることにし、昼ごろ、至龍会事務所を出た。


 わずか1時間ほどの謀議だったが、全員、綿のように疲れはてていた。


 中保喜代春の供述調書をつづける。

「私は、吉野と森山から自分の所属する山口組の、それもナンバー2である宅見組長を殺すなどという、とんでもない計画を聞いて、全身から血の気が引く思いでした。


 そもそも、なんでそんなことをせなあかんのやろ、と合点がいきませんでした。


 しかし、吉野と森山の態度は、私たちに理由を詮索することすら許さず、なにも考えずにいわれたことをやれ、といわんばかりのものでした。


 私は、宅見組長を殺る理由を聞くこともできませんでした。


 私は、そんな大それたことにかかわりたくない、えらい話に巻き込まれた、と思いました。しかし、中野会の統制力は他の組と比べても厳しく、このような重大事を知りながら、そこから抜けるなどといい出せば、おそらく私は口封じをされると思いました。


 肝心の話のときは席をはずしていましたが、宮本会長も中野会関東ブロックの長として、当然、この計画は知っているだろうし、だからこそ、至龍会の事務所の一室をこの日のために貸し、また、自分の若衆である吉田武を差し出しているのだと思いました。


 吉野は中野会の最高幹部のひとりであり、その吉野がこの計画を進めている以上、中野会の組員のなかでこれを止められる者は、はっきりいって、いないのです。


 もう、すべては決定されてしまっており、いまさら枝の組員である私がなんといおうと、どうにもならないと思いました。


 私は、吉野に出会ったことを恨めしく思いましたが、いわれたとおりにやらなければ自分がどんな目にあうかわからず、いわれた通りにやるしかないと思いました。


 中野会の統制の厳しさはその場にいた全員が知り抜いており、みんな私と同じように考えていたはずです」


 中保喜代春が供述調書のなかで悔いている吉野和利との出会いは、この日の謀議から半年ほど前のことである。


 ヤクザ者の世界ではよくあることがきっかけだった。彼の供述調書をつづける。

「私は、極道の世界では『一本松輝希』という稼業名を使っており、この事件のころもその名前を名乗っておりました。


 私は、吉野和利から、いわゆる一本釣りの形でヒットマンに抜擢されました。


 この事件の当時、吉野は中野会壱州会の会長で、中野会若頭補佐の地位にあり、中野会最高幹部のひとりでした。しかも中野会長の信頼が厚く、そのため他の親分衆からも一目おかれており、まわりからは恐れられ、強大な発言力をもっていました。


 私が、その吉野と知り合ったのは、たしか平成8年の終わりごろか、平成9年のはじめごろと記憶しております。


 当時、私の所属する神戸総業の企業舎弟の愛人が経営していた韓国ホストクラブで山健組系の組員が暴れたため、この店が守料を払っていた住吉会の組員が店に駆けつけ、暴れている男を殴りつけて怪我をさせるというトラブルがおきました。


 その後、山健組の組員はこのことを根に持ち、何度も店にきてはイヤガラセをしたので、愛人の困惑を見た企業舎弟が神戸総業に相談にきたことから、私は桑原組長らとともに仲裁のために出かけたのです。


 住吉会のほうでも山健組を抑えるには同じ代紋の中野会をと考えたようで、吉野が、この仲裁の場にあらわれたのです」


 吉野は頑固一徹で、いい出したらきかない攻撃的な性格の男だった。

「吉野は気難しいうえに口うるさく、近寄りがたい雰囲気がありました。


 その吉野がこのトラブルの仲裁案を出したのですが、山健組の者には不満だったらしく、あろうことか吉野に食ってかかったのです。


 私は『ばかやろう。おまえ、だれに対してものをいうとるんじゃ』と、どなりつけてやったのです。


 私の所属している神戸総業も中野会の傘下にあり、中野会の最高幹部である吉野がなめられたままにしておくのでは、今後、中野会の名前が軽んじられることにもなりかねず、私としても黙って放置してよい場面ではなかったのです。


 その後も、私が山健組に対して一歩も引かずにこのトラブルを解決してみせたことで、吉野は私を非常に気に入り、以後、私に目をかけてくれるようになったのです』(前出の中保供述調書)


 吉野和利は、中保を中野会直参に昇格させる根回しをしている。

「私は、中野会本家の寮長、つまり、部屋住みの若衆の責任者になったことがありました。


 中野会本家の寮長は1、2年で直参になれるという地位であり、中野会傘下の三笠組の、その下にある神戸総業の一組員たる私にとっては、これは異例の大抜擢でした。


 こんな抜擢も吉野の根回しがあってのことで、いかに中野会のなかで吉野の力が大きかったか、ご理解いただけると思います。


 しかし、正直いって私は、極道の社会で出世したいという野心はなく、神戸総業で切り取り、つまり、債権回収の仕事をしているだけでも毎月100万円の収入があり、それでじゅうぶんに満足していたので、吉野が私に目をかけてくれるのは、はっきりいって、ありがた迷惑でした」(前出の中保供述調書)


 そのありがた迷惑が現実のものとなったのが、この日の謀議である。

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