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電通の深層
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ルポ・エッセイ
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スポーツはカネになる

『電通の深層』
[著]大下英治 [発行]イースト・プレス


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 プロモーターの(こう)(よし)()は、テレビ朝日の()(うら)()()()専務(故人)と親しい関係にあった。三浦の女性関係の処理をおこなったこともあったほどだ。そうした縁もあり、一九八四年のロサンゼルスオリンピックの際には、康サイドから三浦に話を持ちかけ、ロスオリンピック独占放映権獲得のために動いた。


 電通側は最初、民放が協力し合い、独占放映権を獲ることについて不満はなく、テレビ朝日が独占することも仕方がないと考えていたようだった。しかし、民放連合はテレ朝が単独で放映権獲得を狙っているということを知り、電通と組んで抵抗姿勢を見せてきた。


 その段階で、すでに康とロス五輪組織委員長のピーター・ユベロスとの間では交渉が進んでいた。もともと、康はユベロスの顧問弁護士であるロバート・アラムと古くからの知り合いだったのだ。


 アラムは、ボクシング元ヘビー級世界王者モハメド・アリやケネディ一家の顧問弁護士としても有名でアメリカのボクシング業界ではその名を知らぬ者はいないような人物である。アリの徴兵拒否に絡む裁判で勝利したことでも国際的に広く知られている。アリの日本での興行を契機として、康芳夫の顧問弁護士でもある。


 そのアラムが、ユベロスと懇意であり、その縁から康は、ユベロスと協議を行うチャンスを得たのだ。


 結果として、康はユベロスから、仮の承諾を得た。

「契約してもいい」


 しかし、三浦は康にこう聞いてきた。

「電通とNHKの(しま)(けい)()(当時のNHK会長)を、出し抜けるか?」


 夜中に、出し抜いて契約をしようという話になった。


 しかし、その動きを電通に察知されてしまった。


 その頃、電通でロサンゼルスオリンピック関連の仕事を担当していたのは(はつ)(とり)(よう)(いち)だ。当時の電通東京本社連絡総務次長兼プランニング室長である。服部は、NHKと手を組み、裏から工作をしかけてきた。その結果、三浦と康は手を引かざるを得ない状況となる。


 三浦は、電通と民放連合に屈することになってしまった。


 康も、三浦からの要請を受けて、ロス五輪組織委員長と交渉をしていた身だったので、三浦が引くというなら諦めるしかなかった。


 康は、三浦にこういった。

「空手で帰るのか」


 すると、三浦は相当な金額を康に手渡してきた。具体的な金額は明らかにできないが、康が納得できる額だった。康は、この件に関して金銭面での不満はない。が、親しい三浦になんとしてもロス五輪放映権の契約を結ばせたかった。そういう意味では今も残念に思っている。電通とNHKと民放連が手を組むと対抗手段はなかった。


 電通の元会長・成田豊(故人)は、東大野球部の補欠選手だった。東大法学部を卒業している成田だが、一時期、体調を崩し、東芝や八幡製鉄所などの就職試験に落ちた。東大法学部を出て電通に入社することは珍しい時代だったが、成田は電通を選ぶ。


 東大卒業者が、就職先として電通を選び始めたのは、成田の時代からだ。


 当時、成田はこれほどの超高度情報社会の時代が到来することなど予想すらせず、電通に入ったはずだ。


 就職活動に失敗して電通に入社したため、成田は常にコンプレックスを抱えていた、と康は見る。そのコンプレックスが、康と三浦のロスオリンピック独占放映権獲得を阻止する方向へ動いたのではないかと考えている。


 成田は、あまりスポーツ利権に詳しくなかった。成田は、部下である間宮聰夫(当時のスポーツ副部長、後に順天堂大学教授、故人)や、服部にオリンピック利権を含めて、スポーツ関係の事業を託した。


 成田も服部、間宮も、スポーツがカネになるということを読み取っていたのだ。


 オリンピック関係の人脈は、特殊な世界だからそう簡単に割り込むことはできない。だからこそ、服部や間宮が暗躍できた。


 服部は、飛行機に乗るときは、常にファーストクラスを利用し世界中を飛び回り、好き勝手をしながら生きていた。


 東京12チャンネル・テレビ東京開設時の担当者が間宮だった。康がモハメド・アリを呼んだ際の担当者も間宮だった。康は、すべてのリスクを負ってアリを呼んだにもかかわらず、「電通」を「カサ」にきて、態度があまりにも尊大であったため、間宮を脅すと、間宮は怯えた表情を見せたことすらあるという。


 二〇二〇年東京五輪招致疑惑の渦中にある高橋治之元専務は、当時、間宮の下にまるで金魚の糞のようについていたという。そしていつしか、電通のその部門を牛耳るようになっていく。


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