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(2021/11/26 追記)

犬耳書店の作品をRenta!に順次移行します。
詳しくはこちらでご確認いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

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電通の深層
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ルポ・エッセイ
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第二部 【特別収録】小説電通

『電通の深層』
[著]大下英治 [発行]イースト・プレス


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 石岡雄一郎は、紀尾井町に(そび)える超高層ホテル『ニュー・オータニ』新館玄関前でタクシーを止めた。石岡は、出版社系週刊誌の中では一、二位を競う『週刊タイム』の専属記者であった。


 タクシーを降りると、足元から凍るような冷たい風が()いのぼってきた。ひどく底冷えのする夜だった。

〈雪になるな……〉


 石岡はそう思いながら、まばゆい光線に包まれた華やかなアーケードに足を踏み入れた。ジングルベルの曲が、リズミカルに流れている。楽しそうに腕を組んでいる若いカップルがあふれていた。


 石岡は、一階アーケードの奥にあるエレベーターへと急いだ。六階にあるバー『シェラザード』へ行くためであった。


 エレベーターの前に立つと、腕時計を覗いた。週刊誌記者という職業柄、どうしても時間には神経質だった。八時五十六分であった。その夜九時に、石岡はそのバーで、電通の安西則夫参事と、星村電機の小林正治広告部次長に会う約束をしていた。三人は、西北大学時代の広告研究会のメンバーであった。


 エレベーターが開き、乗り込んだ。その瞬間、石岡は(いぶか)しそうな顔をして振り返った。()れ違いに降りていった人物をよく知っていたことと、その組み合わせが妙だったからである。


 一人は石岡の所属する『週刊タイム』のデスク鬼頭忠男であった。いま一人は、たしか電通の船村俊介に間違いなかった。

〈二人はどういう(つな)がりなんだろう? 船村は最近、マスコミとの接触をほとんどしなくなったと聞いているが……〉


 石岡はこれから会う安西に、船村の電通での最近の動きについて聞いてみようと思った。


 石岡は六階で降り、『シェラザード』に入った。トレンチコートを脱ぎながら、薄暗い店内を見回した。店内は、ほとんどが男女のカップルだった。テーブルの上のキャンドルにほの赤く染めた顔をくっつけ合い、楽しそうに語り合っている。


 安西も小林も、まだ来ていなかった。念のため、奥の方へも歩いて行き調べた。やはり二人とも来ていなかった。おたがい忙しく、ぎりぎりまで仕事をしているのであろう。


 石岡は、右手一番奥のテーブルに座った。ウイスキーの水割りを注文した。トレンチコートのポケットから、缶入りピースを取り出した。ペン()()の目立つ指で煙草を抜き出し、デュポンのライターで火を()けた。まず一服深く吸いこんだ。一日取材で走り回った激しい疲労が、煙草の煙とともにゆっくりと溶けて流れてゆくようだった。彫りの深い浅黒い顔には、疲労が刻みこまれていた。


 石岡は煙草を吸いながら、鋭い眼を窓の外に放った。


 窓の外には、赤坂の夜景が広がっている。鹿島建設のビルが、眼の前に見える。暮の追い込みで残業に入っているのであろうか、上の方の階は、まだ(こう)(こう)と灯が点いていた。そのビルの向こうには、赤坂東急プラザホテルが、不夜城のように美しく輝いていた。


 石岡は運ばれてきたウイスキーの水割りを飲みながら、あらためてエレベーターに乗るとき擦れ違った電通の船村俊介に初めて会ったときのことを思い出した。

〈あれは、十年前のことだったろうか……〉



 その頃の石岡は、いまのようなフリーライターではなかった。誠学社の正社員で『月刊世相』の編集部員をしていた。入社して四年目で、仕事が面白くてたまらないという時期だった。まだ正義感に燃えていた。マスコミを通じて社会の不正を(あば)いていける、という信仰に近い気持を抱いていた。


 台風の近づいている激しい雨の夜であった。石岡は、新宿歌舞伎町の()(じみ)のクラブ『鹿の園』で谷沢竜海と飲んでいた。谷沢は(かま)(きり)のように痩せた、五十過ぎの男だった。石岡のところに時折情報をタレこんでくる、便利な男だった。


 そのクラブへ谷沢の友人と名乗る得体の知れない雰囲気を持った男がふらりと現われ、谷沢に石岡を紹介してくれるよう頼んだ。


 海坊主のように頭をつるつるに剃ったその男は、巨体を持て余すようにしてボックスシートに座った。名刺を差し出した。名刺には、《現代広告新聞社社長 青山耕太郎》とあった。あとで思いついたことだが、その男は偶然にそのバーで谷沢に会ったのではなく、彼と谷沢がそのクラブで会うことを知っていて、いかにも偶然に会ったように見せかけたに違いなかった。


 青山という男は、しばらくしてあたりを警戒するように見回すと、石岡の耳に口をつけささやいた。

「きみのところでは、カントリー・ウイスキーのスキャンダルは書けんだろうね」


 それはいかにも挑発するような口振りだった。まだ若く正義感に燃えていた石岡は、ついムッとした。

「どこのスキャンダルだって、書けます」

「そうかね。では、とび切り面白いスキャンダルを教えよう」


 青山はそれが癖らしく、口の端に唾液をためながらしゃべった。

「カントリーの東京支店に、黒田善寿という宣伝係長が最近までいた。こいつが悪い奴でな。あまりに悪どいので、ついに懲戒解雇になった。奴の行状記がいまいろいろとささやかれていて、カントリーもイメージダウンになっては大変、とあわてふためいている。黒田のやり口というのが、なかなか知能犯でな……」


