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『ジブリアニメで哲学する 世界の見方が変わるヒント』
[著]小川仁志
[発行]PHP研究所
Story 『風の谷のナウシカ』
「火の7日間」と呼ばれる最終戦争によって、文明が崩壊した後、人々は腐海の森から発せられる有毒ガスに悩まされながら生きていた。その中で、風の吹き抜ける「風の谷」に住むナウシカたちだけが、その難を逃れている。
ナウシカは王蟲をはじめ腐海に棲む生き物たちとの共生を模索していたが、そこに森を焼き払おうとするトルメキア王国の軍隊が現れる。彼らは伝説の巨神兵をよみがえらせようとしていた。
他方、トルメキアと争っていたペジテ市の側は、王蟲の大群に、風の谷ともどもトルメキア軍を襲わせようとする。それを知ったナウシカは、体を張って王蟲の侵攻を食い止める。
人々の目には、その姿があたかも伝説の救世主のように映った。
考えるためのヒント
なぜナウシカだけ飛行機を使わないのか?
風は宮崎駿の作品を象徴する存在の一つです。そもそも『風の谷のナウシカ』は、スタジオジブリ設立前の作品とはいえ、そこにつながる最初の本格的な長編アニメです。その作品で風がテーマとなっていることと、宮崎駿が引退を表明した際の作品である『風立ちぬ』でもまた風がテーマになっているのは、決して偶然ではないと思うのです。
はたして風とは何か? 『風の谷のナウシカ』では、大きく分けて二つの意味があるように思います。
ナウシカの住む世界は、腐海から発する猛毒の胞子によって、もはやガスマスクなしには呼吸もできない状況に陥っています。
ところが、風の谷だけは、風によってその毒から守られているのです。いわば風のおかげで人々が命を育むことができているわけです。風によって運ばれてくるきれいな空気が、胞子を吹き飛ばし、命を守っている。「命を運ぶ風」、これがこの作品における一つ目の風の意味です。
二つ目は、ナウシカがメーヴェによって風を乗りこなして、自在に空を飛びうるということです。まるで風使いのように、彼女は風を操り、風と一体となります。そうして思いのままに移動するのです。まさに、「自由を運ぶ風」といえるでしょう。
ほかの登場人物たちにはそれができません。皆エンジンのついた乗り物に乗って、風とはほぼ無関係に空を飛ぶのです。ここでいえるのは、ナウシカが特別な存在として描かれていることからもわかるように、エンジンで飛ぶより、風に乗るほうが優れているということです。
風はそれほど偉大な存在なのです。風は神話などで神にたとえられることもあります。風を操れるということは、神を操るのと同じなのです。ナウシカはこの作品の中でキリスト教の救世主のごとく描かれていますが、それは風という名の神を操ることができる存在だからかもしれません。
風がいかに制御できないものであるかは、現代の飛行機でさえも乱気流などの風によって飛行を妨げられることがある点を鑑みれば明らかでしょう。その意味でエンジンには限界があるのです。
ですから、もし風を自在に操ることができれば、私たちは世界中をもっと自由に移動することができるに違いありません。そう、ここでは、風は自由を運ぶ存在として描かれているのです。空を飛ぶことができない人間に、自由を与える存在が風にほかなりません。人間にとって、エンジンなしに空を飛べるということは、特別な自由を与えられることを意味するのです。
実は、一つ目の「命を運ぶ風」と二つ目の「自由を運ぶ風」という二つの風の意味には、共通している要素があります。それは「運ぶ」という部分です。
風はただ吹いているように思いがちですが、本当は何かを運んでいるのです。風媒花という種類の花がありますが、あれは風によって花粉が飛ぶことで受粉し、花が咲くのです。
あるいは匂い。「東風吹かば匂いおこせよ梅の花」。菅原道真の有名な和歌ですが、これは道真が左遷された先で、風が吹くならせめて故郷の梅の匂いを届けてほしいと歌ったものです。匂いに限らず、風の温度や湿度で私たちは季節の変化や天候の変化を感じたりします。風の便りや風の噂などという表現もあります。
風には物事を運び伝える、いわば媒介する役割があるのです。この媒介こそが風の本質であるといっていいのではないでしょうか。能力に限りのある人間が、この地球上で様々な困難の中生きていく際、風は必要とするものと人間とをつないでくれるのです。その意味で、風は生きるために不可欠の媒介なのです。
ある一つの答え
「風」とは、生きるための媒介