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教養としての戦後<平和論>
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人文・科学
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はじめに

『教養としての戦後<平和論>』
[著]山本昭宏 [発行]イースト・プレス


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あいまいな日本の「平和」



 現代の日本社会で「平和」という言葉を見聞きするとき、どこか気恥ずかしさを感じることはないだろうか。政治家による公式な声明や教育の場や自治体のポスターで「平和」という言葉を見聞きすることはあっても、ほとんど自分の言葉として「平和」を使うことはない、そういう人が多いのではないだろうか。誰も「平和」を否定しないが、口にするとなんとなく空虚な感じが残る。「平和」は、そういう言葉になっているのではないか。


 では、そもそも、「平和」とは、どういう意味なのだろう。『日本国語大辞典 第二版』から「平和」の意味を確認してみよう。


①おだやかに、やわらぐこと。静かでのどかであること。また、そのさま。

②特に、戦争がなく、世の中が安穏であること。和平。



 なるほど、確かにこの説明は、現代日本における「平和」のイメージをよく表している。「戦争がなく」という説明は、「反戦平和」という言葉があるように、戦後日本が戦争と平和とを対立・矛盾するものとして捉えてきたことを表している。たとえば、自らを「平和主義者」と公言することは可能でも、自分は「戦争主義者」だと言う人はほとんどいないだろう。『日本国語大辞典』の定義に戻ると、「特に、戦争がなく」とあるが、それが誰にとっての「戦争」なのかは明示されていない。「世の中が安穏である」という説明にも、同様の問題が指摘できる。「世の中」の範囲はどこまでか、「安穏」とは何か、という問題は、「平和」という言葉を使う者にゆだねられている。そして、それらは①にあるように、「おだやかに、やわらぐ」という非暴力のイメージに包まれている。その意味で、「平和」の対義語は「戦争」だけではなく、「暴力」と捉えることもできる。


 このように、「平和」という言葉があいまいなものである以上、「戦後日本は『平和』だったのか?」という問いに対する答えもあいまいなものにならざるを得ない。憲法で交戦権を放棄した戦後日本は、当然ながら、主権国家として戦争を遂行したことはなかった。この事実のみを強調するならば、戦後を振り返って、やはり戦後日本は「平和」だったと言うことも不可能ではないだろう。しかし、戦後日本が、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争などの戦争と深い関わりを持ったことを否定するのは難しい。さらに、「平和」の意味を広くとるならば、沖縄にアメリカの軍事基地を集中させ、原発災害を収束させることができていない現状でも原発を手放さず、苛酷な労働を「自己責任」の名で放置している現状を「平和」と呼ぶことには、ためらいが残る。


 つまり、「平和」というあいまいな言葉は、この言葉を使用する人びとが自らの思想信条や願望を投影させてしまうため、何が「平和」なのかという問いについて、皆が一致する答えは簡単には得られないのである。そうした多様な見解を綜合するべきなのだが、「平和」という言葉が持つ「おだやか」なイメージが、対立する見解を霧消させてしまう。「なんとなく良い言葉」であるだけに、ブラックホールのようにあらゆる論点を吸収し、結果的に議論を停止させてしまうのだ。だからこそ、戦後日本は一貫して「平和」という言葉で自らを規定することができた。


保守と革新



 本書では、戦後日本で「平和」という言葉が持った意味を多角的に検証していくが、特に注目するのは、誰がどのように「平和」を語り、それが時代とともにいかに変化したのか、という点である。論壇での議論に重点を置くが、文学やポピュラー文化にも視野を広げた。こうした検証作業の際には、必ずと言っていいほど保守と革新という言葉が使用される。本書もまた、これらの言葉を頻繁に使用するため、ここでそれぞれの言葉の標準的な意味を整理しておきたい。


 保守とは、過去からの連続性を重視して現在を捉える態度である。そのため、変化を拒むわけではないが、より漸進的な変化を好み、その過程では妥協を(いと)わない。その意味では、経験を重視して現実を理解しようとする思想だと言える。


