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ハリルホジッチ 勝利のスパイラル
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実を結んだ、これまでの「投資」

『ハリルホジッチ 勝利のスパイラル』
[著]ローラン・ジャウイ [著] リオネル・ロッソ [発行]日本文芸社


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 二〇〇一年十二月、ハリルホジッチはこう述べている。

「私はチャンピオンズリーグの決勝を見てから、トリノ、バイエルン、アヤックス、パルマへ向かった。マルチェロ・リッピに二回、会った。監督たちには、それぞれの信条があることがわかった。それぞれから多くを学ぶことができた。みな、新しく学ぶべきものをもっていた。組織のことだったり、チーム運営のことだったり……。それらは、私自身のサッカー哲学を構成する要素となっていった」


 ハリルホジッチはリールの英雄となり、過去の自分への投資が結実したことを実感していた。失業時代、サッカーを憎んでいたかもしれないことは、忘れていた。今となっては信じがたいことだ。


 まずは、トリノ。ハリルホジッチはユヴェントスに二週間いた。ジネディーヌ・ジダンという選手のかなり控えめなデビューを目撃した。元ナントのストライカー、ハリルホジッチは、月並みであるが自分もジズーと同じように、昔、大成功を収める前に、祖国から遠く離れて、伝統あるチームに適応する難しさを経験したことを思い出していた。


 この偶然の出会いは、ハリルホジッチに、仕事への意欲と、当時のユヴェントスの監督、マルチェロ・リッピにアドバイスを求める勇気を与えた。プライドを抑え、他人から学ぼうとする勇気だ。ユヴェントス滞在中、何度かディディエ・デシャンとすれ違ったが、後に彼と同じ輝かしい舞台に立つことになろうとは思いもしなかった。


 オランダでの滞在には、それほど実りはなかった。アヤックスの幹部と会った。当時の監督ルイ・ファン・ハールは、ライバルになりそうなハリルホジッチに、敵意に近い不信感を抱いていた。ハリルホジッチの決意を感じていたのだろうか? いずれにせよ、簡単な言葉を交わしただけだった。

「ファン・ハールは、私が彼の秘密を盗むのではないかと心配していた。私は、コーチングのメソッドに興味があっただけなのに」と、数年後、ハリルホジッチは語っている。


 それでも旅は続いた。ハリルホジッチにはそれしかなかった。旅を終えたとき、彼のノートは、何ページにもわたって、隅までびっしり書きこまれていた。今でも肌身離さずもっているノートだ。さらに、ハリルホジッチは、マルチェロ・リッピに意見を求めた。二人の間には、浅からぬ縁が結ばれることになる。ハリルホジッチは、一九九七年の威信をかけた試合で、ユヴェントスがPSGに6対1で勝ったとき、間接的に協力していたのだ!


 次はドイツだ。ボルシア・ドルトムントがチャンピオンズリーグを制覇したばかりで、ハリルホジッチはルール地方に一週間滞在し、オットマー・ヒッツフェルトと頻繁に会って大いに刺激を受けた。


 それからドルトムントへ戻り、ミュンヘンに立ち寄って、バイエルンへ向かった。ドイツでハリルホジッチを迎えた一人に、ジャン=ピエール・パパンがいる。「ストライカー同士」、よろしく! 二人のストライカーは、サッカーについて上等なアイディアを交換し合った。パパンとのディナーで、ハリルホジッチは鋼鉄の意志を取り戻した。


 ハリルホジッチ監督の(ほう)()が成長していく「サッカーの()()」を巡る旅のラストは、バルセロナとパルマだった。それぞれの旅先、それぞれの出会いが、途方に暮れていた男に力を取り戻させ、監督業にたどりつく(かて)となっていった。



 この間、刺激の少ないボーヴェでは、妻のディアナは彼女なりに夫の運命に従い、娘のヴァニアと息子のヴァニオは自由に行動していた。父親はほとんど家にいない。家にいるときも、いないのと同然だった。家族に迷惑をかけたことは、ハリルホジッチの後悔の一つである。だが、いずれ、ハリルホジッチは、家族の忍耐と愛情を百倍にして返すことになる。もうしばらくすれば、人生と周囲の人たちが彼に報いてくれる。理想どおりに夢がかなうときが来るのだ。


