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吉本せいと林正之助 愛と勇気の言葉
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ルポ・エッセイ
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せいと正之助の歩み

『吉本せいと林正之助 愛と勇気の言葉』
[著]坂本優二 [発行]イースト・プレス


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一八八九年(明治22 吉本せい、兵庫県(あか)()(ふと)(もの)(だな)(綿布を扱う店)「()()(くに)()」に生まれる。

一八九九年(明治32 正之助、生まれる。

一九一〇年(明治43 せい、大阪(せん)()の荒物問屋「箸吉」の息子、吉本(きち)()()(のちに泰三と改名)に嫁ぐ。

一九一二年(明治45 泰三の実家「箸吉」倒産。同年、寄席「第二文芸館」で寄席経営をスタート。

新しいアイデアで客足を伸ばす。

一九一三年(大正2) 南区笠町に吉本興業部の事務所を開く。事業を拡大し、寄席を次々と手に入れていく。

一九一四年(大正3) 正之助、高等小学校を卒業。明石の太物店に嫁いでいた長姉、きくの店に勤める。

一九一七年(大正6) 正之助、「吉本興業部」の手伝いを始める。やがて正式入社し、「総監督」となる。

一九一八年(大正7) 念願だった千日前法善寺の「金沢亭」を手に入れ、「南地花月」と改称。

チェーンの寄席すべてを「花月」という屋号で統一する。

一九二二年(大正11 出雲の安来節に目をつけ、一行を(しょう)(へい)。一流芸に育て上げる。

一九二三年(大正12 関東大震災で被災した芸人のため、毛布一三〇枚を携え、関東へ。

一九二四年(大正13 泰三死去。追善興行の東西名人会を機に、東京進出に乗り出す。

一九二八年(昭和3) せい、(こん)(じゅ)(ほう)(しょう)を受ける。

一九三〇年(昭和5) 「エンタツ・アチャコ」が新しい漫才にとり組み、大人気を博す。

以後、漫才が吉本興業の大きな柱となる。

一二月、初代・(かつら)(はる)(だん)()が吉本に無断でNHKラジオに出演。

正之助が激怒し、放送局に乗り込み抗議。

一九三二年(昭和7) 三月、吉本興業部を「吉本興業合名会社」に(かい)()する。

正之助、「総支配人」の肩書きで代表社員となる。

一九三四年(昭和9) アメリカン・ボードビル「マーカスショウ」を招聘。東京日本劇場で公演し、絶賛される。

トーキー映画『()()(じょう)()』を日活と提携制作し、大ヒット。

一九三五年(昭和10 吉本興業、映画界に進出し、喜劇映画を制作。「吉本文芸部」を創設。

秋田実、(なが)(おき)(まこと)といった漫才作家が入社。八月、大衆娯楽雑誌『ヨシモト』を創刊。

一九三八年(昭和13 一月、朝日新聞社と提携し「わらわし隊」を結成。

以後、数回にわたり芸人を戦地慰問に派遣する。九月、通天閣を三十一万円で買収。

一九三九年(昭和14 正之助が、東宝の()(ばやし)(いち)(ぞう)に請われて取締役に就任。

松竹「新興演芸」が吉本演芸人の引き抜きにかかる。正之助が阻止。

一九四五年(昭和20 三月、米軍空襲により大半の劇場が損失。残る劇場を映画館にする。

正之助が、吉本の演芸事業の中止解体を宣言。

一二月、京都・(こう)()()()(れん)(じょう)を借り受け、進駐軍向けのキャバレー、映画館を開店。

一九四六年(昭和21 九月、「大阪花月劇場」を「千日グランド劇場」と改称し、洋画ロードショー興業を行なう。

一一月、「梅田グランド劇場」で洋画ロードショー興業を行なう。

一九四八年(昭和23 一月、合名会社を吉本興業株式会社に改組。

一九五〇年(昭和25 せい、死去(享年六二歳)。

一九五八年(昭和33 大阪で「力道山・シャープ兄弟」らのプロレス興行を行ない、大成功。

一九五九年(昭和34 吉本の誇りとした「花のれん」を「うめだ花月劇場」にふたたび掲げる。

以後、「京都花月」「なんば花月」などを演芸場として、続々と再開。

一九七三年(昭和48 正之助、吉本興業株式会社会長に就任。ふたたび演芸人の育成に力を注ぐ。

一九八七年(昭和62 正之助、芸術文化振興の功により、大阪府知事賞。春の受勲にて銀杯賜与。

演芸文化の情報発信源と位置づけた、吉本会館(NGK)を千日前に建設。

一九八八年(昭和63 正之助、文化振興の功により大阪文化賞を受賞。

一九九一年(平成3) 正之助、死去。(享年九二歳)

一九九二年(平成4) 正之助、大阪市制定の「上方芸能人顕彰」に推挙され、大阪城内の大阪市博物館に、

せいの顕彰碑とともに正之助のレリーフが永久展示される。

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