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(2021/11/26 追記)

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全国「一の宮」徹底ガイド
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1…山城国/京都府

『全国「一の宮」徹底ガイド』
[著]恵美嘉樹 [発行]PHP研究所


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◆京都千二百年の歴史を守護した最強の神


〓()()(わけ)(いかづち)(上賀茂)神社

()()(わけ)(いかづちの)(おお)(かみ)

〓()()()(おや)(下鴨)神社

()()(たけ)(つぬ)(みの)(みこと)

(たま)(より)(ひめの)(みこと)



◆所在地とアクセス

〓京都府京都市北区上賀茂本山


 JR京都駅より市バス(9系統)


 ホームページ…あり

〓京都府京都市左京区下鴨泉川町


 京阪鴨東線・出町柳駅、叡山電鉄・出町柳駅下車、徒歩8分


 ホームページ…あり




〓都の鬼門を守る風水装置


 京都の一の宮は二つある。ほかの国で一の宮が二つある場合は、たいてい自分が地域で一番だと主張し、互いに譲らなかった結果だが、山城の二つの賀茂社はそもそもセットで一の宮として考えられている。


 京都の東側を南北に流れる賀茂川の上流と下流に位置する一の宮は、別名、上賀茂神社(()()(わけ)(いかづち)神社)と下鴨神社(()()()(おや)神社)とよばれている。


 意外なことに、賀茂の神は古くから山城の地にいる神ではなく、七九四年に、京都(平安京)へ遷都した際に新しい都を守る装置として設けられた神らしい。もっともそれからすでに千年以上経過しているのだから、もはや地の神といってなんの差し支えもないのだが。


 京都は風水の思想で設計されていることはよく知られているが、賀茂社(下鴨神社)の位置はその都市設計によって鬼門(北東)を守るように配置されている。精神的な面で都の防御を考えたときに、奈良の平城京を守る装置は東大寺の大仏と春日(かすが)大社が中心となったが、京都ではさらに厳重な守りが敷かれた。


 鬼門の一番外側、いわば外堀となっているのが()(えい)(ざん)だ。エリート僧の(さい)(ちよう)が留学先の中国から帰国し、天台宗比叡山(えん)(りやく)()を開いた。密教という当時の最新の仏教によって都の外郭を守ろうとしたのだ。そして、さらに内側には当時の日本で最強と考えられた神たちを集結させた。それが賀茂社なのだ。京都は千年もの間、都として続いたのだから、この仏教と(しん)(とう)の二重の防御網が鉄壁であったことを歴史は証明している。


〓日本最強の神の集結


 祭神であるタケツヌミ、タマヨリ姫、ワケイカヅチの三柱の関係は、祖父、子供、孫となる。伝承などで彼ら三代の動きをみると、都の東西南北から有力な神を集めてきたことが浮かびあがる。


 タケツヌミは(じん)()東征で九州から大和(やまと)へやってきた天皇軍の先鋒だった。サッカー日本代表のエンブレムでもおなじみのヤタノカラス(八咫烏)となって神武天皇の一行を先導し、ヤマト王権成立の立役者となった。その後、奈良と大阪の間にある(かつら)()地域(奈良県葛城市など)に拠点を置いた。つまり京都からみて南を守る神だった。


 タケツヌミは、丹波のイカコヤ姫と結婚する。日本海に面する丹波の姫とはすなわち都の北の女神といえる。


 二神から生まれたのがタマヨリ姫だ。彼女は普通、九州から東征した神武天皇の母で天皇家の祖先神としてまつられることが多いが、その本質は九州の海神(わたつみ)である。つまり西を守る女神だ。


 そして、タマヨリ姫が川から流れてきた矢(その実体は天の神)によって妊娠し、生まれたのが最後のワケイカヅチだが、この神はどうやら、国譲りのときに最後まで反抗する出雲(いずも)神タケミナカタ(信濃(しなの)国一の宮・()()大社の祭神)を遠く信濃にまで追いつめたタケミカヅチと性質(雷)が共通する。つまり東を鎮静することを意識されていた神といえる。


 神社に伝わる()()(えん)()によれば、上賀茂神社の北北西にある(こう)(やま)がもともとのご神体で、飛鳥時代の六七八年に現在の上賀茂神社がある場所に(よう)(はい)(じよ)ができた。それが、平安京をつくった(かん)()天皇のときに本格的な神社へと整備されたといわれている。もともと地元の山をまつる神社だったが、国家をあげて帝都の守護として昇華させていったのだろう。

「京都の三大祭り」として知られる両賀茂社が行う五月十五日の(あおい)祭では、平安朝の着物や乗り物など総勢五百人が京都御所から下鴨神社、上賀茂神社へと練り歩き、平安時代の王朝絵巻が再現される。京都の祭りの中でも()(さか)神社の〓()(おん)祭に並ぶ有名な祭りだ。葵祭は正式名称が(ちよく)(さい)(天皇直々の祭り)賀茂祭ということからもわかるように公的なものだった。平安時代には「まつり」といえばすなわち葵祭を意味したという。いまではどちらかというと〓園祭のほうが有名だが、こちらは都市住民たちが疫病の退散を願うことから始まった庶民の祭りだ。


 対照的な二つの祭りがどちらも隆盛をたもっていることこそ、京都らしさといえよう。天皇や貴族のためだけの都市ならば、これほど長くは続かなかったはずだ。伝統を生かしながらも、広く庶民の力を融合し、共存することが京都千二百年の歴史を作り上げていったのだ。


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