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若者よ、アジアのウミガメとなれ 講演録
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解説 加藤順彦は、「あきない人」である [田中泰延]

『若者よ、アジアのウミガメとなれ 講演録』
[著]加藤順彦 [発行]ゴマブックス


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「春夏冬 二升五合 大阪城」と書かれた湯呑み茶碗を見たことがあるだろうか。わたしはこの文字を目にするたびに、ある男が、今この瞬間に何をしているだろうかと考える。





 1988年の春だった。わたしは18歳だった。大学生になったわたしは大阪から上京して、一人暮らしをはじめたばかりだった。



 多くの18歳がそうであるように、わたしも何も考えずに東京の街を歩いていたのだが、ある日、同じ大学の同級生から声をかけられた。以前からお互いに顔も名前も知っていた男だったのだが、突然、


「おれは今、ある人の指示で、使える学生を探しているんだ」



 彼はそう言った。わたしは、使えるとはなんだ、どういう意味だと尋ねたかったが、なおも彼は「とにかく、一度、渋谷にあるおれたちの事務所に来てくれ」と続けた。



 事務所とはなんだろう? 学生が渋谷に事務所?……ますますわけがわからないが、わたしは一週間もしないうちに渋谷に出向いていた。若さゆえの好奇心としか言いようがない。


「やっと来たな」



 この事務所の代表だという男がいたずらっぽく笑って言い、最初に声をかけてきた学生の左隣の机にわたしを座らせた。すると、わたしのさらに左隣に座った女が、小さな紙の箱を差し出した。開けるとそこには、ある会社の名前と、わたしの氏名が印刷された小さなカードがぎっしり詰まっていた。どうやらそれはわたしが人生で初めて手にする「名刺」のようだ。しかしどう考えてもそんなものを頼んだ覚えはない。が、間違いなくそれはそこにあった。左隣の女は嬉しそうに言った。


「はい受け取った。今日からあなたはここの社員」



 さらに、正面に座った見知らぬ男が、わたしが座らされた机を指差して


「これからそれがお前のデスクな。よろしく」



 と言った。



 こんな馬鹿な話はない。



 代表だと名乗る男、金野索一。わたしに声をかけてきた右隣の男、高橋広敏。勝手に名刺を刷って渡してきた左隣の女、玉置真理。そして正面に座った川田尚吾という男。この連中が「使える学生」なのだろうか。その日から、彼らと机を並べる生活が始まることになる。



 金野索一は、いかにも“策士”といった顔つきをしていて、彼の名前の索一という漢字を書くとき、わたしたちはいつも“策一”と間違って書いてしまうほどだった。高橋は、雑誌「メンズノンノ」のモデルのような二枚目で、玉置真理は東京大学法学部の一年生、美人東大生として雑誌やテレビにもよく取材されていた。川田は根っからの理系で、数字を交えてよどみなく話す男だった。




 そこからは、まさに疾風怒濤の日々だった。「事務所」とは、ある大手企業が学生だけに仕事を任せた事業部、というものだった。その事業部には学生しかいないのに、何らかの利益をあげているのである。いまでは考えられないが、80年代の終わり、日本が世界で最も豊かな国で、使っても使っても企業にお金が余った時代、というのはそういうものだったのだ。



 仕事の内容も決まっていなかった。この事業部を創設した企業が掲げた、ただひとつの目標は、「学生の目線で、学生しか気がつかないような儲け話をみつけて、学生だけで利益を上げろ」という乱暴なものだった。これで大学生にオフィスとその企業の名刺、月給はもちろん、売り上げに応じたボーナスなど、社員と同じような待遇を与えていた。



 わたしと同じように、「使える学生」としてスカウトされた10人ほどが働いていた。仕事は、毎日自分で考えてみつけなければならない。



 誰もが知っている酒造メーカーに突然電話をかけて、「わたしたちは学生だけで企画をする集団です。とりあえず、1千万円を預けてください。今の学生に売れるお酒の商品開発ができます」とふっかけてみる。大手旅行代理店の本社にいきなり訪ねて行き、「サラリーマンであるみなさんは、大学生がほんとうに欲しがるグアム旅行がどんなものかわかっていません。我々が内容を考え、人を集め、添乗しますので、まず1千万円予算を組んでください」と上から目線で話を持ちかける。とにかくなんでもイッセンマンと言ってみるのである。しかし驚いたことに、名だたる大企業が学生に大金を委ねて仕事をさせるのである。あとから振り返って、あれは「バブル」と呼ばれる状況だったとわかるが、その渦中にはそんな言葉はない。




