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尾木ママの 親だからできる「こころ」の子育て
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『尾木ママの 親だからできる「こころ」の子育て』
[著]尾木直樹 [発行]PHP研究所


読了目安時間:12分
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 「答えが見つからない」なら、子どもと一緒に考えればいい



 二〇〇一年に単行本『親だからできる「こころ」の教育』を出版してから、早いものでかなりの月日が経ちました。

 文庫としてリニューアルするというお話をいただいて、改めて原書を読み返してみたのですが、今の時代も、そしてこれからの時代も、ますます子どもたちの心をどう育てていくかが、本当に重要になっていくなあと痛感しています。

 二〇一一年三月十一日に起きた東日本大震災で、日本は「これからの国づくりをどうしていくのか」という、とても重要な課題を突きつけられましたね。この国づくりのなかには、未来を担っていく子どもたちをどんなふうに育てていくかも含まれます。これからの時代、どうやって子どもを育てていけばいいのか……と不安に思っているお母さんも沢山いらっしゃるのではないでしょうか。

 未曾有(みぞう)の大災害で感じたことを正直に言うと、この大震災では今の日本人のいろいろな問題点が明らかになりました。

 モラルを守って堪え忍び、暴動も起こさず、力を合わせて頑張っている被災地の方たちの姿は、日本国内だけでなく、国際的にも反響を呼んで賞賛を受けました。一人ひとりのモラルの高さと団結力は、たしかに日本人の持つよさを象徴的に表していたと思います。

 でも福島第一原子力発電所の事故では、日本人のダメさ加減のほうが浮き彫りになってしまいました。情報隠しや発表の遅れや事実の隠蔽、あげくには佐賀県の原発を運転再開させるための「やらせ問題」のように、モラルのモの字すら考えていないような対応は、怒りすら通り越して、呆れてものも言えないという感じです。

 電力会社や原子力安全・保安院の人たちは、いわゆるエリートです。危機的状況になったときに保身に走るエリート層の弱さを目の当たりにして、日本の教育の失敗も改めて証明されましたし、おかしいことを「おかしい」と発信していかないメディアや日本人全般の(ゆが)んだ我慢強さも実感したことです。

 強いものに弱くて、長いものに巻かれる。都合の悪いことはどんなことをしても隠そうとする。自分の意見をきちんと主張できない。

 これが東日本大震災で明らかになった日本人の負の側面です。ここを反面教師にして、次の時代を担う子どもたちの教育を、時には子どもたち自身の知恵を借りながら、私たち大人は考えていかなくてはいけないと、心の底から思います。


 日本の教育は世界基準から置き去りにされている


 では、未来の時代の子どもたちを育てる上で一番大事なことは何でしょうか。親をはじめとする大人たちは、どのように子どもを育てていけばいいのでしょうか。

 そのひとつのキーワードが「グローバル」です。

 しっかり世界と協力し、協同し合って生きていくことができて、個の確立がきちんと図られ、言うべき意見は自分の意見として述べられる人であること。未来につながる心豊かな子どもたちを育てるには、ここを目指していかなくてはいけないと思います。

 これからの時代は、ますます世界の国との垣根が低くなります。求められる能力も、国内に通用するだけではダメで、国際社会で通用する力を身につけていくことが必要になっていきます。国際社会が一番重視しているのは、発想力、洞察力、問題解決能力、表現力、グローバルコミュニケーション能力、そして批判的な思考力というものです。

 残念ながら日本は、この世界基準から完全に置き去りにされてしまいました。

 それも当たり前といえば当たり前。日本の教育はとても内向きで、世界に通用する人間を育てていこうという発想がないからです。例えば、一時期の詰め込み教育の反省から、次は「ゆとり教育」へと移行した時期があります。

 ゆとりをもたせて考える力を(はぐく)んでいこう、子どもたちのこころを育てる教育を……となったわけですが、やってみたはいいものの、国際的な学力テストでガクンと結果が落ちてしまった。それを受けて、「やっぱりゆとりはダメだ」と言われ出し、今度は「脱ゆとり」ということで、元の詰め込みに戻ってしまいました。

 要は、詰め込むのか、詰め込まないのかというだけの違いで、「記憶して正解がすぐに出せればよい」という変わらない教育観の中で、あっちに振れたり、こっちに振れたりしているだけなのです。

 国際社会が求めている能力が、記憶力と正答力でないことはすでに明らかになっています。ところが日本の教育には、物事の本質や理屈を教え、主体的、創造的、あるいはクリティカルに物事を発展させていく力を育てようという視点がまったくありません。