 青山は、黒田の手口について細かく説明し始めた。

「外車を購入した代金を、テレビ局に払わせるなど朝飯前で、スポット広告の料金の誤魔化しまでやっていた。なにしろ電波は跡が残らない。一日に二〇本放送するったって、記録してなけりゃあチェックのしようもない。たいていは約束ごとで記録なんて残してやしないんだ。そこで奴は、広告代理店に二五本の請求書を出させて、実数との差額はポケットに入れる。一〇秒のスポットなら一五秒とさせて、この差額も(ふところ)へポイ。おまけに、スポットは需給の関係で、AタイムとBタイムの値段はぐんと違ってくるだろう。これも同様の手口で懐にポイ、さ」

「しかし、そんなことは彼一人ではできないでしょう。広告代理店の協力がなくては……」


 石岡は、つい青山の話に引き込まれながら()いた。

「うむ、それだ。電通などの大手筋はさすがにそんな協力はしない。そこで彼は、小さな代理店との取引きをどんどんふやしていった。なかには看板もかけていないような代理店にまで間口を広げたらしい」


 しかも、それらの広告代理店からもみみっちく金を稼いでいたという。


 九州などへ出張するときも、黒田は出入りの広告代理店の担当者にいう。

「急いで出張しなけりゃならないけど、航空券はないかなあ……」


 出入り広告代理店にすれば、そういわれて黙っているわけにもいかない。さっそく買い求めて届ける。


 ところが黒田は、そのことをひとつの広告代理店にいっただけではなかった。十くらいの広告代理店に、同じことをいっていた。そして十枚もの航空券を懐に入れ、羽田のカウンターで厚かましくも余分の航空券を払い戻ししてもらっていた。手当りしだい何でも金にしたという。

「そんなに稼いで、何に使ってたんですかね?」


 石岡は、身を乗り出すようにして青山に訊いた。

「世田谷に時価三〇〇〇万円の豪邸を建てていたんだ。人呼んで“黒田御殿”という。それとあとは女だな。銀座の女から女優、片っ端から手をつけていた。そちらの方は、おたくで調べるんだね」


 石岡は、思わぬタネが仕込めたことに興奮をおぼえた。


 石岡は翌日、『月刊世相』の渡辺正明デスクにカントリー・ウイスキーの“黒田事件”について報告をした。猪突猛進型の渡辺デスクは、その話に飛びついた。


 石岡はさっそく取材記者を集め、細かい指示を与え、取材にあたらせた。


 取材した結果、噂はほとんど事実だった。翌月号の“ショッキングレポート”でやることに決定した。


 ところがどこで()ぎつけたのか、電通から待ったがかかった。しかし、せっかくの面白い材料だ。渡辺デスクも、強行突破するよう命じた。

「あとのわずらわしい問題はおれが引き受ける。取材を続行しろ!」


 石岡が電通の船村俊介の名を耳にしたのは、その直後だった。


 取材記者たちとの打ち合わせを終えて社へ帰って来た彼と入れ違いに、渡辺デスクが出て行くところだった。玄関の前で擦れ違った。

「どちらへ?」


 石岡が訊くと、渡辺デスクは足を止め、彼を手招きし、いった。

「実は電通の新聞雑誌局の船村次長から先程電話があって、ぜひ会いたいという。一応会ってくるよ。おそらく例の件で、なんとか記事を差し止めてくれというんだろう。いくら泣きつかれたって、止めるつもりはないが……」


 石岡は渡辺デスクを見送りながら、差し止められればいっそうファイトが湧くという、ジャーナリスト特有の血の騒ぎをおぼえた。

〈せっかく苦労して集めた材料だ。いまさら止められるものか!〉


 翌日、石岡は渡辺デスクが出勤して来るなり、昨夜の結果を訊いた。


 渡辺デスクは、応接室へ石岡を連れて行くと、意外なことを告げた。


 昨夜あれから、当時はまだ銀座の外堀通りにあった電通本社へ行くと、すでに車が待たせてあったという。船村は彼を新富町の行きつけらしい料亭へ案内した。芸者が来る間、船村はさっそく彼に念を押した。

「渡辺さん、例のカントリー・ウイスキーのスキャンダル、おたくは本当におやりになるんですか?」

「ええ、やります」


 渡辺は、一歩も譲らない気持で答えた。

「そうですか。『週刊未来』も『週刊正流』も、取材に()け回った挙句、しまいには降りてしまった。残るは、おたくだけです」


 渡辺は、週刊誌がそんなに動いていたことを、このときはじめて知った。ただ、喰いついたらしぶとく喰い下がることで定評のある『週刊正流』までが降りたことは、意外だった。思わず訊き返した。

「どうして、『週刊正流』まで降りたんでしょうね?」

「あそこは、作家の山田誠さんが長年『男性画帖』を連載しているでしょう。彼が、どうしても今回のことを記事にするなら、連載を降りる、とまでいい張ったという話です。『週刊正流』としても背に腹はかえられず、ついに降りたということじゃないですか……」


 山田誠は、同じく作家の海高猛、画家の松原善平とともに、かつてカントリーの宣伝部に籍を置いていた。世話になったカントリーが傷つくことを、黙って()()ごすわけにはいかなかったのだろう。

「渡辺さん!」


 船村はいよいよ渡辺に詰め寄ってきた。渡辺は当然、何としてでも記事をとり止めてくれ……と泣きつかれると思った。ところが、船村の口からは、渡辺の予期せぬ、まったく意外な言葉が飛び出した。

「みんな腰砕けになって、残るはおたくだけです。ぜひおやりなさい。やるべきです。あんな薄汚い男が広告界と繋がっていたなんて、広告界の恥です。(うみ)は徹底的に出すべきです。カントリーの圧力なんかに、負ける必要もありませんよ」


 船村はまるで、渡辺をけしかけているようだった。渡辺には船村の態度がどうしても()せなかった。やがて芸者が入ってきて歌って騒いでも、胸の奥にはいつまでも何かが(つか)えているようだった。