 これに対して、革新は、理想とされる未来に向かって現在を変革しようとする態度だと整理できる。そのため、より急進的な変化を求めがちであり、妥協を拒む傾向がある。経験の蓄積に重きを置く保守に対して、経験よりも理性を信頼し、理性が導き出した目標や計画に照らし合わせて、現実を理解する思想である。


 こうした保守と革新という現実理解の二類型は、ブレーキとアクセルのようなものであり、優劣があるわけではないし、この二類型が世界を二分しているわけでもない。また、一人の人間のなかにも、保守と革新の二類型はあるだろう。しかし、保守と革新という対立軸が、いわゆる五五年体制以降の戦後日本において、政治と言論の世界を規定していたこともまた事実である。詳しくは第一章以降で述べるため、ここでは深入りしないが、「平和」との関連で一例を挙げておこう。


 敗戦後の日本は占領軍によって武装解除され、新憲法の制定によって戦争放棄が「現実」になった。しかし、冷戦構造の固定化に伴う占領政策の変化により、アメリカは日本に再軍備を求め、日本もそれに応じることになる。この時期には、まだ「革新」という言葉の使用法は定着していなかった。そもそも、戦中に戦時統制を強めた官僚たちが「革新官僚」と呼ばれていたが、そうした負の記憶から、敗戦直後には「革新」という言葉は忌避される傾向にあったのである。また、一九五〇年に結成された保守政党である国民民主党は、自由党との差異化のために「革新派」と自称していた。他方で、(後に「革新」と名乗ることになる)左派政党は「進歩派」と呼び習わされていた。つまり、この時期には、保守と革新という対立軸は形成されていない。


 この対立軸が定着するのは、左右社会党の統一と保守合同が行われた一九五五年以降だと考えるべきだろう。以後、政治と言論の世界で「平和」をめぐる議論が行われる際には、保守派は伝統的国家観(交戦権は国家主権の一部であるというような主張)に基づいて、国際社会の「現実」と日米の軍事協力という「現実」を論じ、「平和」を「安全保障」の問題として語るようになる。また、そうした理解から「憲法を変えよう」という「革新」的論陣を張ることがあった。他方で、革新派は憲法の理念に照らし合わせて再軍備を否定し、民主主義と人権をもたらした憲法を「守ろう」という、それ自体は「保守」的な主張を展開していく。民主主義と人権は、実はアメリカが掲げる理念とも親和的であり、その意味では保守派よりも革新派のほうが親米的であってもおかしくはないが、実際は革新派は日米の軍事的結びつきを拒否し、アメリカを「帝国主義」と批判することになるのである。


 こうした議論を辿る上で、本書が念頭に置くのは「理念としての憲法」「戦争の記憶」「生活保守主義」の三点である。なぜ戦後日本の「平和」を考える上でこの三点が重要なのか、自明のことかもしれないが、これについても若干の説明を加えておこう。


理念としての憲法



 政治学者の猪木正道(一九一四~二〇一二)は、一九六二年に憲法について次のように述べている。



 わが国のようにキリスト教やイスラム教のような狭義の宗教になじみのうすい国民の場合、党派、利害および信条の対立を越えて国民をしばる規範としては、憲法のほか何一つないのだから、現存社会秩序の保守をたてまえとする保守主義者にとって、憲法ほど大切なものはないはずである



 猪木自身は、当時自衛隊は合憲だと考えており、一九九〇年代になると、自衛隊の存在を明記するよう改憲すべきだと述べるようになるのだが、そうした猪木の思想遍歴はここでは措いて、猪木が「国民をしばる規範」と述べていることに注目したい。


 そもそも、憲法はその国の原理を示すものであるため、規範的な理念としての側面が強い。特に日本の場合は、敗戦後に生まれ変わった日本を象徴するものであり、その意味でも理念として受け止められやすかった。さらに、戦後日本が憲法を一度も改正しなかったという歴史も、理念としての憲法という要素を強めることになった。憲法と現実との()()を、憲法を変えることで解消するのではなく、憲法の解釈を変えることによって埋め合わせてきた。憲法に一度も手が加わらなかったのは、国民が「この憲法で良い」と選び続けてきた結果だが、それにより、憲法は規範的な理念としての側面をいっそう強く持つようになったと言えるだろう。


