『芸能人と新宗教』
[著]島田裕巳
[発行]イースト・プレス
二〇一七年二月、女優の清水富美加の芸能界引退、そして幸福の科学への出家という出来事が起こり、改めて「新宗教」という存在に注目が集まっています。
新宗教は、以前であれば、「新興宗教」と呼ばれていました。新興というのは、新しく起こったという意味ですが、「新興成金」などという言い方があるように、新興宗教ということばには、得体の知れない、どこか危ない団体であるというイメージがつきまとっています。そのため、学問の世界では、新興宗教ではなく新宗教と呼ぶことが最近では一般化しています。
したがって、本書では新宗教と呼ぶことにしますが、ここのところ、新宗教に対する関心の持たれ方は、以前とはかなり違うものになってきています。
たとえば、新宗教の代表、パーフェクト リバティー教団(PL教団)が創立したPL学園の野球部が廃部になった原因の一つに、教団の信者の数が減り、力を失ってきたことがあると指摘されたことなどが挙げられます。毎年八月一日に教団が開催している「花火芸術」という儀式であがる花火の数が減ったということも話題になりました。三〇年くらい前にこの儀式を実際に見たことがありますが、最後には、大量の花火が打ち上げられて空が燃え上がるようになり、度肝を抜かれたことをよく覚えています。そのころに比べると、現在はかなり規模を縮小しています。ここに示されているように、新宗教が力を失っている点が世間でも注目を集めるようになってきたのです。
しかし、新宗教のなかには依然としてかなりの規模を維持し、社会に影響を与えているところもあります。
創価学会がその代表です。この教団が生みの親となった公明党は政権与党となり、日本の政治に大きな影響を与えています。国政選挙ともなれば、公明党は数百万票を獲得します。その背後には、創価学会の会員による熱心な選挙活動があります。創価学会の信者から投票依頼を受けた人も少なくないでしょう。ほかにも、真如苑のように、現在でも毎年信者の数が増え続けているような新宗教もあります。
そうした新宗教が世間の関心を集める一つの要因としては、芸能人信者の存在が挙げられます。今回の清水富美加をめぐる騒動も、出家する先が幸福の科学という新宗教であることが、社会に驚きを与えたように思います。
この騒動が、今後どのような方向にむかうのか、いま、この原稿を書いている時点でははっきりしません。
しかし、今回の騒動では、清水本人が表に出てくることはなく、代わって表に出てきたのは幸福の科学の教団でした。清水が所属する芸能事務所と交渉をしていたのも、教団の代理弁護人でした。
清水は、もともと両親が信者だったので、幸福の科学に入信したようですが、いくら世のなかに知られた芸能人であるとはいえ、一信者のために教団がこれほど前面に出てくるというのは異例の事態です。
なぜ、そうなったのかは注目されることですが、これに似た例では、統一教会(=世界基督教統一神霊協会。現在は世界平和統一家庭連合)の信者になった新体操の元オリンピック選手山㟢浩子の脱会騒動が挙げられます。そのときは統一教会の教団が山㟢の婚約者とともに、彼女を脱会させた人間たちや、それと組んだメディアに対して、脱会の方法は、山㟢本人の意志を無視しているとして激しく抗議しました。
ほとんどの新宗教は、「宗教法人」の形態をとっています。宗教法人になるためには、文部科学省や都道府県に届け出て、「認証」してもらわなければなりません。
よく、宗教法人について「認可」という言い方がされますが、これは間違いです。認可の場合、学校法人の場合に見られるように、それを設立するにはさまざまな条件が詳細に定められ、それを満たしているかが問われます。
しかし、宗教法人の認証の場合には、信仰の対象となる神や仏のような本尊があること、本尊を祀る施設を所有していること、宗教活動の実績があることが基本的な条件になっていて、それさえ満たしていれば認証されます。認可とは異なり、宗教法人に対して、国がその教義に正当性があると保障したわけではありません。この点ははっきり認識しておく必要があります。
ただ、最近では、オウム真理教の事件の影響もあり、宗教法人として認証を受けるのは、かなり難しくなっています。
