ヤクルトを退団後、私がアメリカに渡ったのは、野球に携わる仕事をしたかったからだ。コーチ、あるいはフロント、ゼネラルマネージャー、スカウト体制──メジャーリーグの組織は日本よりも先んじていた。メジャーの組織の中に潜り込んで勉強、それを日本に持ち帰るつもりだった。
しかし──。
英語が話せる元プロ野球選手だったとしても、易々と受けいれてくれるほど甘くはない。江夏さんをブルワーズに入れていれば、立場は変わったかもしれない。しかし、結果が残らなければ評価されない。アソシエート・スカウトというのは、使い捨てのスカウトである。自分の力をもっと見せつけないとメジャーリーグの組織の中には入れないのだ。
人生を動かすのは、意思、努力も必要だが、運もある。
私は旅行代理店が軌道に乗ると、不動産業にも手を広げていた。すでにマンションの賃貸交渉で、不動産業の知識もできていた。日本はバブル景気となり、アメリカへの投資が盛んになっていた。
二五万ドルで買ったアパートが四〇万ドルに跳ね上がったこともある。懐に余裕ができた私は、球団経営に乗り出すことにした。アメリカの野球界に潜り込むのが無理ならば、買ってしまえばいいと考えを変えたのだ。