 こうした教育観の中で育っていく子どもたちは、どんどん世界から置いていかれることになります。


 「あなたが生きるってことは、世界とつながって生きるってことなんだよ」


 世界に相手にされない人になっていくだけではなく、いざ就職となったとき、国内企業の採用においてさえ、置いてけぼりにされてしまう可能性もあります。

 企業の採用戦略は、すでにグローバルを視野に展開されています。

 例えばパナソニックは二〇一一年度の新卒採用の八〇パーセントを外国人にしました。同様に「ユニクロ」のファーストリテイリングは五〇パーセントが外国人でした。

 企業が生き延びるためには海外にも足場を作っていかなければなりません。そうした状況の中では、日本人だろうが、日本以外の国の人であろうが、「優秀であること」が何よりも優先されます。

 日本語もできるし英語もできる。それに決断力もあるし、忍耐もできる。こうした能力があることが、企業で採用される必要条件になっていきます。
「いい大学にさえ入れば、大企業に入れて、この子も安泰だわ」は、金輪際通用しなくなっていくと考えたほうがいいのです。

 子どもの心を育てていくにあたっては、同じ「心の強さ」「心のやさしさ」であっても、これからはグローバルな視点に基づいた「心の強さ」「心のやさしさ」が不可欠になっていくことは間違いありません。

 それには日頃から、「あなたが生きるってことは、世界とつながって生きているってことなんだよ」という認識を、子どもたちの中にどう育んでいくかが大切になります。

 本音を言えば、「そのためにも親御さんたちは、高校でも大学でもいいから、とにかく我が子を留学させて!」と言いたいのですが、せめて海外のニュースを話題にして、世界経済の仕組みを話し合ったり、海外の外交のやり方を見て各国の立場や思惑を話し合ったり、グローバルな視点で世の中の出来事を話し合ってほしいなと思うのです。


 生命力のある子はみんな「ありのままの自分が好き」


 子どもが大きくなったときに必要とされる能力が「自らどう考え、判断し、問題を解決していくか」であり、「豊かな発想力に基づいて、さまざまに創造していける力」であると思えば、家庭教育でやれることもいっぱいあると思います。

 例えば親御さんたちにまずしていただきたいのは、「テストでいい点を取ること、内申書をあげることが大事」といった価値観から脱出することです。

 学校の勉強だけに主眼を置いて、テストの点数しか評価しないようなペーパー主義から抜け出せないと、本当に心豊かな子は育っていきません。

 テストの点数が四十点でも、豊かな感性があって、「なぜ?」と考えることができる子のほうが、十年後、二十年後、ものすごい力を身につけている可能性があるのです。

 内閣府が二〇一〇年に発表した潜在的ひきこもりの人数は一五五万人でしたが、この数字は日本にとって大変な損失です。ひきこもりの人たちの平均年齢は三十五歳前後でしょう。おそらくは感受性が鋭くて、勉強もできる優秀な子で、いわゆる「いい子」だった人が多いと思います。

 どんなに勉強ができて優秀で、いい子であっても、生きる力や意欲、そして自己肯定感がもてないまま大人になっていけば、どこかでつまずきます。不登校やひきこもりは、そのひとつの形といっていいのです。

 二〇〇八年ごろ、東大生を対象に自己肯定感についてアンケートをとったことがありますが、その結果を見て驚いたのは、びっくりするぐらい自己肯定感が低かったことでした。

 それは他者との比較で自己評価をするからです。

 日本の子どもたちの自己肯定感の低さは、さまざまな国際比較調査でも現れていて、小学校でも中学校でも、高校でも大学でも、日本はドン底です。

 ところが他の国の子どもたちは六〜八割が「自分はできる」と堂々と答えるのです。

 なぜ、そのような自分への自信と自己肯定感がもてるのでしょうか。それは他人と比べて自分を評価するのではなく、去年の自分と比べて「ここまでできるようになった」という評価の仕方をしているからなのです。

 他人と比較した自分ではなく、あくまで「自分は自分なんだ」とありのままの自分を認めて、そこに確信をもっているからこそ、自分の成長や存在を真正面から肯定することができるのですね。

 残念ながら、日本の子どもたちには、堂々と「自分は自分でいい」「ありのままの自分でいい」と思える気持ちがなかなか育ちません。ここは長い間教育の現場に携わってきた私としても、本当に忸怩(じくじ)たる思いです。学校教育ではむずかしい分、家庭での親子の関わりの中で、ぜひそこを(はぐく)んであげられるといいなと思うのです。