 憲法前文は次のように述べている。



 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。



 さらに、第九条は次のように記している。よく知られているが、確認のために挙げておこう。


一、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

二、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


「平和」に直接関わる憲法前文と第九条は、前述のように規範的理念として戦後日本を支えてきた。したがって、当然のことながら、「平和」をめぐる議論の多くは憲法の前文と第九条に照らし合わせるという手続きをとることになった。こうした態度を、戦後の日本社会は一貫して続けてきたのである。


戦争の記憶



 新憲法が制定され、またそれが日本国民に受け入れられた最大の要因は、言うまでもなくアジア・太平洋戦争の敗戦だった。敗戦後の日本社会を担った人びとは何らかのかたちで戦争を経験していた。戦友を失った復員兵や親族を戦争で失った遺族も多かった。アジア・太平洋戦争に対する痛切な反省と、戦争が残した深い傷跡は、「平和」への熱望につながっていった(かつて「大日本帝国」の勢力範囲だった沖縄を含む各地域に残った傷跡は、敗戦から占領という過程のなかで、ほとんど意識の外に置かれた)。それゆえ、ある時期までは「平和」を求める運動や思想の最も重要な参照点が、アジア・太平洋戦争の記憶だった。「平和」を支える強力な基盤として、戦争の記憶は人びとの間で共有されていた。


 戦争の記憶から、人びとは戦争を厭い、戦争に反対した。憲法の理念に反するあらゆる軍事化に抵抗する心情も、戦争の記憶から生まれたと言える。ただし、戦争を悔恨する心情のなかには、「大日本帝国がしたことは悪いことばかりではなかった」という気持ちや反米意識も存在した。特にナショナリズムと結びついた反米意識は、戦後社会のなかで繰り返し噴出することになった。アメリカの軍事力は、憲法の理念にとっても、日本の独立にこだわる心情にとっても、受け入れられないものだったからだ。


 しかし、記憶は時の流れとともに色あせ、変形する。戦争の記憶も例外ではない。かつて、戦争体験に基づいた世代区分があった。おおまかには、戦前に精神形成期を迎え「大人」として戦争を経験した「戦前派」、戦中に精神形成期を迎えた一九一五年から二五年生まれの「戦中派」、そして一九二五年以降に生まれて戦後に精神形成期を迎えた「戦後派」、戦後に生まれた「戦無派」などの世代区分がそれにあたる。世代が下るにつれて、戦争の記憶が共有されなくなるのはある意味では当然だが、一九九〇年代までは、「戦中派」世代の存在感は依然として大きく、戦争体験に立脚した「平和」論が提示されることも珍しくなかった。実体験に基づく「平和」の語りは、有無を言わせぬ説得力があり、それゆえに反発を生むこともあったが、戦後日本においては「平和」を求める心情の源泉であり続けた。しかし、そうした直接体験者が、あるいは直接体験者と顔を合わせて議論できた世代が高齢化し始めると、当然ながら戦争体験と「平和」との結びつきも弱まることになった。


 しかしながら、戦争の記憶は色あせても、「戦争=国家間の総力戦」という戦争観は強固に残存し続けている。二〇〇〇年代以降に「対テロ戦争」と言われる内紛状態が世界で恒常化してもなお、日本社会の戦争観はアジア・太平洋戦争的な「総力戦」に規定されている部分がある。しかし、こうした戦争観が残っていても、それに対する「平和」観は大きく揺らいでいるというのが現状ではないか。この点については、第四章で検討することになるだろう。


「生活保守主義」



 戦後日本の「平和」の変容を辿る上で念頭に置きたい最後の点は、「生活保守主義」である。本書では、「生活保守主義」という言葉を、否定的には使っていない。しばしば指摘されるように、「進歩的文化人」が覇権を握った戦後日本の言説空間において、保守という言葉は時に蔑称として機能した。これに対して、本書が使用する「生活保守主義」は、おそらく誰もが持つであろう、自分の生活を平穏無事なものとして守り保ちたいという心情を指す。その意味で、現状維持的ではあるが、「保守と革新」というときの「保守」とは異なり、必ずしも特定の政治的信条と強い結びつきを持っているわけではない。