 新富町の料亭を出ると、今度は渡辺デスクが船村を銀座のクラブで接待して帰ったという。船村に借りを作って、あとでまずいことになってもいけないとの配慮である。


 話を聞いた石岡も、船村の動きの真意を(つか)みかねた。

「船村さんの動きの裏に、何があるんでしょうね」

「さあ、今朝も社へ来る途中考えてみたが、やはりわからん。そのうちおのずと結論が出るだろう」


 ところがその日の夕方、もっと意外なことが起こった。船村が社にやって来た。今度は渡辺デスクだけでなく、戸川編集長にも会い、

「カントリーの件は、何が何でも取り止めていただきたい!」


 と押えに回った。


 ぜひやるべきです、と(あお)っておきながら、一夜にして、手の裏を返したように何が何でも取り止めていただきたい、という。


 その夜石岡は、渡辺デスクから船村の豹変ぶりを聞き、あらためて唸った。少しはこの社会がわかってきたつもりでいたが、まだ自分のような経験の浅い者には推し量れない奇々怪々なことがある……。


 石岡は、船村を応接間に案内したとき見せた一見柔和そうだがいかにも裏では策を弄しそうな癖のある痩せた顔を思い浮かべながら、渡辺デスクに訊いた。

「それで、記事は止めてしまうんですか?」


 やはり電通につむじを曲げられると怖そうだった。誠学社は『月刊世相』だけでなく、『週刊美貌』という女性週刊誌も出版している。もし電通に広告を全面的にストップされると、血液を止められたようなものだ。誠学社は、仮死状態に陥る可能性がある。

「いや、いまさら引き下がりはしない。ただドキュメントでなく、小説という型にして作家に書かせることにした」


 一応は、一歩後退したわけである。


 しかし、カントリー側はそれでもおさまらなかった。


 翌日、カントリー・ウイスキーの社長まで誠学社に姿を現わした。誠学社の社長に面談を申し込み、記事の差し止めを要請した。


 一宣伝係長のスキャンダルに、社長まで登場してくるというのは尋常ではなかった。

〈やはり、あのことを恐れているのだろうか……〉


 石岡は取材原稿の内容を思い浮かべながら、そう思った。


 実は、あれだけの使い込みは黒田一人では不可能ではあるまいか。会社の上司とつるんでいたのではないか……との噂がのぼり、黒田の直系の常務の名前までが上っていた。石岡はカントリーの常務ともあろうものが黒田とグルだとは信じなかったが、噂は(くすぶ)り続けていた。カントリーとすれば、一宣伝係長の使い込みなら会社側は被害者ですむ。しかし常務の名前まで上がれば、被害者ではすまされなくなる。たとえそのような事実はなく噂であったにせよ、大変なイメージダウンになってしまう。カントリーの社長はそのことを恐れているのではあるまいか……。


 編集部としては、電通、カントリーからの働きかけがあってもなお、小説として発表する姿勢は崩さなかった。


 ところが、遂に広告主協会の会長までが誠学社に姿を現わした。『月刊世相』の記事さえ差し止めれば、スキャンダルの火は断てる、と最後の切り札を使ってきたのであろう。


 広告主協会会長のお出まし、ともなればそれ以上の抵抗も難しかった。カントリー、電通側と、誠学社との間で手打ちがおこなわれた。


 その夜石岡は、新宿歌舞伎町の馴染のクラブ『鹿の園』で、渡辺デスクから事の(てん)(まつ)に関する報告を受けた。そもそも騒ぎの発端になる“黒田事件”の情報を聞きこんだクラブである。石岡は、悲しさとも、(むな)しさとも、憤怒ともつかぬ、複雑な感情に襲われた。しばらく茫然としていた。


 石岡はヤケ酒を(あお)り、渡辺デスクに食ってかかるように訊いた。

「どういう条件で手打ちになったんですか?」

「上の方の話し合いで、一年契約で一ページのカントリーのカラー広告が入ることになった」

「止めるなら、いっそのこと、そんなケチな証拠を残さなきゃ、いいじゃないですか! まるで、こっちの貞操を売るようなもんじゃないですか!」


 石岡は取引き条件の話を聞いて、広告界、マスコミ界の隠された恥部をはじめて目の当たりに見せつけられた気がし、吐き気をおぼえた。目に見えない何者かに翻弄された気がした。石岡は「腐っている……腐ってるよ」と呟きながら、カウンターを叩き、前後不覚に酔いつぶれていった。


 それから間もなくしてだった、石岡が信じられないような話を耳にしたのは。広告界の情報に詳しい小さな代理店の社長川崎哲朗が、フランス料理を食べながら、石岡にこうささやいたのだ。

「電通の船村と、カントリーの黒田事件をマスコミに触れ回った青山という男は、前々からの()()だ。実は今回のマスコミ騒ぎも、はじめから仕組まれた劇だったんだよ」


 カントリーの広告は電通扱いもあったが、比率が少なかった。なにしろ黒田が間口を広げていたものだから、群小広告代理店が群がっていた。電通とすれば、もっとカントリーの枠を広げたがっていた。そこに黒田事件が起こった。嗅覚の鋭い青山がさっそく嗅ぎつけ、船村の耳に入れる。それから筋書きがつくられ、さっそく青山がマスコミに触れ回りはじめる。情報に飛びついたマスコミは、カントリーに取材に行く。火を点け終わった青山は、今度は頭を抱え込んでいるカントリーの広報に出掛け、担当者に耳打ちする。

「ここまで話が大きくなれば、電通に頼んでモミ消してもらうしか、手がないでしょうな」


 かくして電通の船村新聞雑誌局次長の登場となる。つまりは、自ら火を点け、消火作業にもあたる。マッチポンプ作業をするわけで、人呼んで船村次長と青山ら取り巻きを称して“Fマッチ・ポンプ集団”と呼ばれているという。


