『ハリルホジッチ 勝利のスパイラル』
[著]ローラン・ジャウイ
[著] リオネル・ロッソ
[発行]日本文芸社
一九九三年五月。戦争はまだ終わっていない。それどころか最悪の状態に達していた。クロアチア兵はボスニア・ヘルツェゴビナ全土を恐怖で支配していた。モスタルも例外ではない。ハリルホジッチは家族を避難させ、どうにか日常生活を営もうとしていた。中立主義は貫けるだろうか。選択肢は残されていない。いつかは動かなければならない。意に反するとしても。
モスタルから千四百五十キロほど離れたフランスで、ハリルホジッチの未来が動きだしていた。
パリの十六区の2Kのアパルトマンの電話が鳴った。ディアナが電話に出た。かけてきたのはボーヴェのジェネラルディレクター、ベルナール・クイネルだった。ナントにいた数年間、ハリルホジッチと頻繁に交流していた。
「ご主人と話がしたいんですが」
「無理です。わたしですら、夫がどこにいるのか、わかりません」
「お願いします、大事な話なんです。彼に仕事を頼みたい」
「明日もう一度お電話ください。できるだけのことはやってみます」
これまでも時々そうだったように、ハリルホジッチの物語は必然的に好転する。思いがけない形で。ディアナがなんとかしてハリルホジッチと連絡をとろうとしていたとき、ハリルホジッチは、フランスからボスニアへ送られる人道支援物資の輸送に関わっていた。実際、定期便の運航が維持されていたクロアチアのスプリットを通って、フランスから物資を空輸することは可能だった。ハリルホジッチは、時々この方法を使って、妻や子どもたちと手紙のやりとりをしていた。
状況を簡単に説明すると、つまりこのとき、ハリルホジッチは、薬や衣服、食料をもって、パリとモスタルの間のどこかにいたのだ。この間、なんとかしてハリルホジッチと会おうとする努力が続けられた。本当に会えるだろうか?
果たして、ハリルホジッチは妻と連絡をとることができた。妻は急いで夫にクイネルの話をした。翌日の昼すぎ、ボーヴェの幹部たちとパリで会えるよう、できる限りの手が尽くされた。
彼の冒険には、いくらか叙事詩的なところがあるかもしれない……英雄伝説のようなところが。それまでの彼の人生でも時々そうだったように、すべてが困難で、予定どおりにはいかなかった。ボーヴェの幹部たちに会うためには、いくつもの障害があった。ハリルホジッチは、勇敢にも、軍隊に囲まれた危険な国境を越え、新しい人生へ向かおうとしていた!
ベルナール・クイネルが会いたがっているといっても、ハリルホジッチにはそれ以上のことはわからなかったが、クイネルは当時、契約期限が来たギー・ダヴィド監督の後任を探していた。ボーヴェは三十八人の監督候補を考えたが、誰一人、クイネルは気に入らなかった。変わった男だ。選手たちの代弁者として、幹部たちとは違う考え方をしていたのだ。ルーアンの会長時代にボーヴェと関係するようになり、ボーヴェの組織を強化し、徐々にプロ意識を高めようとしていた。
クイネルは同僚たちの尊敬を勝ちとっていた。一九九〇年に癌にかかったときには、誰もがクイネルはもう終わったと思っていた。しかしクイネルは病魔と闘い、全力を尽くして光明を見出した。現在も後遺症は残っているが、クイネルは病気に打ち勝った。
机の上の三十八人の履歴書を見ても、クイネルは満足できなかった。彼に言わせると、「これ」と思える人がいなかったのだ。そのとき、『フランス・フットボール』の小さな囲み記事を思い出した。ハリルホジッチがフランスに戻ってくるかもしれないと書いてあった。この話の出どころは、おそらくミロだろう。八〇年代の初め、ミロはハリルホジッチを熱心に売りこんでいた。最近では覚えていないようなふりをするが。
話の出どころが誰かは、どうでもいい。大事なのは、ボーヴェにはハリルホジッチが必要だということだ。ハリルホジッチには監督としての経験はない。だから、どうした!
「ボーヴェには、真面目で、意志が強く、誠実で、簡単には妥協しない、チームを率いる能力のある人物が必要だった。ハリルホジッチにはすべてが備わっていた」
クイネルは自分のやり方は正しいと確信していたという。ハリルホジッチのことは、よく知っていた。癌との闘いに勝ったばかりのクイネルは、ハリルホジッチの経歴に興味をもった。特に、戦争を生き延びたというのは大きい。人生のアクシデントを乗り越えてこそ、人は成長できる。