 戦争の記憶に基づく「平和」の志向性の一部には、「二度とあんな経験はしたくない」という思いが入り込んでいたが、「二度とあんな経験はしたくない」というその思いは「生活保守主義」と分かちがたく結びついている。戦争の危機が言われる際に表面化する(えん)(せん)感情(戦争は嫌だ)にも防衛感情(戦争を起こさせないように軍備を持とう)にも、「生活保守主義」が流れ込んでいると理解できるだろう。革新派と保守派がそれぞれに展開した「平和」をめぐる議論は、こうした心情を刺激し、時に動員することによって影響力を持ったのである。


 もちろん、戦後日本の平和運動の高まりが、すべて「生活保守主義」に起因するわけではないが、それを全く無視するのは難しい。社会のなかに戦争の記憶が根強く残っていた時代には、「生活保守主義」は平和運動と結びつくことができた。しかし、国際的な緊張が高まると、人びとが「自衛」を求めるという傾向もまた、「生活保守主義」の一つの表れであり、こうした傾向は一九五〇年前後にすでに見出すことができる。


 しかし、月日が経つにつれて、戦争の記憶は色あせていく。そして、高度経済成長を経た日本社会は、繁栄のなかの「平和」を守りたいという意識が強くなった。そうなると、繁栄と「平和」をもたらした戦後体制を肯定的に捉える保守的な「平和」論が存在感を増し始める。さらに、「ソ連脅威論」「中国脅威論」「北朝鮮脅威論」が人びとを刺激し、米軍と自衛隊による「安全保障」を是認する下地ができていくのである。


 以上、「理念としての憲法」「戦争の記憶」「生活保守主義」の三点を念頭に置きつつ、戦後日本の「平和」の内実に迫ってみたい。


本書の構成



 さて、本論に入る前に、ここで全体の見取り図を描いておこう。


 第一章では、敗戦から一九六〇年までを扱う。


 敗戦を境に「大日本帝国」は崩壊し、帝国の「臣民」は、「平和国家日本」の「国民」へと再編成された。戦争の記憶が生々しかった占領下の日本には、生活を脅かす戦争への強い拒否感があり、それが憲法九条の支持にもつながった。生活を守ることと、戦争を警戒することとが、人びとの意識のなかでほぼ直接つながっていたと言えるだろう。しかし、冷戦構造が固定化して日本が再軍備に踏み切り、さらに講和をめぐる議論が活性化するなかで、改憲論が登場するようになる。日本の真の独立のためには軍備が必要であるという意見と、憲法の理念に基づく非武装と中立を唱える意見とが、対立するのである。また、講和条約に伴う日米安全保障条約の存在が、「平和」の議論を込み入ったものにした。主権回復後の日本社会において、「平和」は日本の独立をめぐる議論と不可分であり、日米安全保障条約とそれに伴う米軍の駐留への評価をめぐって激しく意見が対立したのである。


 第二章では、一九六〇年から七〇年代初頭までを扱う。


 この時期には、「平和」をめぐる議論に新たな風が吹いていた。「現実主義」と呼ばれた政治学者たちが、「力の均衡」を重視する考えから日米安保体制を是認し、その文脈で「平和」という言葉を使い始めていた。それに対応するかのように、自民党政権も「平和」を前面に出していく。そして、国民もそれをある程度は受け入れていった。アジア・太平洋戦争のような「総力戦」や「軍国主義」を回避することに主眼が置かれた日本の「平和」意識は、ベトナム戦争時において、自分たちを当事者として意識することができず、高度経済成長下の繁栄のなかで、保守化していったと考えることができる。五〇年代に「平和」という言葉が「反体制化」したのだとすれば、この時期は「平和」の語が「体制化」する端緒だったのだ。そうした状況で、従来の平和運動への違和感や戦後日本の「平和」を疑う鋭い意見が、若い世代から提起されるようになった。