 石岡には川崎の話が信じられなかった。ただ川崎の話を信ずるならば、船村が渡辺デスクに新富町の料亭で示した奇怪な態度の謎が解ける気がした。船村は渡辺デスクを煽り、炎をより大きくさせた。そうしておいて、消火の値段をより高くつり上げた。確証はなかったが、石岡にはその考えがあながち間違いとは思えなかった。


 川崎はにやにやしながら、こう付け加えた。

「カントリーの電通の扱いが占める割合を詳しく調べてごらんなさい。火消し料がわかりますから。おそらく黒田時代に群がっていた小さな代理店はみんな整理され、電通に回ったことは確かだね」


 彼によると、“Fマッチ・ポンプ集団”が狙う相手は、同業他社の広告代理店がメイン代理店になっている企業に限られる。スキャンダルを流された企業のイメージは傷つけられ、その企業のメイン代理店の立場も悪くなる。そこに電通が救世主のように現われる。ポンプ役を果たし、それまでのメイン代理店に取ってかわって、新たにメイン代理店となる。そしてひとたびクライアントになった企業に対しては消火作業専門にあたる、という。


 石岡はなお、半信半疑であったが、川崎の話し振りは確信に満ちていた。


 それから半年後だったろうか、あるいは一年後だったかもしれない。突然、『週刊正流』に「“スポンサー三悪人”を囁かれる黒田のワル行状記」という特集記事が掲載された。

〈どうしていま頃……〉


 石岡は、特集記事を隅々まで読んでみた。その記事によると、カントリー側はついに黒田を告訴に踏み切っていた。つまりスキャンダルは黒田一人で食い止められ、幹部にまで波及しない、と判断したからであろう。あくまで会社は黒田に(だま)された被害者になれば、黒田告訴の大義名分は成り立つ。確かに『週刊正流』の記事でも、「会社側にも何かあるのではないか」という声は今もって消えない──とあるが、それ以上の(ほこ)(さき)は、会社側に向けられていない。もっぱら、黒田の金と女の行状記に焦点が当てられていた。

〈待てよ……〉


 石岡は、読み終わってそう思った。もしかすると、この記事は、カントリー側と『週刊正流』との了解のもとで作成されたのではあるまいか。それまでも噂は燻り、業界紙には秘密めかして書かれていた。もし幹部にまで鉾先が向かわないなら、燻る噂に終止符を打つためにも、うるさいことにかけては週刊誌界で最右翼の『週刊正流』でやっておく方がいいと考え、告訴もし、記事にもしたのではあるまいか……。

『週刊正流』のファンである石岡は、そこまで疑いたくはなかった。しかし、あの件以来、広告界とマスコミ界を見る眼が変わっていた、というより変わらされていた。その記事への疑問も、あくまで邪推でなく、間違いあるまい、と信じていた。


 しかし、その“カントリー黒田事件”も、昨年で一応法的な決着はついたようだった。《元カントリー係長に懲役四年 大阪地裁実刑判決 CM料水増し詐欺》という見出しで、昭和五十三年六月二十四日付の『毎朝新聞』夕刊だけに報じられていた。


「カントリーの元宣伝担当係長が、広告代理店の担当者と共謀、テレビCM料をカントリーに水増し請求し、一億円以上をだまし取っていた詐欺事件の判決公判が二十三日朝、大阪地裁刑事七部であった。高橋太郎裁判長(神戸地裁姫路支部長判事)は『地位を悪用して巨額の金をだまし取った罪は重い』と、主犯の東京世田谷区玉川上野毛町八五、元カントリー東京支社宣伝第一課係長、黒田善寿(四八)に懲役四年(求刑同七年)の実刑、共犯の豊中市宮山町二の二三〇、元ニッテンエージェンシー常務取締役、上野隆(五二)に懲役一年、執行猶予二年(求刑懲役一年六月)をいい渡した。

判決によると、黒田は上野と共謀、四十一年五月、ニッテンエージェンシーがフジテレビと日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)から一カ月分のスポット料金計九百万円の支払い請求を受けたのに、二百五十万円水増しして千百五十万円をカントリーに請求、同額の約束手形をだまし取り、水増し分を山分けした。

このほか二人は、これらテレビ二社のほか毎日放送と関西テレビの計四社のテレビCMについて、三十九年五月から四十一年十月の間、二十六回にわたり約三千四百万円の水増し分をカントリーからだまし取った。さらに黒田は、ニッテンエージェンシー以外の中小広告代理店四社の営業課長クラスを抱き込み、三十九年から四十一年にかけ前後八十三回、計約八千万円のCM水増し分を詐取した。

黒田はだまし取った金で東京に邸宅を構え、美人の映画女優や混血ホステスとハワイなどで豪遊していた」



 しかし、この事件の記事差し止めを境に、それまでカントリーに喰い込みの浅かった電通が、カントリーに深く喰い込んだという。この事件は、電通にとって有難かったわけであろう。


 それからしばらく経って、海坊主のような頭をした青山が石岡に会いに来た。かつて石岡にカントリーの黒田のことを吹き込んだ人物である。石岡に、青山は新しい情報を吹き込んだ。

「西洋レーヨンの宣伝部長に、ひどい奴がいましてな。自分のとこで使う混血モデルに手を出し、強姦未遂で訴えられよったんですわ」


 しかし、石岡は今度は青山の話に乗らなかった。話ができすぎている。どうも眉唾な感じがした。一応は渡辺デスクに報告はしておいた。渡辺デスクも、ネタ元が青山と聞いて、すぐには腰を上げようとはしなかった。

