このロッテ、そしてパドレスとの交渉は九六年末から九七年五月まで約半年続いた──。
球団から騙し打ちに遭い、日本では報道陣に追い回され──そうした状況で平静を保てというほうが無理だろう。時間が経てば経つほど選手は不安になる。伊良部さんにとって野球はかけがえのないものだ。それを取りあげられるかもしれないという不安と戦わなくてはならなかった。
「伊良部さん、ここは我慢しなきゃいけない」
私は彼に言った。同時に自分にも言い聞かせていた。
伊良部さんのことを日本のマスコミは、野茂さんの時と同じように、いや、それよりも厳しい論調で「わがまま」「悪童」などと書き立てた。