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ファストフードの恐ろしい話
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エンタメ
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無敵の3秒ルール

『ファストフードの恐ろしい話』
[著]剣崎次郎 [発行]彩図社


読了目安時間:5分
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 いつ誰が言い始めたか分からないが、世の中には「3秒ルール」という言葉がある。


 地面に落としてしまった食べ物でも、3秒以内に拾ってホコリを払えば食べても大丈夫というやつだ。


 自分が食べるものをこっそり拾い上げる程度ならまだしも、客に食を提供する場で3秒ルールが行われていると知れば、あなたはどう思うだろう? 私がファストフード業界に入った頃は、3秒ルールが当たり前のように行われていた。


 私が大手ファストフードチェーンA社に入社したのは、1990年代初めのこと。それまで店舗でのアルバイト経験がなかった私は、初めて働くファストフード店の光景に驚くばかりであった。店は常に忙しく、厨房では聞き慣れない専門用語が飛び交っている。慣れない環境と慌ただしい作業で、私はすぐに肉体的にも精神的にも疲労困憊してしまった。


 そんなある日、私はトースターで焼いたバンズ(パン)が載ったトレーを、床に落としてしまった。

「すいません!」

「大丈夫ですよ。すぐ拾って」


 私を指導してくれていた大学生アルバイトの久野君はそう言うと、急いで床に落ちたバンズを拾った。そしてトレーに戻しながら言う。

「まだ、3秒経っていないからセーフ」


 その言葉に私は耳を疑った。3秒経っていないからセーフ?

「え? いいんですか?」

「剣崎さん、早くしないと時間がないですよ」

「でもこれ、床に落ちましたけど……」

「いいから早く。まずはバンズの中心に、マスタードとケチャップを1回ずつショットして」


 久野君は、何事もなかったようにオペレーションの指示を出した。私は床に落ちたバンズを、そのまま商品として出すことに後ろめたさを感じたが、その時はそのまま従うしかなかった。


 少し暇になった頃を見計らい、私は久野君に尋ねた。

「久野君、さっきの件ですけど……」

「ああ、さっきの件ね。あれは、3秒ルールと言うんですよ」

「3秒ルール?」

「そう、3秒ルール」

「でも、床に落ちて衛生的に良くないですよね」


 当たり前のことを言ったつもりだったが、久野君は困った顔をした。

「僕も先輩から教えてもらい、実際、先輩がやっている姿を目撃したこともある。受け継がれている伝統みたいなもんですよ」

「そうなんですか。……でも、私はちょっと賛成できないです」


 久野君は、私がもし社員でなかったらこれ以上相手にはしなかっただろう。面倒臭さを顔ににじませて、こう続けた。

「剣崎さん、聞いてもらえれば分かりますけど、社員の方もこのルールは知っていますよ」

「えっ、社員公認?」

「公認というより、見て見ない振りをしているんです」


 床に落ちた食材をそのまま客に出す。それがまかり通っている現実に、私はショックを隠せなかった。そしてショックの波が去ると同時に、心中に熱い思いがこみあげてきた。

「でも、良くないものは良くないですよ。いつか私が変えてみせますよ」

「そうですか、頑張ってください」


 私の思いとは反対に、久野君は別段関心もなさそうな顔でそう言った。「新人だから気合が入っているなあ」くらいにしか思っていないようだった。


 今は新人の、何もできないペーペー。何を言っても相手にされないことは分かっていた。だが今に見ていろよ。必ず変えてみせる。私はそう自分自身に誓った。


 その後私は3秒ルールを無視して、落ちた食材はすべて廃棄処分にしていった。アルバイトの中には相変わらず3秒ルールを繰り返す者がいたが、私の行為に対し意見を言ってくる者は誰もいない。なぜ今まで誰も3秒ルールに対して「NO」と言わなかったのか、私は不思議でならなかった。長いものには巻かれろということだろうか。


 そんな見習い期間を経て役付きの社員になった私は、3秒ルールを廃止にした。正論なので誰も反対はできなかった。


 その後異動した店舗で、3秒ルールをしているアルバイトを目撃した。彼はリーダー格のアルバイトだったが、床に落ちた冷凍のハンバーガー用ミートを拾い上げると、何事もなかったようにそのまま使おうとしていた。

「落ちたミートは、廃棄処分にしてください」


 私がそう注意すると、彼は意外そうな顔を向けた。

「剣崎さん、3秒ルール知らないんですか?」

「もちろん知ってるよ。でも落ちたものは、衛生上問題だから廃棄だよ」

「焼いちゃえば問題ないですよ」

「そういう問題じゃないよ。お客様からお金を頂いている以上、変な商品はすべて捨てて」

「でも……」


 今まで当たり前のように行っていた3秒ルールを頭ごなしに注意され、彼も納得がいかないようだ。

「でもじゃない。今後、落ちたものは必ず廃棄処分だよ。いいね。分かった? 他のアルバイトにも徹底させてね」

「分かりました。他のアルバイトにも伝えます」


 その後、数店舗を異動したが、どこの店舗にも3秒ルールは存在していた。さらに別のチェーンへ転職しても、3秒ルールが行われているのを目撃した。


 飲食業界のトラブルが多発し、食の安全に対する関心が高まった今、3秒ルールはようやく影を潜めるようになった。


 しかし、数年前まで、3秒ルールはファストフード業界の悪しき常識であったことは事実である。

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