 第三章では、一九七〇年代初頭から、八〇年代の終わりまでを扱う。


 戦争の記憶が薄れ、日本が経済的豊かさを達成したこの時期には、その経済的な豊かさを維持することが優先された。憲法九条と自衛隊と日米安全保障条約とが併存する状況下で達成された豊かさを守ることは、その状況を守る(あるいは否定しない)ことを意味した。つまり、憲法九条と日米安保の組み合わせによる「平和」が、広く定着したのである。そこには、保守政権による一種のイメージ戦略も作用していた。そうした状況では、「平和」という言葉がいよいよ体制内の言葉となると同時に、社会に()(かん)をもたらす「元凶」として拒絶の対象にもなった。こうして、誰もが「平和」を享受しながら、「平和」はなんとなく口に出すのが恥ずかしい言葉になっていった。


 最後の第四章は一九八〇年代の終わりから現在までを扱う。


 湾岸戦争時に自衛隊の海外派遣をめぐる議論のなかから、戦後日本の「一国平和主義」への批判が高まっていった。その後、保革の対立状況は崩れ、総保守化する政治状況のなかで、「平和」の保守化は前提となり、一部の論者たちは「平和」を()()するようになった。同時に、かつては機能していた労働組合や平和団体などの中間団体は機能不全に陥り、個人と社会とをつなぐパイプは痩せ細った。さらに、インターネットの普及に伴い言論の場の再編成が始まった。生活を守ることは個人の「自己責任」となり、人びとが政治問題で「つながる」基盤も、弱体化した。こうした状況で、それまでかろうじて保たれてきた「平和」の像が、共有されにくくなったというのが現状である。


 本書では、こうした四章構成で、戦後日本の「平和」を振り返る。敗戦から現代までの間に、「平和」という言葉には、どのような希望が託されたのか、どのような失望が投げかけられたのか、なぜ口にするのが恥ずかしい言葉になったのか───。こうした問いを念頭に、本書では、「平和」という言葉が戦後日本社会のなかで持った意味の変遷を辿ることにしたい


*引用部は適宜現代仮名遣いに改めた。



1 猪木正道「私の憲法擁護論」『世界』一九六二年六月号、七四頁。

2 戦後日本における「進歩主義知識人」の覇権と「保守知識人」の周縁化は、竹内洋の一連の研究に詳しい。特に、『丸山眞男の時代』(中央公論新社、二〇〇五年)や、『革新幻想の戦後史』(中央公論新社、二〇一一年)など。

3 もとより、一冊の本で戦後日本をカバーするのは困難である。また、先行研究は多いが、政治学とその周辺分野に集中しているように思われる。ここでは、戦後日本における「平和」の様態をある程度通時的に記述した研究のなかから、本書が特に参考にしたものを、学問領域は問わず、新しいものから発行年順に挙げておく。

単著では、和田春樹『「平和国家」の誕生:戦後日本の原点と変容』(岩波書店、二〇一五年)、根津朝彦『戦後『中央公論』と「風流夢譚」事件:「論壇」・編集者の思想史』(日本経済評論社、二〇一三年)、福間良明『「反戦」のメディア史:戦後日本における世論と輿論の拮抗』(世界思想社、二〇〇六年)、道場親信『占領と平和:〈戦後〉という経験』(青土社、二〇〇五年)、小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉:戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社、二〇〇二年)、坂本義和『相対化の時代』(岩波書店、一九九七年)、田中明彦『安全保障:戦後50年の模索』(読売新聞社、一九九七年)、田畑忍編著『近現代日本の平和思想:平和憲法の思想的源流と発展』(ミネルヴァ書房、一九九三年)、石田雄『日本の政治と言葉 下』(東京大学出版会、一九八九年)など。

論文では、酒井哲哉「戦後の思想空間と国際政治論」(酒井哲哉編『日本の外交 第3巻 外交思想』岩波書店、二〇一三年)、山口二郎「戦後平和論の遺産」(『世界』一九九三年一月号)、高橋進・中村研一「戦後日本の平和論:一つの位相の分析」(『世界』一九七八年六月号)。

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