 我々が全員で取り組んだ最大の仕事は、新入学生たちに無料で配布する、東京中の大学サークルを紹介する雑誌の発刊だ。大学生が注目する、何十万部と配られるフリーペーパーに広告を出したい企業は多いはずだ。そのプロジェクトが始まると、事務所は昼も夜もない、異常な熱気に包まれた空間になった。学業はそっちのけだ。とうぜん、わたしも1年生の単位はほとんどなにも取得できない。




 そしてわたしは、なぜ自分がそんなことに取り組むことになったのか知ることになる。


「誰がおまえたち“使える学生”たちを集めたか、その言い出しっぺに、大阪まで会いに行こう」



 ある日、金野代表は言い、わたしたちは新幹線に乗った。



 なにかオフィスのようなところへ行くのかと思ったら、着いたのは大阪・ミナミのディスコのVIPルームだった。そこで我々は妙に細身で、変なヒゲをはやした男と対面する。株式会社リョーマ 取締役 真田哲弥、と名刺にあった。噂には聞いていた。これが関西の学生を組織して株式会社を作ってしまった真田さんか。いちおう、まだ学生だというが、いったい何年生なのだというほど、わたしには大人に見えた。


「やっと来たな」



 彼はいつか聞いたようなセリフをいい、まくしたてるように話し始めた。



 …俺が使える学生を集めろと最初に言うたんや。ひとり頭のええヤツをつかまえたら、そいつは自分に似たヤツを連れてくる。そうやって集めたのが大阪の俺らと、東京のおまえらや。これから俺らが時代をつくるんや、俺らの中から東証一部に上場する社長が出るんや、おまえらは使える学生、いうて声かけられたやろ? 違うんや、おまえらは実は、「使われない学生」なんや、仕組みを変える人間なんや…



 激しく酒を呷りながらの彼の言葉は、夢想にしか聞こえなかったが、酔いが回ったのだろう、彼自身、現実にいるのか夢の中にいるのか区別がつかないようで、話している途中で眠ってしまった。



 すると真田さんの左右に寄り添うように座っていた二人が、話を継いだ。一人は、おだやかな仏像のような風貌をした人物で、名刺には、「株式会社リョーマ 代表取締役社長 西山裕之」とあった。こちらのほうが社長?と思ったが、どちらかといえばナンバーツー然とした態度だった。彼は座ったまま「まぁ、社長…いや、今は僕が社長か。真田は言いたいこと言ったら寝ますから」と静かに笑い、落ち着いた声で「いや、しかし、そういうことです」と言った。



 もう一人が立ち上がり、わたしの方を向いた。


「おまえ、田中じゃーん? 大阪生まれやろ? おまえは俺のこと知らんでも、俺はおまえの話を聞いてるで。さなさん寝てしもうたし、踊ろうや」



 なぜ、「じゃーん?」のところだけ標準語であとは大阪弁なのだろうか。「マーケティング事業部 加藤順彦」という名刺をくれた筋肉質の彼は、大胸筋を強調する仮面ライダーのようなぴったりとした服を着ているが、巨大な黒ぶちメガネが仮面ライダー部分と合致していない印象だった。真田という人も西山という人も学生に見えなかったが、この人も大人にしか見えない。彼は踊り狂いながら機関銃のように喋り続けた。わたしは、大音響のディスコで絶叫して会話する人間をはじめて見た。


「加藤順彦さん…じゅんひこさんと読むんですか」


「よりひこや。そんなことより踊れ踊れ」


「踊るんですか」


「踊らな損や。踊れ。みんな猿や。踊って踊って猿になれ。真田さんも猿や。おれも猿や。おまえも猿や。人間は、サル山の猿や。そやけどサル山に生まれたんやったら、ボスザルになれ」


