『要領のいい人・悪い人 「ウマイことやる」生き方のコツ』
[著]中山正和
[発行]PHP研究所
「あいつは要領がいい」というのは一般にはあまりいい意味には使われていないようです。仕事を引き受けたらいつでも同僚より早くやってしまう。困難な仕事でも彼にまかせるとうまいことまとめてしまう。つまり、その仕事を達成するには「結局なにをなすべきか?」ということをよく考えて、ムダなことはいっさいしないのが「要領を得た仕事の仕方」なのでしょうから、要領のいい部下というのは上役にとってはまことに好ましい人物であるはずです。
それがなんとなく素直な誉め言葉にならないで、皮肉めいた響きを持って聞こえてくるのはなぜでしょうか? いったい上役は要領のいい部下を歓迎しているのかどうか? 要領よく仕事をするということはいいことなのか悪いことなのか? そこらのところをハッキリさせておかないと、「要領がいいゾ」と言われたときに喜んでいいのか反省すべきなのかさえ分からなくなってしまうでしょうし、上役も誉めたつもりで言ったのに部下をしょげさせたり、皮肉を言ったつもりが逆に有頂天にさせてしまったりするような誤算を招くことにもなりかねないと思うのです。
だいたい要領のいい人というのはアタマがいいのです。人が汗水たらしてやるところを「うまい手」を考えてさっと片付けてしまうから、汗水たらした人は面白くない。その裏には「私もああいうふうに要領よくやりたい」が「私にはその能力がない」というネタミ心があります。上役というものは部下が自分の指示にしたがってフルに働いてくれるときにこの部下を最高に評価するので、自分の考え及ばないやり方で仕事を片付けてしまうような部下には(本当のところ)嫉妬心を抱くのです。「こんなアタマのいい奴はいつオレに背くか分からない」と。昔の殿様は要領のいい部下は使うだけ使ったら殺してしまうのが当然と考えていたようです。
アタマがいいのは歓迎すべきです。上役はいつも「創意工夫」を奨励しています。しかし人情というものは上役の意表を衝くほどの創意工夫は嫌いなのです。先生の学説を否定するような学説を立てたら、その弟子はクビになるのが世の中のしきたりというものでしょう。
また、アタマがいいということは、とかく悪巧みをする虞がある。困難な仕事をしなくてはならないときに、ウラから手をまわして仕事の障害になっている要人を消してしまうというようなこともしかねません。たしかに仕事はうまくできてしまうが、あとで問題が起きます。
それほどでなくても、「手抜き」ということがあります。上役がチェックするところをいち早く察知して、そこだけはちゃんと仕上げるが、ほかはいいかげんに始末してしまう。土木・建築の工事ではあとでこの手抜きが発覚してよく問題になったり、本当に事故を起こしてしまったりしますが、たいていは手抜きをした本人が誰かは不明ということになっています。
だから、「要領」というのは要領よく使わなくてはなりません。科学技術というものは科学を要領よく使うことによって発達してきたのです。同じように、将来の社会に生きるわれわれは知識を要領よく使うことを考えなくてはならないと思うのです。以下、要領の極意というものを探ってみましょう。