『笑う仕事術』
[著]菅賢治
[発行]ワニブックス
ここまではダウンタウンの番組を中心に話してきましたので、ここからは明石家さんま師匠の話をしていきたいと思います。
『恋のから騒ぎ』の誕生については、さんま師匠とそれこそ年間に200日ぐらい会っていた時期があって、その賜物以外の何物でもありません。『踊る!さんま御殿!!』(以下、『さんま御殿』)も同じですけど、その人間関係の中から生まれた番組だとボクは思っています。その頃、さんま師匠とボク、そしてラサール石井さんや松尾伴内ちゃんと4人ぐらいでよくゴルフに行っていました。そして朝の挨拶からこんな感じです。
「師匠お久しぶりでーす」
「そやのう、久しぶりやん。どれぐらい会うてへんかな?」
「いやー、もう二週間会ってなかったですよ」
そしたら石井さんに「オマエら、恋人か!」と本気でツッコミされるぐらい(笑)、年がら年中一緒にいました。
そしてある時、『恋のから騒ぎ』が始まるちょうど2~3年ぐらいまえ、吉川圭三演出で1992年頃にさんま師匠とビートたけしさんの特番をやることになったのです。
番組は、日本テレビ系列の女子アナたちがたくさん出てきて、地方のどうでもいいくだらない三面記事になるような事件を発表して、それを受けてたけしさんとさんま師匠がいろんな面白話をするという内容でした。これがすごく面白かったんですよ! カメラも知らず知らず何時間も回して。そして、収録の最後の最後に、ネット局の女子アナたちに「こんな男とは付き合いたくない」みたいなアンケート──まさしくのちの『恋のから騒ぎ』そのものですが──を隠れて書いてもらったものに、たけしさんとさんま師匠がツッコミを入れていったのです。
その中で、ある若いアナウンサーが、「BMWの新車で迎えに来る男」と答えました。そしたらさんま師匠が、「なんやとコラ。それはオマエと付き合いたいがために新車を無理して買うたんちゃうんかい!」とすっごい怒ったんです。そこは撮り尺でいったら40分以上回ってメチャクチャ面白かったのですが、ほかが回り過ぎてるから、結局、オンエアーは提供バックで30~40秒で終わってしまったわけです。
その後、収録が無事に終了してから、ボクはさんま師匠の楽屋に顔を出しました。楽屋でふたりきりになると、さんま師匠が「今の若い女はムカつくな。こりゃ説教して回らなアカンな」と言い出しました。
「説教といえば、さっきの面白かったですねー」
「いや……オレはもう日本中の若い女、説教して回るわ。これ、もうテレビとか番組とか関係なしや。菅くんも来る?」
「いやいや、なんでそんなもん、ボクが付き合わなきゃいけないんですか。テレビでも行きませんよ(笑)」
その時は、こんな笑い話として終わっていたのです。