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他人の目を気にしない技術(大和出版)
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生き方・教養
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1 「みんなと同じでなければ、生きていけない……」

『他人の目を気にしない技術(大和出版)』
[著]諸富祥彦 [発行]PHP研究所


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  仲間からはずれないための努力


「個性」の大切さがしきりと唱えられています。


 では実際にはどうでしょう。日本人は、「個」を確立しつつあるといえるでしょうか。


 答えは明らかにノーです。むしろ逆なのではないかとさえ思えます。


 たしかに集団主義から離脱して「個」を確立しえた人、力強く「自分」を生きぬいている人もわずかながら目につくようになりました。


 しかし圧倒的多数は、むしろ一昔前よりもずっと深く集団に埋没し、集団に同化せずには生きられないようになってしまっている。私の目にはそう映ります。


 突出することは許されない。突出したくない。みんなと同じ状態であると認め合うことで、自分を守ろうとする。そんな切ない努力を重ねる人も少なくありません。


 二極分化と考えてよいのかもしれません。心の自由を獲得した少数の人々と、心がますます不自由になった人々。そんな皮肉な二極分化が進行しているようにも見えるのです。


 女子高生たちの姿は象徴的です。仲間の目を気にするがために、どんなに寒くてもミニスカートをはき続けます。みんなが巻いているからと、ブランドも柄もまったく同じマフラーだったりします。


 女子大生たちも同様です。仲間同士、みんなでそろって同じ傾向の派手なファッションに走っている。それぞれに個性を発揮しているつもりなのでしょうが、見えない枠のようなものにはまっています。

「ピアプレッシャー」という言葉があります。ピア(peer)は「仲間」、プレッシャーは「圧力」という意味。お互いに牽制し合って、突出しないことで仲間であることを確認する暗黙の圧力のことで、「同調圧力」と訳されています。女子大生や女子高生が、仲間同士、同じようなファッションであることが多いのは、まさにこの「ピアプレッシャー」の表れです。


 では男子高校生たちや男子大学生たちはどうでしょう。男の子たちの多くは、女の子ほどには同調圧力を感じてはいないでしょうか。


 一見そう思えますが、私の観察では、女の子よりも男の子のほうが、より深いところで排他的であり、仲間の目を気にしているようです。


 女性には意外かもしれませんが、男の子もけっこう陰口を叩くのです。男の子のほうが実は表裏の使い分けも徹底しているようです。


 最近の女の子は、嫌いな人の目の前でもガンガンものを言います。けれど男の子は当人の目の前ではヒソヒソ話をします。ひと昔前に比べると男女に逆転現象が生じてきているのです。これは高校や大学で教師をしている人なら誰でも感じていることかもしれません。


 そんなはずはないだろうと思われるかもしれません。しかしそれが現実です。女性は他人の目を強く気にするけれど、いざとなれば開き直れる強さがあります。しかし男性は、一見、さほど他人の目など意識していないように装いながら、その実、心の奥底では仲間はずれにされることをより強く恐れているのです。



  根強く残る「ウラ文化」



 日本には「村八分の文化」が根強く残っています。みんなと違うことをすると排除されたり非難されたりする空気。江戸時代以来、この村八分の文化は、明治、大正、昭和、平成と歴史を重ねる中でむしろ強化され、そのまま今日まで尾を引いています。

「個の時代」といわれて久しい今日、学校でも「個性を伸ばす」をスローガンにして、新しい教育のあり方が模索され続けています。実際、教科の授業や学級経営の中で、先生方は子どもの自己表現を促し、個性を大切にしようと努めています。これが学校の「オモテの文化」です。


 しかし実は、学校にはきわめて根強い「ウラ文化」があります。学校生活で子どもたちにとって大切なのは、何といっても友人(仲間)。その友人関係が、先ほど述べたピアプレッシャーに支配されているため、表向きは「個性を伸ばす」といいながら、その実、個性を圧殺しないではいない暗黙の文化が、今も学校社会を根強く支配しているのです。


 この「隠れたカリキュラム(ヒドゥン・カリキュラム)」を通して、子どもたちはくり返し学び続けています。本気で個性なんか発揮してはならないのだ。独創的であってはならないのだ。自立的であってはならないのだ。横並びの仲間意識から排除されたら生きていけないのだ。そのようにくり返し学び続けているのです。


 この学校のウラ文化は、親世代にも波及しています。親たちは自ら社会のプレッシャーを感じながら、横並びの仲間意識から排除されない努力を重ね、子どもたちにもそのプレッシャーを負わせています。



  時代の変化が生んだ不安


「個性を伸ばす」を旗印に掲げるようになって以来、教育の内容と方法は、たしかに新しくなっています。ディベートを行なったり、総合学習の中で意見や考えを発表させたりして、個の「生きる力」を育もうとしています。その意味では「個性を伸ばす」教育は単なるスローガンにとどまってはいません。


 にもかかわらず、なぜ「隠れたカリキュラム」で個性は殺されてしまうのか。そこにはいささか屈折した人間心理が潜んでいるとみてよいでしょう。


 今までは集団に同化することがよしとされてきた。その状態で安定していた。しかし昨今、個として、集団に埋没することなく主張できることが大切だと強調されるようになった。その結果、これまでの安定が崩れ、不安がふくらんでしまい、逆に、集団の結束を強めようとする心理が活性化されてしまったと考えられるのです。


 現在の学校現場には、そうした現実が蔓延しています。


 生徒たちの様子をよく見ているとわかります。彼ら彼女らは、教師が語る内容よりも、教師が実際にしていることのほうから、より強い影響を受けています。教師が、表のカリキュラムで個としての表現の大切さを説いていても、教師の日常の言動がその反対であれば、心の深部はそちらの影響を受けてしまいます。


 典型的には中学・高校における生徒指導の影響でしょう。個性を大事にといいながら、事細かな服装チェックや持ち物検査などで子どもたちの心を枠にはめようと必死になっています。


 この、学校教育における意図的なスローガンとしての「個の尊重」と暗黙のルールとしての「集団主義」の混在は、今、学校が過渡期、変容の時期にあることをよく示しています。建て前と本音の乖離を乗り越えながら、わずかずつでも望ましい状況、建て前として目指している状況へと近づいていく。今、日本の学校はそんな位置にあると考えられるでしょう。

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