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女20代 「私」を信じる(大和出版) 自分らしい人生へのヒント
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生き方・教養
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1 カン違いしやすい「間に合わせの恋」と「本当の恋」

『女20代 「私」を信じる(大和出版) 自分らしい人生へのヒント』
[著]下重暁子 [発行]PHP研究所


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賢く恋愛するなんて、あり得ない!


恋はある日突然やってくる


「恋をしたことがありますか」


 たいていイエス、という答えが返ってくるだろう。だがその中の何パーセントかは、ほんものの恋をしたというよりも、20代で恋人の一人ぐらいいなきゃ格好悪いわ、と思ってイエスと答えたのではなかろうか? 恋人らしき男性とデートはしているが、恋とまで行かない人もたくさんいる。まだほんものの恋をしたことのない人も含まれていよう。


 私も20代の初め、ほんものの恋をまだ知らなかった。もちろん、中学時代から憧れたり、好きだったりした人はいたし、高校時代にも毎日べったり一緒にいたボーイフレンドがいたが、恋人もどきであって、まだ本当の恋は知らなかった。


 大学を出て放送局へ就職し、名古屋へアナウンサーとして転勤した時、チーフアナウンサーに呼ばれて聞かれた。

「下重君、恋人はいるのかい?」


 その時私はなんと、

「ええ」


 と答えていたのである。男友だちは何人かいたけれど、惚れてはいなかったし、特定の人がいるわけではなかった。見栄を張ったのである。恋人の一人ぐらいいなきゃ格好悪いと思ったのである。


 若い時にはこれに似た見栄がある。友だちが楽しそうに恋人と歩いている。デートの話をする。あせって自分もと、たまたまそばにいた男友だちを恋人に仕立てる。自分もそう思い込もうとする。


 一緒に映画を見たり、食事をしたり、セックスをしたり、それがイコール恋人であることにはならない。そんなことは、目に見える現象でしかなく、恋というのは、目に見えない心の奥のことなのである。


 私自身も、遊び相手を恋人と自分に錯覚させて、チーフアナウンサーについ「ええ」と答えてしまったのだ。それが嘘であることは、誰よりも自分自身が知っていた。


 どうか友だちと恋人を錯覚しないでほしい。恋は、ある日突然まったく思いもよらない時に、目の前にやってくる。その時から、楽しいというよりも狂おしい日々がやってくるのだ。


一生に一度のほんものの恋


「惚れる」──私はこの言葉が大好きだ。惚れたことのある人は幸せだ。惚れるとは、計算もなく、自分自身をなげうっても、その人を思う気持である。


 私の場合、きっかけは、大学三年生であった。当時、音楽大学に行っている男友だちがいて、私を卒業演奏会に誘ってくれた。演奏会場で、カルテットを演奏する中の一人を客席から見た時、私は何ともいえぬ衝撃に打たれた。

「この人だ。名前も知らぬこの人はきっと私の人生に関りがある。幸か不幸かは分からないが……」


 その段階では私の一目惚れであり、向こうは私を知らない。想いは私の心の奥にしまわれたまま、言葉を交すすべもなかった。ところが、名古屋でアナウンサーの仕事をしている時、なんとその人が番組に出演者として現われた。その夜一緒に食事をしたのがきっかけで、一時期は毎日のように会い、以後十年近く、惚れに惚れた狂おしく苦しい日々が続いたのだ。


 会わない時は、会いたいと思い、相手の仕事を考えればそれもいいだせず、苦しむばかり。あまりに惚れすぎて、会えば会ったで緊張し、自由に振舞えない自分がもどかしかった。喜びと同じだけ苦しかった。


 一緒にいたいとは思ったけれど、“結婚”という形で私の恋を日常化することはもったいなかった。惚れすぎていたので“結婚”という現実に縛られたくなかったのだ。仕事も油がのってきた時期で、私は自己表現の場として仕事を続けていきたかった。


 向こうはそんな私を大切にしてくれたが、結婚には向かない女と思っていたようだった。


 結局、その男性は十九歳の女性と結婚し、私は失恋ということになった。結婚したいとは思わなかったけれど、彼が私の前からいなくなるなんて考えられないことだった。


 その後三年ぐらいどんなにつらい日々を送ったか。けれど私は、結果はどうあれ、心底惚れることができてよかったと思っている。二度とありえないほど惚れさせてくれた人がこの世に存在したことに感謝したい気持だ。あの人がいなければ、私はほんものの恋を知らなかったかもしれない。人に惚れることがなく一生を終わったかもしれない。


 二度とあの時のように純粋に人を想うことはできない。あの時の私は今思い出しても涙がでるほどいいヤツだった。計算もなく、自意識も捨て、ひたすらその人のことばかり考えていた。そんな時期があってよかった、と心から思う。


 惚れたことがない、ほんものの恋をしたことがない人生くらいさびしいことはない。適当に遊ぶ相手がいるとか、条件のよい結婚相手がいるとかいうこととはまったく次元の違うことだ。もっと自分自身の奥に根ざしたもの、それが“恋”なのだ。


「恋愛ができない」その理由



 ボーイフレンドはいても恋人がいない、惚れた人がいないという人がいる。


 今は男女のつきあいも自由で、あれこれいわれることも少ない。いわゆる不倫ですら市民権を得ている世の中だ。いくらでも自由に恋はできそうに思うのだが、かえって恋がしにくくなっているのかもしれない。


 あまりに自由で、当り前なので、もう一つ燃えあがらない。江戸時代のように自由に恋愛のできない時代だと、タブーが多いのでかえって燃えあがる。会ってはいけないといわれれば、想いはつのり、なんとか会いたいと思う。いつでもどこでも会えるとなっては、なかなか燃えあがらない。恋愛がしにくい理由かもしれない。みな友だちになってしまい、恋人になりにくい。ましてや「惚れた」とは思いにくい。


 もう一つ、すぐ行動に移して、デートだ、何だと現実が始まるので、自分の中で相手に対する想いを秘めている暇がない。想いをつのらせることがないから、燃えあがらないのかもしれない。


 本気で惚れるためには、外界にわずらわされず、自分の心に耳をすますこと。好きだと思う心に忠実であることだ。友だちがどうだからとか、外部の条件で相手を考えていては恋などできない。計算では恋は成り立たないのだ。


 今、苦しいつらい恋を知っている人は少ないかもしれない。平穏な友だちづきあいからそのまま結婚というケースも目立つ。


 それはたぶん恋ではない。“恋もどき”であるだけだ。「雷にうたれた」という表現があるが、恋には最初に衝撃的瞬間があり、それが次第に深まっていく。


恋したら、自分に正直になろう



 純粋に好きだと思える相手に出会ったら、ためらわずに突き進んでいただきたい。二人の間に障害があったとしても、恋を燃えあがらす手段になるだけだ。最初から賢くその恋をあきらめるとか、結婚だけを目的にするといった馬鹿なことはやめていただきたい。


 恋においては、賢くなんか振舞わなくていい。自分に正直になってほしい。それが自分を見つめるということ。恋は自分の内部を見つめる最高のチャンスなのだ。


 格好よくドライブしたり、お食事したりというきれいごとでは、ほんものの恋はすまされない。時にはどろどろした自分の気持と顔つき合せたり、日常からは考えられないほど冷静さを欠いたり、狂気にとらわれたり、それもこれも自分自身なのだ。恋人を鏡にすることによって正直な姿が見えてくる。

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