『本当に賢い人の 丸くおさめる交渉術』
[著]三谷淳
[発行]すばる舎
バトナを有効利用する
ここまで、私が1万件の交渉を経験する中でわかった丸くおさめる交渉のコツをすべてお伝えしてきました。
最終章では、相手が喜び自分が得する交渉の実践例を、ケース別に見ていきましょう。ぜひ、これまでお伝えした交渉法を復習しながら読んでいただきたいと思います。
価格交渉は、交渉の中でも最もオーソドックスな条件交渉の1つで、みなさんがビジネス上で実践する機会が一番多いケースだと思います。
交渉の基本はバトナです。相手より条件の良いバトナを事前にどれだけ準備できるかが交渉の結果に大きく影響してきます。
【設例】
あなたの会社は、業容が拡大して現在のオフィスが手狭になったため、もっと駅に近くて広いオフィスに移転することになりました。
あなたはその物件を探して条件を交渉するミッションを受け、オフィスビルの仲介業者にいくつかの物件を紹介してもらったところ、その中に気に入った物件があったので、そのオーナーと賃料の交渉をすることになりました。
自社の予算に比べて少し坪単価が高いので、なんとか坪単価を下げてもらえないかが交渉のポイントになります。
あなた
「この物件の広さは100坪となっていますが、坪単価はどれぐらいでしょうか」
オーナー
「坪単価は共益費込みで2万円でお願いしています。100坪ですので、月額賃料は200万円になります」
※最初の条件提示は、できるだけ相手にしてもらうようにします(あなたは、最初からオーナーが限界ギリギリの家賃を提示しているわけではないと感じました)。
あなた
「なるほど、そうですか。このビルにはこの部屋の他にも、空室となっている部屋はありますか」
オーナー
「広さは若干違いますが、3区画ほど空室があります」
※契約の最初の段階ではできるだけ相手の話を聞く役に徹します。ここでは相手のバトナを聞き出すことに成功しました。他にも空室があるということは、あなたがすぐに契約をしなくても代わりの借主がすぐに現れるという状況ではないということがわかりました。
あなた
「この物件は探していた理想の条件に近いのでぜひお借りしたいのですが、ちょっとうちの予算をオーバーしてしまいます。もう少し賃料を下げていただくことはできないでしょうか?」
オーナー
「東京オリンピックまではまだ家賃相場は上がると言われています。できれば200万円でお願いしたいのですが、御社の予算はどれくらいですか?」
あなた
「はい、当社はまだまだ売上も社員数も小さな会社です。これからどんどん成長していこうと頑張っておりますが、現時点ではあまり大きな固定費を作ることはできません。100坪の月額賃料で170万円が上限であると考えています。近隣の相場を考えても坪1万7000円は平均的な賃料だと思います」
※交渉は事前の準備が8割。事前に近隣の賃料相場を調べてあります。
※かけひきレスの交渉。最初は図々しいくらいに安い金額をぶつけて、アンカリング効果による値切りを図るという考え方もありますが、この物件を借りたとしたらオーナーとは長いお付き合いになるので良好な関係を築きたいものです。かけひきをせず、掛け値なしの本音で条件を伝えています。
オーナー
「うーん。参りましたね。さすがに月額180万円はお願いできませんか」
※ここで、「間を取って175万円」ということもできますが、相手から見える景色を想像することによって、相手も喜ぶような期待値を飛び越える条件を考えます。
あなた
「わかりました。それではこうさせていただけませんか。
もし、今回私どもが入居しなかったとすると、しばらくこの部屋は空室のままになってしまい、おそらく半年間は一切賃料が入ってこないことになると思います。また、仮に契約が決まっても短期間で引っ越されてしまうと、部屋の原状回復や再び賃借人を募集するのに大きなコストがかかってしまうでしょう。
当社がお借りすることができるのでしたら、最低6年間は賃貸借契約を継続することを保証します。このことを条件にしますから、最初の2年間は月額150万円でお借りし、3年目以降は月額180万円をお支払いするということでお願いします」
オーナー
「わかりました。6年以上の長期で借りていただけるというのはありがたいですから、その条件で契約させていただきます」
※短期間で退去されると余計な費用がかかるというオーナーから見える景色に着目して、6年以上の期間賃借することを約束するという相手の喜ぶ条件を提示しました。
その結果、当初の家賃を抑えることによって6年間の平均賃料は月額170万円となり、長期的に考えるとあなたの会社も得する条件で契約することができました。
【設例】
あなたの会社は印刷用の紙を納める卸問屋です。最近紙の原料であるパルプの値段が上がったことが原因で紙の値段も上がっており、自社の努力ではコスト増を吸収しきれなくなっています。そこで、取引先である印刷会社にも負担をお願いし、卸値を少し上げたいと考えています。あなたは担当者として、印刷会社であるW社に値上げの交渉をすることになりました。普段の注文は電話で受けることがほとんどですが、今回はW社に訪問して直接お願いすることにしました。
