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宇宙シナリオからのメッセージ
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生き方・教養
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新興宗教にハマった大学時代 〜障がい者福祉の道へ

『宇宙シナリオからのメッセージ』
[著]賢者テラ [発行]日本文芸社


読了目安時間:5分
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 どこで、どう間違えたのか。


 三十代後半になって、ふと自分の人生の現実を客観的に見て考えた。


 生まれてからこのかた、私は少なくとも人生を「前向きに」生きてきた。道を自ら踏み外そうとしたこともない。


 なのに、運命は私が頑張るのを無視するかのように、暗転していった。


 小中高を通して、私は結構、勉強は頑張った。理系は苦手だったが、得意の国語と英語を生かして、ある外国語大学へ入った。


 自分で言うのも何だが、私は基本真面目で誠実な性格で、先生や親に反抗するとかまったくしなかった。


 それどころか、従順なゆえかもしれないが大人、特に学校の先生という人種には好かれ、本の貸し借りなど個人的に付き合うくらい仲が良かった。当時、若者たちの間ではやっていた「尾崎豊」の気持ちなど、これっぽっちも分からなかったものだ。


 でも、従順で学校時代に教師たちから好かれ評価が高かったことが、その後、社会に出て何の役にも立たないことを思い知ることになる。



 大学に入り、「さぁ、今からキャンパスライフを満喫するぞ!」と意気込んでいた入学式からまだ一週間もたっていないある日、あるサークル活動の勧誘を受けた。


 人のいい私は、断る理由もなく二つ返事でその人物について行った。実はそれは、大学のサークル活動を隠れ(みの)にして若者を集めている、あるキリスト教系の新興宗教のものだった。


 大学生ともなれば、人生や宇宙の根本問題について考えてみることも大事だよね、ということで、教義を若者向けにうまく()み砕いた入門的な内容を講義される。それをおとなしく聞いているうちに、そこでの独特の考え方がなじむようになってくる。


 そして頃合いを見計らって、ここが実はどういう所か、そして教祖様は誰か、ということを明かされる。さすがは新興宗教の信者獲得マニュアルと言おうか、その頃には私は見事に受け入れて、感動すらしてしまった。


 あれだけ大学生活楽しむぞ!と思っていたのに、その宗教によって「一日も早くこの堕落した世界を救わねば!」ということで、宗教活動に熱心に取り組んでいくようになった。


 今度は私のほうが、大学構内に立ち、駅前に立ち、大学生をターゲットに伝道活動をするようになった。「ミイラがミイラ取りになった」のだ。自分の楽しみのために時間を使うとか、もう考えられなかった。まるで仮面ライダーが「世界の平和を守るため、愛する人とゆっくりしたり遊んだりするよりも戦いのほうに身を投じていく」のと同じように、私の脳内は「いかにして一人でも多くの人にこの真理を伝えるか」しか考えることができなくなっていた。


 私の世界のすべては、当時、この宗教の教義を中心にして回っていた。



 しかし、四年の宗教活動に終止符が打たれる事件が起こった。


 私はそれまでひた隠しにしていたが、結局、親にバレた。そして心配した親が私の目が覚めて脱会できるようにと、あらゆる手を尽くして説得してきたのだ。


 教義が深く根づいていた私はかなり強情に抵抗したが、半年くらい経って、最後は、「やっぱりこれでは幸せにはなれないのかな」と冷静に考えだした。熟慮の末、私は教団を去った。



 やっと、普通に生きようと思えたのが、大学四回生になってからだ。


 それまでは、勉強など二の次で、時間さえあれば教義の勉強と勧誘活動に充てていたから、外語大にいながら実力としての語学力はからっきしだった。


 何せ、「世界を救う」ことに忙しすぎて、大学は「最低限単位を取れて卒業できればまぁいいや」という認識でいたからだ。宗教に首ったけだった時は、卒業後の進路などその宗教内での献身者(教団内で仕事を得、その世界で自立した生活をしていく)になることが当たり前と考えていた。


 しかし、必死の救出を試みた親によって、普通の人生行路に戻されてしまった(結果としてはよかったのであるが)。貴重な四年間を宗教に捧げ、本分であるところの「語学の勉強」をおろそかにした私に、条件の良い就職先などあろうはずがない。


 就職活動も、宗教問題でゴタゴタしたせいで皆より大幅に出遅れ、まったく気持ちが乗らなかった。



 進路も定まらないある日のこと、子ども好きだった私は、何を血迷ったか急に「保育の道」を目指したくなった。


 現在では「保育士」と呼ぶが、私が若い当時は「保母(保父)」という名称だった。


 私は親を説得して、大学卒業後に保育専門学校に入り直した。それこそ今までの反省から必死に勉強し、それまで触ったこともないピアノもゼロからの出発で必死に習得し、何とか保母資格を取った。


 しかし、運命の女神さまは、保育にすべてを懸けて頑張ってきた私に冷たかった。


 当時、今ほど男性保育士(当時は保父)というのは当たり前ではなかった。その頃はまだ、「女性の社会」という感じが強く、就職活動でいろいろ回ってみたけれど断られ続け、どこにも入り込めなかった。


 私とともに専門学校で学んだ男性の同級生は、私を除くと三人。女性が二百人いたことを考えても、どれだけ男性比率が少ないかお分かりになるだろう。ちなみに四人のうち二人は、うまく地元の保育園にもぐり込むことができ、就職が決まった。


 私は、誰よりも勉強も実習も頑張った、全力を傾けたという自負があった。それだけに、私が念願の「保育関連の道」に進むことができなかったことは、悔しいことだった。



 やはりここでも先生受けが良かった私は、どこにも就職できない私があまりにも()(びん)だったのか、先生がコネである就職先を(あっ)(せん)してくれた。そこは、子どもは関係なく、成人した障がい者の方々が仕事をするいわゆる「作業所」と言われるところであった。介護福祉士が望ましいが、その先生の推薦なら保母資格でも採用OKだという。


 就職浪人をする余裕もなかったので、私は作業所の職員となることを了承した。面接や試験もほぼ形だけで、すんなり就職が決まった。


 私は結果として、この作業所で七年間職員をすることになるが……。


 それは、その後の崩壊への幕開けであった。


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