『吉本せいと林正之助 愛と勇気の言葉』
[著]坂本優二
[発行]イースト・プレス
お前ら、
わしをライオンと
呼んどるそうやな。
参考『オモロイやつら』(文藝春秋)
正之助は若いころから、向こう意気の強さ、度胸の良さ、けんかっ早さのある性格でした。この性格が、当時の興業の世界で生きていくためには、うってつけだったようです。
若き日の正之助は、「若ボン」、あるいは「御大」と呼ばれていました。
ところが年を重ねてからは、よりいっそう迫力が増したのか、「ライオン」「重爆」(重爆撃機)、あるいは「魔王」などと、ひそかに呼ばれていました。「魔王」とはひどいあだ名ですが、それだけまわりの人から怖れられていたのでしょう。
とはいえ、その心の奥底は、深い思いやりと愛情に満ちていました。
たしかに日々、芸人や社員を厳しく叱咤していましたし、ときには反発もあったでしょう。しかし、魅力ある上司、尊敬できる経営者でなければ、誰もついていくはずがありません。
部下たちは、正之助を怖れながらも、畏敬の念を抱き、信頼を寄せていました。口は悪いけれど、心の根は優しい人物、というのが彼の実像だったのです。
心の底から尊敬される人物になる
お前の葬式は
俺がやったる。
参考『吉本八十年の歩み』(吉本興業)
正之助は、生命力、生きるエネルギーにあふれた人物でした。
実際、当時のある幹部社員は、
「(正之助の)生に対する執着たるや、すごいもんがありましたねえ」
と証言しています。
すでに八〇歳を超えた高齢のときでさえ、まだ五〇代だった社員に対して、
「お前、こんなに俺に苦労さすと、お前よりわしのほうが先に死んでしまう」
「(お前の)葬式は俺がやったる」
と、笑って話していたそうです。
半ば冗談にせよ、自分は間違いなく長生きする、部下は死んでも自分は死なないと信じていたふしがあったのかもしれません。
社員の生命力は会社の生命力、生きるエネルギーを燃やし続けろ、年齢なんて意識するな──。そんな正之助のエネルギーは、そのまま吉本という会社のエネルギーを表しているようにも思えます。