娘が幼稚園に入ってはじめての夏休み、わたしは娘を連れて、海外に住む友人を訪ねることになった。
自分ひとりなら、身軽に出かけて現地調達で何とでもなるけれど、子供の身のまわりのものとなると万全の用意が必要。
気まぐれな天候や朝晩の気温差、さまざまなレジャーシーンや体調の変化などに対応できるように、運動靴にビーチサンダル、水着にベビー用の日焼け止め、上着にレインコート。
常備薬と体温計、肌にやさしいタオル、いざというときの食べ物やオムツなどなど……をぎっちりスーツケースに詰め込んだ。子供がいるだけで旅支度はこんなに慎重になるのかと、われながらあきれてしまった。
そんなとき、近所で同じ幼稚園に通う“ママ友”とバッタリ会った。わたしが、「子供とふたり分の荷造りは大変」とこぼしたら、彼女はニッコリして言った。
「うちなんか、三人分よ」
え? と意味がわからないわたしに、彼女はこう説明してくれた。
「ダンナはひとりで荷造りなんかできないもの。靴下がどこにあるかもわからないんだから。ひとりじゃお風呂にお湯も入れられないのよ」
それを聞いた瞬間、わたしはふたり分の荷造りで大変だなどと言っていた自分を反省すると同時に、“三人分”の荷造りをしなくていいことに得も言われぬ幸福感と解放感を味わった。
そして、彼女のようにニコニコ三人分(もしくは四人分も五人分も)の荷造りをこなす人は本当にすごい、これは立派な「主婦の才能」だと確信したのである。
わたしにはとても真似できない。自分のことがまだ自分でできない子供の世話をすることはできる。する責任も感じる。けれど「もう大人」の夫には「自分のことは自分でやってほしい」と思ってしまう。
穏やかな結婚生活を送るには、家の中のことが何もできない夫を見ても「この人は私がいなくてはダメなんだわ」と、ほのかな幸福感を得られるようでなくてはいけない。だからわたしはシングルマザーという生き方を選択した、というか、するしかなかったのだろう。
もちろん、“三人分”の荷造りをイヤだと思う人には主婦は務まらないかというと、そんなことはない。それなら自分の靴下をちゃんと探し出せる男を見つけるか、夫をそのように教育するか、「主婦の才能がない」ことを自覚したうえで家族の協力を得るのがいい。
いちばんよくないのは、不満や文句を口にしながら不機嫌に三人分の荷造りをし続けることではないのだ。