「ボスザル? ボスザルになってどうするんですか?」


「ボスザルは、みんなの面倒を見るんや」




 それが、わたしと加藤さんの出会いだった。




 ディスコを出て、朝までやっている寿司屋に拠点を移した加藤さんは、湯呑み茶碗に書いてある文字を指差しながら「これ、なんて書いてあるかわかるか」と言った。


「春夏冬 二升五合 大阪城」



 わたしが素直に、はる、なつ、ふゆ、と読み始めると加藤さんは


「商い 益々繁盛 大繁盛」



 と読むんや、と言った。春夏冬で秋がないから「あきない」、二升でマスが二つだから「ますます」、五合は一升の半分だから「はんじょう」、大阪城は単に読み替えて「だいはんじょう」。



 おれは代々商売人の家に生まれたんや、と加藤さんは言った。




 大阪での、リョーマのメンバーとの対面を経て東京へ戻ったわたしたちの活動は加速した。おれたちは東証一部に上場する企業を立ち上げる。それも、仲間で協力し合ってひとつの会社を興すのではない。ひとりひとりが全員、別々に起業を目指すのだ。



 不思議なことに、「金持ちになりたい」と考えていた者はひとりもいなかった。ただ、まだ世の中にないもの、だが世の中に必要な何かを作れば、自分の正しさが証明できるはずだ。そうすれば、少なくともだれかに「使われて」一生を終えることはない。贅沢ができるか、できないか、そんなことはあとから考えればいい。今だって寝ないで働いても楽しいじゃないか…。おれたちはひとりひとりがボスザルになって、仕組みを変えるのだ。そんな空気がさらなる熱狂を呼んだ。




 だが、ある日わたしは、そんな夢のような話について行けなくなっている自分を発見した。そして4年生になり、最大手の広告代理店に就職を決めてしまったのだった。





 90年代半ばとなり、かつての仲間たちが本当に起業したという話が伝わってくる。ある者は杉並区のアパートの一室でたった3人で会社を立ち上げたといい、ある者はすでに興した株式会社を倒産させてしまったという。わたしは、そんな噂を聞くたびに大企業でサラリーマンをしている安堵感と、なぜ自分もチャレンジしなかったのかという後悔、二つの相反する感情の中で揺れた。



 そんな気持ちの中で、加藤さんの会社を訪ねたことがある。表参道交差点で信号を待っていたら、加藤さんが創業した「日広」という広告会社の看板をみつけたのだ。わたしは何の気なしに入って行った。すると、活気ある騒音に満ちたオフィスの真ん中で、仮面ライダーのような大胸筋を強調する服に黒ぶちメガネで絶叫しながら指示を飛ばす社長の加藤さんがいた。


「田中じゃーん!」



 何年ぶりかわからないが、加藤さんはまるで先週も会っていたかのように、急に入ってきたわたしに声をかけた。



 おれな、いま、業態を変えようとしてるねん。これからはインターネットの時代や。田中が勤めてるような大手の広告会社は、まだインターネットの可能性に気がついてないんや、いまならトップになれるんや、加藤さんはやはり機関銃のように喋った。




 21世紀に入った。加藤さんの会社は、あの日の言葉通り、電通や博報堂がインターネットのことを何もわかっていない間に、日本で一番大きなネット広告会社になった。加藤さんの商いは大繁盛したのだ。



 その後、わたしと机を並べた高橋広敏は、インテリジェンスという会社を立ち上げ、ほんとうに東証一部に上場し社長になった。東京の事務所の代表だった金野索一は、ボスザルを作る方法には政治という手段もあると考え、政治家を養成する学校を設立した。玉置真理はザッパラスという名前の会社で、川田尚吾はDeNAという会社、そして真田哲弥はKLab、西山裕之はGMOという会社で、それぞれが東証一部上場を果たした。



 夢想は、夢想ではなかったのである。



 だが、その中でも先頭を走っていたように見えた加藤さんは、挫折を経験する。ライブドアショックの衝撃の中で、自らの会社を手放すことになったのだ。



 あの商いの人、加藤順彦が、手じまいをするのだろうか。




 風の噂で、加藤さんがシンガポールに居を移したことを知った数年後。



「田中じゃーん!」




 いきなりSNSで加藤さんが話しかけてきた。うれしさのあまり、大阪で再会する。



 仮面ライダーのような大胸筋を強調する服を着て現れることは変わらなかったが、黒ぶちメガネはなくなっていた。コンタクトレンズに変えたんですね、と訊くと、コンタクトレンズの会社に出資している話が1時間始まってしまう。