「まあ、もう少し静観していようか」


 しかし、『週刊正流』と『週刊未来』が動いた、という情報が入ってきた。案の定、まったくのガセネタだったため、記事にはならなかった。


 その直後、かつて“F機関のカラクリ”を説明してくれた小さな広告代理店の社長川崎に会ったとき、彼は吐き捨てるようにいった。

「火種のあるところへ火を起こすのなら、まだわかる。火のないところへ煙を立てるのはあまりに悪質だ。真面目で通っている西洋レーヨンの宣伝部長が怒っていたよ。いったい何のためにあんなことするのかね! てめぇの私腹を肥やしたいためなのか、それとも大電通の業績を伸ばしたい一心からなのか、とね」


 とにかく電通の船村は奇々怪々な人物だった。


 その後、石岡は誠学社をある事情で辞めた。『週刊タイム』のフリーライターになった。その間、船村の悪名は、相変わらず耳に入ってきた。が、最近は噂も聞かなくなっていた。第一線から退いたとばかり思っていたのに、『週刊タイム』の鬼頭デスクと会っているところを見ると、またぞろ暗躍をはじめたのだろうか……。



 石岡がそこまで思い出していたところに、電通の安西が現われた。相当あわてて駈けつけたらしい、息が弾んでいた。甘い(しも)(ぶく)れの、育ちのよさそうな顔に汗が吹き出している。石岡は、腕時計に眼を走らせた。九時三十五分である。三十分近い遅れだった。


 安西はテーブルに着くなり、太い黒縁眼鏡の奥の眼をぱちぱちさせながら、遅れたことを詫びた。

「すまん、新しいスポンサーが、新番組に変わるとき、ぜひゴールデンタイムを取ってくれ、というので、これまでのスポンサーとの部門調整に忙しくて……」

「部門調整といえば聞こえはいいけど、ようするに、これまでのスポンサーにお引き取り願って、新スポンサーを()めこむ、ということだろう」


 石岡は、まず皮肉をいった。


 それからボーイを呼び、安西の注文を取らせた。


 石岡の皮肉は職業病ともいえた。かつて誠学社の正社員だった頃は皮肉をいうことはほとんどなかった。しかしフリーになり週刊誌の仕事に携わるようになってからは、職業柄すべてのものをシニカルに、斜に構えて視る癖がついた。いかに親しい仲間と会っていても、つい皮肉が口をついて出るのだった。

「ところで安西、先程エレベーターに乗るとき、きみの社の船村を見かけたけど、彼はいまどんなポストにいるんだ?」

「船村? ああ、あの有名な先生かね。いまは連絡総務にいるよ」


 安西は太い黒縁眼鏡をはずし、おしぼりで顔を拭きながら答えた。

「出世なのかね、それともはずされたのかい」

「いや、悪いポストじゃないはずだよ」

「ほう、日本一の電通を世界一にした陰の功労者として、会社はちゃんと報いているというわけかい」

「また、冗談がきついな」

「確かにやり手ではあるが、あれほど悪どいことをして、社内でも(ひん)(しゆく)は買ってないのかね。批判はないのかね。電通が肥りさえすれば……」


 石岡は、あらためて、船村の(から)んだ古い“カントリーの黒田事件”を思い出していた。ついむらむらとし、語調が激しくなった。われながら大人(おとな)()ない、若いときの癖がふいに飛び出してきたな、と心の中で苦笑した。

「いや石岡、そうでもないよ。五十一年の秋、大阪支社長になった石川さん(喜美次元専務)がいたろう、石岡も一度会ったことのある」


 安西はそこまでいうと、石岡の耳に口を寄せるようにして声を低くし、

「じつは、石川さんは、梅垣(哲郎)専務、吉岡(文平)専務とともに、ポスト中畑(義愛)の本命だった。石川さんは新聞雑誌育ち、梅垣さんはラジオ・テレビ育ち。ある時期からテレビが新聞を追い抜き、石川さんも少し苦しくなったが、なにしろ実力者だからな。次期社長の椅子を狙っていた。が、突然大阪支社長に飛ばされてしまった。大阪支社長が亡くなったこともある。が、真相は、石川さんが“F機関”の上司だったということから、社内でのはねっ返りが強く、ついに社長になれなかったといわれている」

「へーえ。何しろ電通は、今や押しも押されもせぬ世界の大電通だからな。ここまで坂を登ってくるのに、いろいろ無理をなさってきた部分は、頬かむりをして切り捨てにかかっておいでなわけだ。不沈艦をめざして……」


 石岡は、皮肉っぽい口調でいった。


 世界一の広告会社ともなれば、過去のダーティな部分は切り捨て、どこから突つかれても痛くないような態勢を整えるのも、当然かもしれない。が、それにしても、いまの電通はむしろ、まだまだ過去の古い体質をあまりにも引きずりすぎている点に問題がある。石岡は、そう思っていた。


 安西は、追及しはじめると止まるところのない石岡の鉾先をかわすように、話を転じた。

「ところで、小林はえらく遅いな……」

「そうだな。今回の話はそもそも小林がいい出しっぺなんだから、そろそろ来てもいい頃だな。いつもは几帳面な男で、遅れるときはかならず電話を入れるんだが、何かのっぴきならないことでもあったのかな……」


 石岡も気にして腕時計を覗いた。すでに十時を三十分回っていた。


 窓の外は、石岡がホテルへ入るときに思ったように、いつしか雪に変わっていた。


 小林が持ち出した話というのは、アルバイトに三人でパブリシティ会社を創ろうということだった。電通社員と、週刊誌記者、家電メーカーの広告部次長の三人が揃えば、それぞれの立場を有効に()かし、確かに巧い儲けができそうだった。話を持ちかけられた石岡も安西も、大いに乗り気だった。