 つまり家族は、ハリルホジッチを限りなく信頼していたのだった。二〇〇一年十月二十日の『レキップ・マガジン』で、妻のディアナは、世間は夫を鉄の男と呼ぶが、夫のことは心から愛していると語った。

「……あれほどの不幸を経験して、慎重すぎるほど慎重になった夫は、少ない情報の中で、確信できることだけに固執して(から)に閉じこもり、人を近づけないようになり、ひどく誤解されました……。ずっと前から、勝っても負けても、成功しても失敗しても、夫は世間が思う虚像に立ち向かって来ました。私は二十八年前から夫を愛していますが、それは、夫の心の深いところに、思いやりがあるからです。夫はカッとなりやすく、騒いだり、大げさだったりすることもありますが、いつも高潔な人です。私にはわかっています」


 ある夜、ハリルホジッチのアパルトマンの電話が鳴った。ハリルホジッチが電話に出た。かけてきたのは、ナントの元キャプテン、アンリ・ミシェルだった。ボシスやアミス、バロンシェリと同じく、いつもハリルホジッチに優しい言葉をかけ、応援のメッセージを寄せてくれる友人の一人だった。生まれて初めて、ハリルホジッチは、ラジャ・カサブランカという名前を聞いた。モロッコのクラブで、監督を探しているという。


 自分には本当に選択権があるのか? 拒否する権利があるのか? 三年も失業していて屈辱のときを過ごしてきた自分に?


 直感がハリルホジッチを岬の向こうに誘った。憧れのクラブではないものの、夢をかなえられるクラブかもしれない。


 いつも同じような行動をし、他の何よりも自分の運命を信じる……ハリルホジッチは頑固だ。三年間の不当な罰から多くを学んだとしても、ハリルホジッチの直感は時々、ハリルホジッチを軽率な行動へ導いた。(あつもの)に懲りて(なます)を吹く、か? いや、違う! 将来の見通しなしにボーヴェを去った後、ハリルホジッチは、自分には必ず輝かしい未来が待っていると信じ、自分の才能を信じていた。のちのカサブランカでもリールでも同じだった。自分の星とサッカーは、いつか自分に報いてくれると信じていた。


 ハリルホジッチは危険を好む男でもあるのかもしれない。後に、ヨーロッパのビッグクラブにいる自分を想像して、絶頂でリールを去るときも、危険を味わうことになる。フランソワ・ピノーがレンヌでの慎ましい挑戦をハリルホジッチに提案するまで、無職の時間が続くのだ。そのときハリルホジッチは、ベルリッツで英会話のレッスンを受けていたのだが、思いがけなく中断することになる。PSGを解雇された後、また受けることになるのだが。


 シェイクスピアの国の言葉をマスターするというのは、未来のための向こう見ずな賭けであり、達成しなければならない目標であった。ビッグクラブから声がかからないのは、自分の履歴書に語学力が欠けているためだと思っているのかもしれない。


 ボーヴェ後と同様、所属するクラブがなくなるたびに、ハリルホジッチは、新たに「失業地獄」を背負って生きることになる。そのたびに、家族と忠実なベルナール・クイネルが現れる。

「ハリルホジッチは頭が良く、勘がいいから、噓の話はできない。だから、いつも、エメ・ジャケの例を出して、辛抱強く待つように勧めるんだ。彼も、ワールドカップで優勝する前には、ナンシーやモンペリエで監督をしていたじゃないかって」


 成功するための辛抱。ハリルホジッチ監督の信条と言えるだろう。一度死ぬことによって、より良く生まれ変わり、人々の前に自分の正しさを突きつけることができるのだ。リールでの黄金期に監督としてもてはやされたハリルホジッチは、苦悩と(ほう)(こう)に満ちた、通過儀礼のための道のりを、厳しい教訓のように好んで思い出した──「サッカーという家族は私を忘れなかった。これは、お返しのようなものだ」


 ルイ・アラゴンの言葉が思い出されるかもしれない。

「愛は死より強い。だからこそぼくは生きるのが苦しい」

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