『プロ野球ドラフト「黄金世代」読本 ファンを熱狂させた「8つの世代」』
[著]手束仁
[発行]イースト・プレス
1998年(平成10年)春、甲子園に出場した横浜高のエース松坂大輔は、あらゆる選手たちから注目の的となっていた。
同じ投手としてライバル心を燃やす、沖縄水産のエース新垣渚は、甲子園でも速球にこだわりを見せ、151キロを記録。九州共立大を経て、ダイエー入りを果たした。一方、横浜高と対戦した東福岡のエースで主砲の村田修一は、松坂の投球を見て打者転向を決意。日大で打撃を磨き、横浜ベイスターズと巨人で強打を見せ続けた。決勝で横浜高と対戦した関大一のエース久保康友は、松下電器、ロッテを経て阪神へ入団。甲子園へ戻ってきた。現在ではDeNAで活躍している。
夏の甲子園でも松坂は注目の的だった。2回戦で対戦した鹿児島実のエース杉内俊哉は、三菱重工長崎を経てダイエーに入団。準々決勝で延長17回の死闘を繰り広げたPL学園からは、外野手の大西宏明が近畿大を経て近鉄入り、同じ外野手の平石洋介は、同志社大からトヨタ自動車を経て楽天へ入団した。準決勝で横浜高を追いつめた明徳義塾からは、寺本四郎が千葉ロッテに、高橋一正がヤクルトに入団した。決勝を争った京都成章の吉見太一は、立命館大からサンワード貿易を経て西武に入団した。
そして横浜高からは、エース松坂がドラフト1位で西武に入団。打線の主軸を務めていた後藤武敏(現・後藤G武敏)は法政大で三冠王を獲得するなどの活躍を見せ、西武に入団。再び松坂とチームメイトとなった。のちにDeNAに移籍し、地元に戻っている。外野手の小池正晃は、横浜ベイスターズに入団。捕手の小山良男は亜細亜大でも主将を務め、大学日本一を経験。卒業後はJR東日本を経て中日に入団。
松坂と公式戦で3度対戦した日大藤沢のエース館山昌平は、日大でもエースとして活躍し、その後ヤクルトに入団。98年夏の甲子園では他に、帝京の森本稀哲が浜田のエース和田毅(早稲田大→ダイエー・ソフトバンク)と対戦し、本塁打を放っている。松坂に敗れた鹿児島実に県大会決勝で負けている川内の木佐貫洋は、のちに亜細亜大で小山とバッテリーを組んで大学日本一に輝き、巨人入り。佐賀学園の實松一成捕手は、同年ドラフトで松坂の外れ1位指名を受け、日本ハムに入団。甲子園で浜田に負けた新発田農の加藤健捕手はドラフト3位で巨人に入団した。
98年の甲子園を巡る球児たちの物語は、まだまだ紹介し切れないほどひしめいている。「松坂世代」というキーワードで多くの球児が輝いたことは間違いないだろう。