八五年の定義では、「学校として事実を認定しているもの」という文言があったことも特徴のひとつでした。これはすなわち、いじめかどうかを判断するのは教師であり、学校であったということです。
それによって、いじめられる子に生活や性格上の問題点などがあった場合、そこを直さない本人が悪いと見なされ、いじめの件数にもカウントされないといったことが起こりました。家庭に問題のある子は、いじめ自殺すら家庭の問題とされたのです。いじめは、あくまで本人もしくは家庭の問題と見なされたのです。なんとも鈍い人権感覚です。
「学校として事実を認定しているもの」の文言は、九四年にようやく定義から外され、「本人の訴えがあればいじめと確認する」に変更されました。