 十一時を過ぎ、小林はようやく姿を現わした。いつもの血色のいい顔が、よけいに赤く染まっていた。相当酒が入っているようだった。

「すまん。のっぴきならない用事があって……」


 小林は、でっぷり肥った巨体を持てあますようにして座った。てかてか光った(あか)ら顔が、よけいに赤らんでいる。ひどく興奮しているようすであった。

「安西には悪いけど、おれは、ウチの社のメインの広告代理店を、電通から博報堂に替えるよう動くことに決めたぞ。前からそう思っていたが、今夜ハッキリ決心した。いま博報堂のある部長と銀座で会っていたんだ。ところがその部長から、不愉快千万なことを聞いた。実は、ウチの広告部長が肝臓を悪くしている。近いうちに静養のため、しばらく休職することになっている。その後任は当然おれ、ということになっていた。ところが、その部長の話だと、電通が横槍を入れ、横田という()()の坊次長を後任に据えるよう重役に進言しているという」

「電通が横槍を入れたという、確たる証拠でもあるのかい?」


 安西が、喰ってかかった。

「証拠? そんなものはない。しかし、これまでの電通の遣り口からみて、当然ありうることだ」

「しかし、それはあくまで博報堂の部長の耳打ちだろう。博報堂が前々から小林がアンチ電通であることを知っていて、広告部長の交替時を狙い、小林をけしかける手として仕組んだ芝居かもしれん」


 安西も、一歩も譲らなかった。そこには電通マンとしての、社への強い忠誠心が感じられた。


 そのような安西の姿勢を見ながら、石岡はつい自分と比較し苦笑いさせられた。


 彼もかつて誠学社の正社員であったときは、人から社の悪口をいわれたときなどムキになって(はん)(ばく)していた。ところがフリーになり、いくつかの社の仕事を同時にしはじめると、特定の社への忠誠心などいつの間にか消えてしまった。むしろ社に対して異常な忠誠心を持つ人物を見ると、(うと)ましくさえ感じられたものである。いくら社に熱い忠誠心を誓っても、いずれは組織に冷たく切り捨てられるものを……とシニカルな気持で()ていた。いままた安西の電通への熱い忠誠のあらわれを聞くと、このまま社との蜜月がいつまでもつづきますように……と苦い気持で友人のために祈るのだった。


 日頃大人(おとな)しい安西も、さすがに興奮した口調でいった。

「小林の場合、電通への反感には、個人的怨みが絡んでいるからなあ……」


 たしかに小林は、入社当時から現在の広告部長である電通べったり派の秋山と()りが合わない、という個人的感情も絡んでいた。


 小林のいうには、秋山はもともとうだつの上がる男ではなかった。が、昭和三十四年の皇太子御成婚での白黒テレビブーム頃から、社も華やかな宣伝をはじめ、その時流に乗り、それまでなんとなくくすんだ存在だった広告部にも()が当たりはじめた。そのおかげで、秋山も陽の目を見ることになった。秋山は自分の存在を誇示するため電通に入り浸り、電通から聞き(かじ)ってきたマーケティング理論を、部下を集めては横文字を混じえ、得々と語った。大学時代広告研究会にまで加わり、正規の理論を学んでいる小林には、噴飯もののこじつけが()()しく、鋭く突くと、

「電通でそういってるんだから、間違いない!」


 と激怒し、ことごとく小林を目の敵にするようになった。


 小林も小林で、“坊主憎けりゃ……”のたとえ通り、電通への反感を(つの)らせていったわけである。


 小林はウイスキーを呷るように飲むと、顔のまんなかにどっかとあぐらをかいた鼻をよけいに膨らませ、安西に喰ってかかった。

「秋山への反感もあるが、そんな私的なことだけで、電通を批判しているんじゃない。確かに、好況のときは文句をいう筋合もなかった。とにかく売れてたんだから……。ところが昨年など、電通に煽られるままに広告を派手にやったが、売れはしなかった。電通一辺倒も考えなければならない時に来ている。やはり、家電メーカー会社が電通扱いだと、どうしても一流の東芝、松下にいい人材が送られる。ウチのような二、三流のメーカーには、それだけ質の落ちた社員の担当になる。それより、小さい代理店であっても、ウチに賭けてくれる代理店を選ぶべきだ。


 それに何より、すぐにでも上の重役と繋がり、われわれ現場を無視して事を運んでゆくのが気にくわん。秋山のような電通様々の木偶の坊ならいい、おれなどには耐えきれないことだ」


 小林の長広舌を聞きながら、石岡はまずいことになりそうだな……と思った。電通に楯突き、電通から他の広告代理店に切り換えようとして、大変な事になった広告担当者の噂を何回か聞いていた。


 繊維メーカーの広告部長が、小林のようにメイン代理店を電通から他の代理店に切り換えようとした。ところが、電通に自分の女性関係まで細かく調べあげられ、やんわりと私行調査を匂わされ、切り換えを止めたという噂も聞いていた。


