『図解版 心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』
[著]斎藤茂太
[発行]ゴマブックス
不安材料を「努力目標」に変えてみる
前章では、「心配してもしょうがないことを心配するのはやめなさい。起こってしまった過去の事実や、動かしようのない現実、あるがままの自分自身を受け容れて、いまだ来ない未来をいたずらに恐れず前に進もう」というお話をした。
本章では一転して、大いに「心配性」を奨励しようと思う。
と言ってももちろん、「心配しっ放しでいいですよ」とおすすめするのではない。なぜ、心配になるのか、その不安材料をはっきりさせて、これから起こることへの対応策に結びつけるよう行動することをご提案したいのだ。
冒頭で述べたように、人間とは「心配する動物」である。よって、まったく何も心配せずに日々を過ごすのは不可能だ。
とくに「先のこと」となると、何が起こるかわからないために、さまざまな心配事が頭をよぎる。これはもう、抑制のしようがない。
しかし、先のことに対する心配なら、逆手に取ることができる。「心配した通りに物事が運ばないように、不安材料を努力目標として掲げる」、たったそれだけのことで前向きに行動するエネルギーに変換することができるのだ。
これはようするに、心配性のうつうつとした気分から脱し、いわば「人事を尽くして天命を待つ」という境地に達するための作業である。
先のことをあれこれ考えて、心配するだけでは何もいいことはないが、「心配だから、やれるだけのことはやっておこう」と考えればまったく違ってくる。
心配が行動の原動力になり、「失敗しないように努力する」ことに集中できるようになる。そして、あらゆる「心配の芽」を一つずつ摘み取っていくことによって、「結果がどうなるかは、運を天に任せるのみ」と、気持ちがスッキリしてくるのだ。
もちろん、周到に「失敗しないための準備と努力」を重ねても、“悪い予感”が当たる場合もあるが、「少なくとも、自分は努力をした」という、ある種の充足感が残る。と同時に、自分の行動を振り返りながら、何が足りなかったのか、方向性が間違っていたのかなどと、失敗の原因を具体的に反省することもできる。次の一歩につながるのだ。
しかし、心配するだけで何もしないと、「やっぱり、失敗した」と落胆するばかり。失敗を回避する行動をしていないだけに、「ああすればよかった、こうすればよかった」がウンザリするほど頭に浮かび、身動きがとれなくなる。
結局、「自分はダメな人間だなぁ」と、自身の人格や能力をおとしめるような思いにとらわれてしまうだけだ。ひじょうに損である。
人は誰しも、「うまくやりたい」「失敗したくない」「向上したい」「成功したい」と望むものだ。心配性の人は、その願望が人一倍強いから、不安になったり、クヨクヨ考えたりする。
本来は前向きな性格なのに、消極的な行動に終始してしまうのは、もったいないことだ。逆に、心配性であることを誇りに思い、積極的に物事に取り組んでいこうではないか。