『「安らぎ」と「焦り」の心理(大和出版)』
[著]加藤諦三
[発行]PHP研究所
デモステネス伝説への疑問
私は劣等感について世上いわれることで、どうしても納得できないことがある。たとえば、昔から偉人といわれる人のなかには、かえって何かのひけ目をもっていた人が多かったということである。そして必ずといっていいほど、そうした例として出されてくるのはデモステネスである。彼は口が不自由であった。しかしそのひけ目があったからこそ、その劣等感を克服せんとして人一倍努力し、ついに大雄弁家となった、というのである。
たしかに劣等感とは自我が傷ついたことであり、その傷ついた自我を何とかして回復しようとするのが人間であろう。途中であきらめる人もいるし、デモステネスのように頑張って大雄弁家になる人もいる。
だが、ここでデモステネスについて歴史に書かれてあることを、もう一度ふりかえってみよう。いくつかのギリシャ文明史の本を読んでみると、だいたい次のように書かれている。
彼は自分の流暢に話せないくせと、Rの発音がうまくできない先天的な欠陥を克服するために、小石を口に入れて発音したり、海岸で波音にさからって大声をあげたり、山をかけのぼりながらホメロスの詩を朗誦するという、血のにじむ練習をかさねて、ついに雄弁家としてきこえるようになったという。