 まだその程度ですめばいい。なかには重役にその担当者の中傷()(ぼう)を耳打ちされ、左遷させられた者までいると聞いている。


 小林は、いっそう激昂しながら続けた。

「電通の人事介入を撥ねのけ、おれは、広告部長の椅子を摑む。その暁には、かならず電通から他の代理店へ切り換えてみせる!」


 小林の赤ら顔が、テーブルの上のキャンドルに映え、まるで阿修羅のように映った。大きな眼は血走り、ぎらぎらと燃えていた。


 その形相を見ながら、石岡はあらためて思った。

〈小林は、まだ電通の本当の恐ろしさを知らない。これは、まずいことになるぞ……〉




 星村電機の広告部次長小林正治が、四月からステレオのテレビコマーシャルフィルムのモデルに使う北条みゆきとの打ち合わせを終えたのは、午後一時半すぎだった。

「おなかが空いたでしょう。タルタルステーキの美味しいのを、ご馳走しましょう。このあたりでも、結構いいお店があるんですよ」


 小林は北条みゆきとマネージャーにそういいながら、小会議室のドアを開け、巨体をゆするようにして廊下へ出た。


 そのとたん、広告部長の秋山と、小林のライバルである広告部次長の横田に、ばったり出会った。二人は、そろって食事に行っての帰りらしかった。

「あ、小林次長、いいときに会った。君にちょっと話があるんだ」


 秋山は、いかにも気軽そうに、それでいて高飛車な調子で声をかけた。

「秋山部長……つい打ち合わせが長びいたもので、これから北条さんを食事に誘おうと思いまして……」


 小林は、人の都合も()かないでいつも自分中心の言動をとる……と秋山に対するむらむらする気持を抑えながらいった。

「あ、そう、北条みゆきさんと食事ねえ。そりゃ美人との食事の方が楽しいだろうけど、打ち合わせは、一応終わったんだろう。こちらは仕事の話なんだ。仕事を優先させて欲しいね」


 秋山は縁無し眼鏡の奥の細い眼に意地悪そうな光を浮かべると、皮肉たっぷりな口調でいった。

「そんなに時間をとるわけじゃないんです。一時間後ではいけませんか……」


 小林はそばで困惑している北条みゆきを気にしながら、むっとしていった。

「一時間後には、電通の塩月部長と会う約束がある。いまでないと困るんだなあ。食事は代わりに横田次長が案内すればいい。君は会議室に戻ってくれ!」


 秋山は、日頃の女性的なキンキン声をいっそう高くし、命令するようにいった。


 秋山が電通の名を口にしはじめると、一歩も退かないことは、小林にはわかっていた。しかも、部外者である北条みゆきの前でこれ以上揉めるのもみっともない。小林はやれやれといった顔つきで、北条みゆきとマネージャーにいった。

「すみません、急用ができましたので、私に代わって、横田次長が食事にご案内しますから……」


 小林はそれから秋山に続いて小会議室へ入った。

「緊急の用というのは、何でしょうか?」


 小林はソファーに座るなり、苛立たしそうに訊いた。


 秋山は窓辺に立ったままであった。小林に背を向けたまま、窓の外を眺めながらいった。

「君は、私が休職すると触れまわっているそうだね」

「別に触れまわったおぼえはありませんが……」

「そうかな……私は正式に休職するとはいってないんだ。あまり触れまわると、名誉毀損ものだよ。君が一日も早く私に退いて欲しいだろうことは、よくわかるけど……」


 秋山は相変わらず小林に背を向けたまま、憎々しそうにいった。


 小林は興奮に顔を赤く染めながら、秋山の痩せた背を睨みつけた。星村電機本社は、三田の(だい)(もん)近くにある。広告部小会議室は、八階にある。窓から東京タワーが眼の前に見える。秋山の背の向こうで、東京タワーが冬の陽差しに眼が痛いほどまぶしく光っている。

「しかも……」


 秋山は、はじめて小林の方を振り向いた。相変わらず立ったままで、顔面に意地悪そうな笑いを()かべて続けた。

「君は、電通から博報堂にメイン代理店を移そうと、いろいろに画策しているようじゃないか。すでに私に代わって広告部長にでもなったつもりでいるのかね」

「画策とは、何のことでしょうか?」

「博報堂の吉川部長と、毎夜銀座を飲み歩いて、いろいろと秘策を練ってるそうじゃないか」


 博報堂の吉川部長と飲んでいるところを、誰が見たのだろうか……、小林は一瞬、一カ月前彼と飲んだ夜のことを想い浮かべた。あの夜、知った人間には誰にも会わなかったはずだ……あるいは、クリスマスの夜、ホテル『ニュー・オータニ』で石岡と安西に会い、吉川部長と飲んだことをしゃべったが、まさか安西が愛社精神からおれがメイン代理店を電通から博報堂へ移そうとしていることを洩らしたのではあるまい……。

〈いや、安西はそんな男じゃない〉


 小林は安西を一瞬でも疑ったことを恥じながら、おそらく電通の誰かが二人の姿を見、さっそく秋山に耳打ちしたのであろう、と思った。しかし、吉川部長にはあの夜以来会ってはいない。そのような難癖のつけ方は、心外だった。

「確かに最近、一度飲んだことはあります。しかし、毎夜なんて会っていません。しかも、付き合いのある博報堂の部長と飲んだって、別に邪推することもないでしょう。えらく神経質になっておられるようですね」


 星村電機の広告代理店の使用比率は、電通六〇パーセント、博報堂二〇パーセント、残りの二〇パーセントを大広や東急エージェンシーが分け合っている。付き合いのある博報堂の部長と飲んだって、業務のうちだ。文句をいわれる筋合はない。


 秋山部長は、縁無し眼鏡をきらりと光らせると、いっそうネチネチ絡んできた。

「これまでせっかく電通とうまくやってきて、しかも実績が上がってきたのに、どうして君はそんなに電通を毛嫌いするのかね。電通に、個人的怨みでもあるのかね」


 小林は、あなたのような木偶の坊を陰に陽に支えてきた電通に怨みを抱くのは当然でしょう……とよほど開きなおりたかったが、さすがに抑えた。理論的に攻めることにした。

「実績が上がったといわれますが、この一、二年は、どうでしたか。電通に煽られるように広告したけど、売上げの伸びは横ばいで、実質的にはダウンしたじゃないですか。それでもまだ電通様々とありがたがっているんですか」