 子ども参加で共に考え、共に歩もう


 二〇一一年「FIFA女子ワールドカップ ドイツ大会」で、日本の「なでしこジャパン」は見事に優勝を果たし、日本国中を感動の坩堝(るつぼ)に変えました。彼女たちの強さは、佐々木則夫監督の育て方にもあると思います。

 聞いていて「すごい」と思ったのは、弱点を修正するのではなく、長所を伸ばすやり方でチームを強くしたことです。その発想が、これからの教育では大切になってくることでしょう。個がきちんと確立されている一人ひとりが、横並びで手をつなぎ合い、一つの大きな力となっていく。弱い個人であっても、個人として確立された者同士が集まれば、強い一人よりもはるかに強くなれるはずです。

 自立した人同士がまとまり合う強さは、上からの号令一つで動いていく塊の強さとは違い、しなやかで、だからこそ強靭(きようじん)です。

 グローバル化の中で日本が他の国と仲よく生きていくためにも、このようなしなやかで強靭な日本をイメージし、学校も、そして親である皆さんたちにも、個の確立した子どもたちを育てていっていただきたいと思うのです。

 いっぱい記憶して正しい答えがパッと出せる、従来型の勉強ができる「いい子」ほど、親の望む自分を演じて、自尊心や自己肯定感が育みにくくなっていきます。

 そういう子ではなく、「なぜ」を大事にできて、ありのままの自分が大好きで、生きるための本当の力が身についている子にしていってあげてほしいと思うのです。

 たしかに、これはなかなかむずかしいことかもしれません。でも、そうした思いをもって子どもと向き合っていくことが、心を育てる大事な一歩になります。

 もう一つ、子ども目線で子どもと向き合い、子どもと共に歩むということも意識していただくといいと思います。

 世界情勢も社会情勢も、インターネットの世界も、とにかく目まぐるしく変化していく世の中で、大人主導で子どもを導くには、やはり限界があります。ならばいっそのこと、子どもと協同してしまい、「これはどうしようか」と子ども参加で考えたり、決めたりしていく方が、結果はきっといいものになります。

 私は子育て相談もいっぱいお受けするのですが、「子どもから『勉強って何のためにするの?』って聞かれるのだけれど、何て答えればいいんでしょう」といった質問もとても多く寄せられます。
「答え、わかりますか?」と聞くと、ほぼ全員の親御さんが「わかりません」。

 そういうときは、「それならいいじゃないですか。お子さんには『お母さんもわからなくて苦しんじゃうようなむずかしいことを、そんなに小さいのに考えたんだ。それはすごいね。じゃあ、一緒に考えてみようか』と言って、一緒に考えればいいんですよ。正解はないのだから、一緒に考えて出した答えがお母さんとお子さんにとっての正解なんです」とお答えします。

 これでいいのです。親が答えを与えるのではなくて、子どもも参加して一緒に何かを考える。そこにこそ、未来につながる力が育つ鍵があると思います。


 さて、最後にひと言。

 本書を手にとってくださった皆さんの中には、「あ、尾木ママの本だ!」と思って、「尾木ママが言う『心』の子育てってなんだろう」と購入してくださった方も多いかもしれませんね。

 でも、この本を読むと「ずい分と口調が固いな」と感じる方も少なくないと思います。いつもの「〜なのよね」がない!と戸惑ってしまう方もいることでしょう。

 じつは「尾木ママ」はバラエティー番組が作ってくれた新しい尾木直樹で、二〇〇九年に産声をあげたばかりなのです。もう一人の「教育評論家・尾木直樹」は、意外と(?)硬派で、子どもたちを取り巻く環境にも、「それはNO!」をはじめ、言いたいことをあふれんばかりにもっています。

 この本は、尾木ママが誕生する前の二〇〇一年に書かれたものを元にしていることもありますが、硬派な「教育評論家・尾木直樹」キャラで伝えたいことを伝えていこうと考えて書きました。ですから、ちょっと硬めの仕上がりになっているかもしれません。でも「尾木ママ」として僕を知ってくださっている皆さんには、違う一面を知っていただけるいい機会だとも思っています。

 まじめな顔をして、まじめな口調で子どもの教育を語っている、もう一人の「尾木ママ」だと思って、最後まで読んでいただければ幸いです。


 二〇一一年 十月
尾木直樹 
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