◆心地良い人生を取り戻すために
「忙しさのメガネ」を通して現実を見ている限り、そしてその色が濃いほど、見える風景はいつも同じ、ということになります。
見えているものは目の前にある現実ではなく、「あれもやらなければ、これもやらなければ」「あれも終わっていない、これも終わっていない」という想念だけ。
こんな状態で「やらされている感」だけを持ちながら生きていくのでは、人生のオーナーとは言えない、ということを前述でお話ししました。主体性がなく、無用の不安や焦りに振り回されて、何とかこなしながら生きている、ということだからです。まさに、「忙しい病」に乗っ取られた人生ですね。
「やらされている人生」から脱して、人生を自分のものとして取り戻すための一つの有効な方法が、「メリハリをつける」ことだということにも触れました。
本章では、この「メリハリをつける」ということについて、より詳しく見ていきましょう。
◆自分で考えて、判断して、行動する
メリハリをつけるためには、ただ漫然と「あれもやらなければ、これもやらなければ」「あれも終わっていない、これも終わっていない」に流されて生きていくのではなく、「自分の」判断が必要です。「自分が」判断している、という時点で、すでに主体的な関わりが生じ始めます。
メリハリをつけるということは、自分の判断によって、物事に優先順位をつけるということ。それは単に、「仕事を効率良く仕上げるためには何を優先すべきか」というレベルのことだけにとどまらず、より大きく人生全体を視野に入れたときに、自分はどう生きていきたいのかを考え、どこに手をかけ、どこで手を抜くかを考えるということです。
これは、「忙しい病」のまっただ中で、単に「忙しさ」「忙しい感」に振り回されて日々を生き延びる、というのとは対極にある姿勢です。
◆罰ゲームみたいな毎日はおしまい
「忙しい病」のときには、自分が「忙しさ」に試されているようなもの。「どこまでこの忙しさに耐えられるか」の罰ゲームでもやっているようなものです。
一方、メリハリをつけて、「自分らしい人生」を送るということは、自分の好みに合わせて人生を築き、調整していくこと。ときには忙しく、ときにはリラックスして、バランスの良い人生を送っていくことです。
もちろんその主役は自分自身です。忙しさの罰ゲームの哀れな一参加者でいるよりも、人生の主役として充実感や達成感を持って生きていったほうがずっと気持ち良さそうですよね。