宗教法人が認可ではなく認証なのは、憲法上、何人にも保障されている「信教の自由」の問題があるからです。国や地方自治体が、宗教法人に対する規制を厳しくして、宗教活動に制約を加えることは、信教の自由を侵害することにもなりかねません。
したがって、宗教法人は、会計を公表する義務を負っていませんし、信者の数について正確な数を申告する必要もありません。
そこで、実際よりも多い信者数が宣伝されたりもするのですが、幸福の科学の場合には、海外を含めて信者数は一二〇〇万人に達するとしています。国内では一一〇〇万人とされています。
これが事実なら、幸福の科学は間違いなく日本で最大の信者数を誇る新宗教の団体ということになります。
しかし、実際の活動ぶりから考えると、とても日本の国内に一一〇〇万人もの信者がいるとは思えません。もし、それだけの数の信者がいれば、幸福の科学がつくった政党、「幸福実現党」は、国政選挙でもかなりの数の当選者を出しているはずです。
また、「精舎」と呼ばれる宗教施設を国内および海外に設けていますが、国内は二九カ所、海外は三カ所にすぎません。しかも、それぞれの施設の規模はそれほど大きなものではなく、とても一二〇〇万人の人間が収容できるようなものにはなっていません。
せいぜい、その数は数万人というところでしょう(ある元信者は、一時は一万二〇〇〇人ほどいたが、いろいろな問題が起こり半減し、現在は六〇〇〇人程度だとしています)。
ただ、一二〇〇万人も信者がいると聞かされると、一般の人は、幸福の科学は相当な力を持っていると考え、そこに脅威さえ感じてしまいます。
力のあるように見える幸福の科学が、出家した清水富美加を教団の「広告塔」として信者を集めるために利用し、さらに拡大をはかっている。そのような見方をする人が出てきても不思議ではありません。
本書では、この騒動をきっかけに改めてクローズアップされた、「芸能人と新宗教」の問題について扱うことにします。
芸能人と新宗教の関係が、絶えず取りざたされるのは、どうしてなのでしょうか。
なぜ、芸能人は新宗教に惹かれるのでしょうか。
そもそも、新宗教とはどういう存在で、どういった活動を実践し、人集めや資金集めをしているのでしょうか。
新宗教にはどんな問題があり、なぜスキャンダルが報道されることが多いのでしょうか。
そうした事柄について、やさしく丁寧に説明していくことが、本書の目的になります。
芸能人と新宗教の関係については、とかくスキャンダルとして扱われることが多いわけですが、そこには、日本の社会のあり方、とくに戦後の大きな変化がかかわっています。
本書を読まれる多くの読者は、自分は新宗教とはいっさい無縁だと考えているかもしれませんが、一方で、家族や親族、知人、友人に特定の新宗教の教団に入信している人間がいる場合も少なくないでしょう。特に、創価学会の会員を知っているという人はかなりいるはずです。
新宗教は厄介なもの、面倒なもので、できれば敬して遠ざけておきたいと考える方もいるかもしれませんが、私たちはちょっとしたきっかけで、新宗教に関心を持つようになり、その信者になることもあります。あるいは、近しい人間が信者になり、その問題で悩んだりすることもあるかもしれません。トラブルにどう対処するか。それを考えるにも、まずは新宗教について知ることが必要です。
新宗教について、ある程度の認識を持っておくことは、現代の社会で生きるうえで、誰にでも必要なことです。新宗教にまつわるトラブルを経験した人、あるいは、いまでも経験している人は少なくありません。
その点でも、新宗教は私たちにとって、けっして無縁なものではないのです。新宗教にアプローチするうえで、芸能人との関係について考えることは、一つのわかりやすいきっかけになるのではないでしょうか。
芸能人自体が、私たちにとっては特別な存在です。私たちは、芸能人に憧れを抱いていますし、街のなかで出会ったりすると、それだけでウキウキしたりします。芸能人は「アイドル」であり、「カリスマ」なのです。
そうした芸能人が、特定の新宗教に入っていると聞くと、どうしても、そのことに関心をむけてしまいます。特別である芸能人が、さらに神秘的な存在に見えてきてしまうのです。
なぜ、芸能人は新宗教にはまっていくのか。それは、私たちを刺激する大きなテーマなのです。