 数年ぶりに会っても、機関銃のように喋るそのスタイルは変わっていない、いや、むしろさらにエネルギッシュになっていて、いま自分が何に再チャレンジしているかを一気に何時間も語ってくれた。




 それが、そのまま文字になっているのがこの本である。



「おれな、儲かることしかやらない加藤やねん」




 だが、そう言い切るわりには、どこか優しさと大きさがその眼光に加わったように感じる。時間をかけて若者の夢を聞く。そして出資するのは、世の中の仕組みを変えて問題を解決したいという夢を抱いた者に限る、という加藤さんが自らに課したルールは、優しさと大きさがなければ貫けないだろう。



 儲かることしかしない、という口ぶりは、むしろ、つい「意気に感じてしまう」自分を戒める言葉ではないか。




 そしてわたしは、加藤さんが製作総指揮を執る映画の構想を聞かされる。『Fly Me to Minami ~恋するミナミ』。大阪を舞台に、夢を追う日本の若者と、香港の女性、韓国の女の子の人生が交差する物語で、マレーシア人に監督を務めてもらう映画だという。



 そんなインディペンデントな映画が儲かるわけがない。やはり言っていることとやっていることが少し違う。だが、わたしはすぐにあることを理解し、手伝うことを決めた。



 映画は完成した。わたしはこの映画を100回、観た。予告篇を作るためだ。わたしは泣いていた。わたしは理解したのだ。この映画は、日本を飛び出し、自分の願いと誰かの願いを重ねるために生きると決めた加藤さんの存在証明だ。



 わたしはこの映画のために、街頭で配るフリーペーパーを作ることを企画した。映画に出てくる大阪の名所を巡り、ロケ地の紹介をする、観光案内にもなる雑誌だ。あの頃、学生に無料で配布する雑誌を夢中で作り、企業の協賛を得るために走り回った日々を、たった一人でもう一度やってみたくなったのだ。



 その作業は困難を極めた。10万部を大阪の街を歩く人に無料で配るために、名だたる大企業を訪ねてお金を出してください、と頼んで歩くが、これは無名のインディペンデント映画だ。当然、資金繰りがうまくいかなくなりそうになり、わたしは加藤さんに、


「赤字になりそうです。こうなったら、わたしが貯金を下ろして補填します」



 と告げた。すると加藤さんから返事が来た。


「身銭を切ってはいけない。おまえが損をしてはいけない。だが、諦めるな。誰かにこの映画に込めた気持ちが伝わる。その人はお金を出してくれる。だから、ペイするまで、諦めるな。


それが、商い や。」



 そして雑誌は完成した。わたしはもう一度泣き、加藤さんの願いと自分の願いをすこしだけ重ねることができたことを喜んだ。





 昨年、シンガポールの加藤さんを訪ねた。加藤さんは、前後にスケジュールがぎっしり詰まった中、一年中暑い熱帯のこの国の、眺めのいい場所を見せてくれようとして文字通り走りながら、汗だくになって案内してくれた。



 彼がなぜ秋のないこの地に軸足を移したかわかった。加藤さんは、永遠の夏の中で、誰かのためにずっと汗をかいていたいのだ。



 加藤さんは、秋のない人になったのだ。




 加藤さんはこの講演録の中で言う。


『流れ星に願い事を言ったら願いは叶うと。なぜならば、願い事をいつも反芻している人にしか、流れ星が見えなくなる前に願いを繰り返し言うことはできないからです。』




 加藤さんは、いまも毎日、若者に向けて機関銃のように喋っていることだろう。自らの願いと、若者の願いを重ねるための言葉を、飽きることなく繰り返して。



 加藤さんは、飽きない人なのである。




 幸運にも、この本を手に取った若者は、どうか願いをはっきりと言葉にして流れ星を探してほしい。そしてそれが、「金持ちになりたい」などではなく、「仕組みを変えて、みんなの面倒を見るボスザルになりたい」であることが、わたしの願いだ。


「春夏冬 二升五合 大阪城」と書かれた湯呑み茶碗は、いまも商売繁盛を願う人々の手の中にある。そして商いに生きる者たちは、今日も誰かに、この文字の意味を語り継いでいくだろう。


田中泰延(コピーライター)

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