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プロ野球「黒歴史」読本 メディアを騒がせた75人の男たち
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エンタメ
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大石達也

『プロ野球「黒歴史」読本 メディアを騒がせた75人の男たち』
[著]手束仁 [発行]イースト・プレス


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西武

甲子園出場実績はないものの、高校時代から145キロを超えるといわれた速球が評価されて早稲田大に進学。大学では斎藤佑樹や福井優也(広島)らとともに投手陣の三本柱といわれたが、ストッパーに徹し、2010年(平成22年)のドラフト1位で西武入り。


佑ちゃん人気のなかでの6球団競合だったが



 斎藤佑樹(早稲田大)と澤村(ひろ)(かず)(中央大)という二人の大学生投手が最大の注目となっていた2010年(平成22年)のドラフト。もっとも、澤村は早くから巨人を希望していることを公言して、「巨人以外だったらメジャーを選択することもありうる」とマスコミを通じて伝えていた。こうして巨人といわゆる相思相愛の既成事実をつくりあげた。それだけ外堀を埋められたら、あえて戦いを挑もうという球団があるのかと思われていた。事実、澤村は巨人が単独指名で獲得した。あえて競合とならなかったのは、この年はほかにも逸材が多くいたからかもしれない。


 また、斎藤に関しては、人気はもちろんナンバーワンだが、プロで即戦力として絶対的に勝てる投手かということに関しては疑問視する声もあった。それでも最終的には4球団が競合して、抽選の末に日本ハムが交渉権を獲得した。


 その一方で、斎藤以上に1位入札が競合したのが早稲田大の大石達也だった。当初から競合は必至といわれていたが、蓋を開けてみたら、横浜、楽天、広島、オリックスと、指名開始から立て続けに4球団が「大石達也」を指名した。前年から公開ドラフトと称して、会場で一般のファンが観覧できるようになっていたが、4球団が連続で大石を指名したことで、会場は大いに沸いた。


 その瞬間、すでに大石はこのドラフトで最大のヒーローとなっていた。「大石っていうのは、そんなにすごい投手なのか」というのが多くのファンの気持ちだったに違いない。豊作といわれた年で、百戦錬磨のプロのスカウトが1年がかりで見続けてきたなかで同じ名前ばかりが呼ばれたのだから、そう思うのが自然であろう。


 結局、9番目の阪神と10番目の西武も指名して、12球団の半分の6球団が大石を1位指名という結果になった。豊作といわれた年にもかかわらず、ひとりの選手にこれだけ指名が集中したのは驚きだった。


 ドラフトのおもしろさのひとつに、指名が重複してくじで交渉権を獲得する抽選がある。当然、抽選に参加する球団が多ければ多いだけ、見る側としてもハラハラ感があり、その(だい)()()を味わうことになる。「6分の1」の確率をどこが引き当てるのか、ギャンブル的な楽しさもある。くじ引きに参加するそれぞれの球団の代表者の表情を見るのも楽しみのひとつというドラフトファンも多くいるくらいだ。


 いってしまえば、ドラフトというのは、ただたんに大学生の進路が決まるだけのことであり、当事者以外は()()(ごと)にすぎない。しかし、プロ野球というエンターテインメント性の高い世界に進んでいく人たちに対して、期待と若干のやっかみも含めて、誰がどこに行くことになるのかということに対する興味は尽きない。ましてや公開ドラフトとなって、抽選そのものがさらにドラマ性を帯びていった。


 大石の交渉権をめぐっての抽選では結局、西武の渡辺久信監督が交渉権のある「当たりくじ」を引いた。じつは西武は前年も花巻東の菊池雄星をやはり6球団の競合の末に引き当てている。確率的にいうと、6分の1を連続して引き当てるのは36分の1ということになる。その確率をくぐり抜けてきたのが大石であった。


 甲子園の出場実績はなかったものの、福岡大(おお)(ほり)の中野正英監督が早稲田大出身で、当時の(おう)(たけ)篤良監督の先輩という縁もあって、大石は早稲田大に進学することになった。打撃センスのいい大石を見た應武監督は、野手としての起用も考えていた。


 しかし、入学前の内野の守備練習で指の裂傷や剥離骨折のケガを負ったこともあり、結局、復帰後は投手として登録された。春のシーズンから登板し、層の厚い早稲田大投手陣にあっても、秋からはある程度定着して投げるようになっていた。


 ただ、高校時代から、1試合のなかで、どこかで一度は崩れるという悪癖もあった。事実、大学に入っても、1年秋の初先発では5回1安打無失点で初勝利を飾ったものの、2度目の3年春には5回8安打4失点で連続無失点記録がストップしている。3度目の秋の登板でも4回9安打6失点と結果を残せなかった。


 それに、チームとしては先発の柱として斎藤と福井が安定していたこともあって、3年ごろからはストッパーとしてクローズアップされるようになった。本人の意識も、二人のあとをしっかり締めようというものに変わってきていた。技術的には、短いイニングで全力投球できるようになったことで球威が増してきたということもあった。それに、すぐ肩をつくることができるのも、リリーフ向きだったといえそうだ。


 3年春に神宮最速タイとなる154キロを計測すると、4年春にはさらに1キロ上回る155キロを明治大戦で計測している。こうして神宮のスピード王としてドラフトイヤーに大石の評価はうなぎのぼりで上がっていった。「人気の斎藤、実力の大石」というのがスカウトやマスコミを含めた評価だった。


 しかし、入団1年目に渡辺監督の意向で抑えから先発への転向が試みられ、オープン戦に登板したものの、球速は最速でも140キロ台前半くらいしか出なかった。このままでは大学卒のドラフト1位ながら開幕二軍もやむなしと思われたが、なんとかリリーフ役として開幕一軍に登録された。


 しかし、4月15日の練習中に右肩の痛みを訴え、結局、登板機会のないまま登録抹消となり、そのままルーキーイヤーを終えることになった。


 巻き返しが期待された2年目の12年だったが、開幕二軍となった。それでも、5月3日に一軍に昇格。2日後のロッテ6回戦の8回に初登板を果たした。


 その後、7月8日の楽天10回戦ではプロ入り初勝利を挙げた。しかし、ドラフトの瞬間に最大に輝いた黄金の右腕は、まだその本領を発揮していない。ドラフト指名のあの日、あの会場のどよめきだけで終息してはいけない。これから本当の意味でヒーローに成長していく期待を込めての「元ヒーロー」なのである。

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