それはいまから一年前。二〇〇九年のシーズンが始まる前のことでした。
ある人は「今季限りでの引退の可能性は?」と聞いてきます。
ある人は「マイナーに落とされたらどうするんですか?」と質問してきます。
そのとき、田口壮、満四十歳。自分で言うのは少々せつなくなりますが、たしかにスター選手ではありません。主役か脇役かの二者択一ならば、ぼくの野球人生は、まちがいなく脇役のそれだといってよいでしょう。
二〇〇八年、フィラデルフィア・フィリーズで二度目の世界一を経験したとはいえ、打席に立ったのは、わずか九一回。シーズン終了後、フィラデルフィア・フィリーズとの契約に延長のないことが決定し、所属チームがなかなか決まらなかったこともあって、マスコミからの取材に「田口、引退か?」のニュアンスがこめられるようになってきていました。
だからといって、スター選手ではない脇役の野球選手は、四十歳になったら、もれなく引退しなければいけないのでしょうか?
海を渡ってはじめてのマイナー契約を結んだ二〇〇九年。ぼくはシカゴ・カブスの下部組織である3Aアイオワ・カブスの一員として、新たなる野球人生のスタートを切ることとなっていました。
先述した「マイナーに落とされたらどうするんですか?」という質問は、三月までのキャンプ中に、一部のマスコミ関係者たちから受けたものです。この質問の裏側には、「マイナーに落ちたら野球人生の潮時、つまり引退だろう」という先入観が見え隠れしていました。
よく考えると不思議な質問です。でも、おそらくはだれもがそう聞きたくなる、野球人生のひとつの要所を迎えていたのでしょう。
しかし、ぼくの答えはシンプルでした。マイナーに落とされたらどうするか。決まっています。もう一度メジャーに上がれるよう、マイナーで野球と向き合うだけです。野球が好きなかぎり、野球がうまくなりたいかぎり、ぼくは現役でありつづけたいのです。
日本球界への復帰の可能性を聞いてくる方もいましたが、当時のぼくは、中途半端に日本へ戻ることは逆に失礼だと思っていました。ハクをつけるために渡米したのではないのだから、どんなことであれ、アメリカで吸収すべきものがあるうちは、この地にとどまって自分の糧にしたいと思っていたのです。
常日ごろからぼくが抱いていた思いは、最終的に、自分が学んだり経験できたりしたことを日本にすべて還元したいということ。ならば、マイナー契約は、これまでとは一〇〇パーセント違う経験ができるはずで、日本に持ち帰ることのできる財産のひとつ。そんな貴重な経験を逃す理由が、ぼくには見つからなかったのです。