あなた
「こんにちは。ごぶさたしております。いつもひいきにしていただいてありがとうございます」
※リアル最強の法則。値上げのお願いは相手の嫌な顔を見たくなくて、ついメールや電話に逃げてしまいがちですが、難しい交渉だからこそ、相手の顔を見て直接話をするようにします。
W社
「こんにちは。こちらこそ、いつもありがとうございます。今日はどうされましたか?」
あなた
「いつも社内にいますと、うちが納めさせていただいている紙が実際どのように印刷されて製品となっているのかイメージしにくいということもありますので、印刷後の完成品をいくつか見せていただきたく、おじゃましました」
W社
「そうですか。ぜひ見ていってください。これはメーカーから依頼があった商品のパンフレットです。その他にカレンダーやカタログなどの印刷が多いのが当社の特徴です」
あなた
「なるほど。どれも写真などをたくみに使って素晴らしい印刷精度ですね。月にどれぐらいの印刷物を出荷しているのですか」
W社
「パンフレットは10万部、カタログなどは平均1万部くらいでしょうか」
あなた
「紙はどのくらいストックを持っておくのですか」
W社
「できるだけ紙が必要となったときにその都度注文するようにしています。あまり保管スペースがありませんし、在庫を持つとそれだけむだになりますから、できるだけ在庫を持たないのがうちの方針なのです」
あなた
「紙はうち以外の他社さんからも入れられているのですか」
W社
「はい、広告や名刺などに使う紙はX社さんからも仕入れさせていただいています。ただ、うちの主力商品であるパンフレットやカタログなどはカラー写真印刷で画質が良くなければなりません。御社から仕入れる紙はそのレベルを満たしているのですが、なかなかX社のものではこのクオリティが出せません」
※交渉の最初に聞き出すべき5つのことを聞き出しました。
①相手にとっての最優先事項(価格か、納期か、性能か)
W社にとっては価格よりも紙の質が優先であることがわかりました。
②相手の強みと弱み
W社は印刷業としては付加価値の高い高精度カラー印刷を得意とする強みがありますが、紙のストックを保管するスペースがないという弱みがあることがわかりました。
③相手の期限
できるだけ紙の在庫を持たないようにしているので1カ月間入荷が止まると仕事に支障が出るということがわかりました。
④相手のボトムライン(最低限達成したいこと)
パンフレットやカレンダー、カタログといったカラー写真印刷に耐えうる紙質の紙を仕入れたいということがわかりました。
⑤相手のバトナ
安い紙は他社にも購入ルートを持っていますが、上質紙については他社には購入ルート(バトナ)を持っていないことがわかりました。
あなた
「実は本日は、少しお値段を上げさせていただけないかというお願いでうかがいました。ご存じの通り世界的にパルプの値段が上がっていて当社だけではどうにもできず、取引先のみなさまにも少しずつご協力をお願いしたいのです」
W社
「本当ですか? 困りましたね。うちもなかなかお客様に値上げをお願いするのは難しいし、できれば勘弁してもらいたいですよ」
あなた
「たしかに大変心苦しいのですが、社内で一律5%上げさせていただく方針となってしまい、これまで1㎏当たり140円で納めさせていただいていた最上質紙を147円でお願いしたいのです」
※ここでもかけひきレスの交渉をして、最初から本音掛け値なしの金額を伝えています。
W社
「それではうちの利益がなくなってしまいます。うちは古くからかなりの量を仕入れて御社にも相当お役に立っていると思うのですが、なんとかなりませんか?」
あなた
「申し訳ありません。金額についてはどうにもなりません」
※相手には在庫もバトナもないことから、強気で交渉を進めても交渉が決裂しないことをふまえて話をしています。
あなた
「もっとも、本日印刷されたパンフレットやカタログを拝見しましたが、最上質紙を使わなくても、もう1ランク下の上質紙を使っていただければお客様には十分喜んでもらえると思います。一般の方にはほとんど違いがわからないレベルですから」
※相手から見える景色を想像して、相手の期待値を飛び越える条件を提案しています。
W社
「その上質紙はいくらになりますか」
あなた
「上質紙でしたら1kg当たり135円で納めることができます。ですからこれまで140円だった原価を4%近く下げることができるのです。カレンダーについては写真が大きくなるのでこれまで通り最上質紙を使っていただく方がよろしいかと思いますが、それでもトータルではコストを削減できると思います」
W社
「そうですか。では、うちは御社に頼るしかないので、これからもよろしくお願いします」
※最上質紙を購入してもらっても、上質紙を購入してもらってもあなたの会社の利益は変わりません。
しかし、相手から見ると紙の質を若干落としても印刷後の商品のレベルが落ちないのであれば、コスト削減になります。このことに注目し、自社にとっては値上げをしつつ、相手の会社にとってはコストの削減につながる提案をすることができました。
※交渉の初期段階で相手にバトナがないことがわかったことも強気で交渉ができた理由の1つです。