「この一、二年は、何もうちだけじゃない、どの社も伸び悩んでいるんだ」

「いや、とくにウチの社は伸び率が悪い。こういうときこそ、博報堂にメインを切り換えて冒険してみるのも、突破口が開けるかもしれませんよ」

「冒険? 馬鹿も休み休みいいたまえ、君のような考えは、無謀というんだ」

「そうでしょうか、これまでの秋山部長の態度は、あまりにも(こと)(なか)れ主義というか、わが身かわいさのために、主体性が無さすぎたんじゃないでしょうか」

「主体性が無さすぎた……」


 秋山部長は、ようやくソファーに座った。小林を、縁無し眼鏡の奥から睨みつけた。肝臓が悪く、いつも青い秋山部長の顔が、いっそう青ざめ、握り締めた(こぶし)がぶるぶると震えはじめた。

「電通に仕事をさせるのは、電通がいいからだ。現在、東芝だって、松下だって、日立だって、一流メーカーはすべて電通をメイン代理店にしているじゃないか!」

「秋山部長、何も私は電通がつまらぬ会社だといったおぼえはありません。世界一の座を保っている世界の大電通です。すぐれているに決まっています。東京オリンピック、大阪万国博、沖縄海洋博のようなナショナル・イベントから、アメリカ建国二〇〇年祭まで手がける実力のある広告代理店は、日本では電通をおいてないでしょう。しかし、そのような大電通が、はたしてわが社のような、いわゆる二番手の社にとって、最も有効であるかどうか、といっているんです」

「二流の社? わが社を二流とはなにごとかね!」

「二流といったおぼえはありません。二番手といったんです」

「二流も二番手も、いっしょだ」


 小林は秋山の言葉尻をとらえたいいがかりに、うんざりした。しかも空腹もひどくなってくる。いっそう苛立たしさが(つの)っていった。


 小林は、秋山を説得するようにいった。

「なんといわれようと、わが社が二番手の企業であることを、いま一度自覚した方がいいと思うんです。電通は、全電機メーカーがメイン代理店にしているわけですから、どうしても松下、日立、東芝のようなトップクラスの企業が優先になる。人材も優秀な者をトップメーカーに送る。どうしてもわが社には、レベルの低い者が担当として回されてくる。それならいっそ、博報堂をメインにして、博報堂で最も優秀な人たちに担当してもらった方がいい」

「君はえらく博報堂の肩を持つが、電通でうちあたりへ回されてくる人材の方が、博報堂で最優秀な人材より、まだマシだよ」

「そんなことはない! 博報堂のナンバーワンクラスの担当者をわが社に回させ、わが社に賭けさせた方が、はるかに有利です。わが社が勝ち残っていくためには、その方がいい」

「ま、君がそう信じるのは自由だが、実行に移してもらっては、大変なことになる。だいいち、夜の七時から十一時までのテレビのゴールデンタイムの枠が、取れなくなる。うちのような家電メーカーにとって、視聴者が茶の間でくつろぐ可能性の最も高いゴールデンタイムが確保できないと、命取りになるからな。博報堂と電通じゃあ、テレビ局への力がちがいすぎる」


 秋山は勝ち誇ったようにいうと、眼鏡をはずし、レンズに息を吹きかけては、絹のハンカチで曇りを拭きはじめた。


 たしかにテレビのキーステーション局のゴールデンタイムの占有率は、電通と博報堂の間にあまりに格差が開き過ぎていた。昭和五十四年度の電通の占有率は、TBSでは、五九・四パーセントも占めている。次いでフジテレビが五〇・七パーセント、日本テレビ四二・七パーセント、テレビ朝日三八・六パーセント……電通の担当者は「電通一社で、テレビ局一社を経営できるだけの広告量をもっている」と豪語しているほどである。


 それに対し博報堂占有率は、ほとんどの局が一〇パーセント前後で、電通と比較にもならない。


 小林は大きく息を吸いこむと、いった。

「しかし、ゴールデンタイムを電通がほとんど握っているといっても、あくまで一般論にすぎない。それもまた人材と同じで、はたしてうちのクラスの社に、好きな時間帯を回してくれているか、現状はノーといわざるをえない。やはり松下、日立、東芝の一流クラスにいい時間帯を確保し、それから残りの時間帯をうちあたりに回してくる。このようにいかに電通が力を持っていても、わが社に役立っているかどうかは、疑問です。それならいっそ、博報堂に切り換え、うちのために全力を傾注してもらって、気にいったゴールデンタイムを確保してもらった方が、よほどいい」

「さあ、それもどうだか……」


 秋山は、ようやく眼鏡を拭き終わった。かけなおすと、縁無し眼鏡の奥から、小林を恐い眼付で睨みつけるように見ていった。

「君が何といおうと、私は電通こそわが社の売上げを伸ばすにふさわしい社であるという信念をもっている。今後電通の比率を高めることこそあれ、減らすことは考えてもいない。君が博報堂の比重を増やそうとすることも、許さない!」

「許す許さないといっても、休職するあなたにそんな権限はありませんよ」


 小林はいっそう空腹になり苛立ってくる神経を抑えながら、強い調子でいった。

「どうも君は、博報堂から鼻薬でも嗅がされているようだね。博報堂に切り換えたあかつきには、いくらくらいの報奨が約束されているのかね?」

「秋山部長、いかに上司とはいえ、あまりに失礼な言葉じゃないですか。いまの言葉は撤回して下さい!」


 小林は顔面を真っ赤に染め、喰ってかかった。しかし秋山は、にたにたと笑いながらいった。

「ま、代理店選択の権限は部長にあるんだからな。いまから君がいくら気張っても、部長になれなきゃ、何もできぬ。私の後のポストは、君というより、むしろ横田次長じゃないのかな……」

「電通がそのような根回しをしているということですか!」

「さあ、電通とは関係ないだろう、社内での衆目の一致するところじゃないのかね」


 小林は、込みあげてくる憤怒を抑えがたかった。握りしめた(こぶし)が、つい震えた。


 秋山は、小林の震えを冷ややかに見ながら立ち上がった。腕時計にちらりと眼を走らせていった。

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