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カウンセリング心理学入門
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生き方・教養
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2 教育――子どもの心を育てる

『カウンセリング心理学入門』
[著]國分康孝 [発行]PHP研究所


読了目安時間:25分
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 心を育てるとは何か。なぜこれが今、学校教育のトピックになっているのか。具体的にどうすれば心は育つのか。この三つの問いにカウンセリング心理学の立場から答えるのが本項のねらいである。この場合、話が抽象的にならないために、いじめを素材にしようと思う。


 数年前(一九九六年頃)、私の教え子に道徳教育について執筆を依頼したところ「先生、今は道徳教育と言うよりも心の教育と言う方が多いのです」と教えられた。それが機縁で、心の教育なら私の専攻してきたカウンセリング心理学にぴったりのテーマであることを意識するようになった。


 拙著『範は陸幼にあり』(講談社)は、十四歳のときに私が受けた心の教育をカウンセリング心理学の観点から整理し意味づけた本である。この路線にそいつつも、本書ではやや理論的に心の教育を考察しようと思う。



 心を育てるとは何か


 心理学者は心ということばは使いたがらない。心は漠としてとらえどころがないので測定しにくいからである。思考や感情、行動というのは心より具象的だから測定の対象になる。そこで思考・感情・行動を総称して「反応(レスポンス)」といっている。日常語でいう「心」とは、心理学でいう「反応」のことである。


 したがって、心を育てるとは反応の仕方を学習させるという意味である。友人をからかっている小学生は「相手はいじめられていると感じているかもしれない」とは考えが及ばない。すなわち相手の身になるという反応がとれないのである。それゆえ教師が「○○君は君にいじめられていると誤解して、明日から学校に来るのがいやだと思うかもしれないよ」と反応(思考)の仕方を教える必要がある。


 人間にはよくなる力が内にひそんでいるから、ああせよ、こうせよと教えなくても成長するという思想もあるが(来談者中心療法(*1))、ああせよ、こうせよと条件づけしていかないと反応の仕方は豊かにならないという主張もある(行動カウンセリング)。


 戦後の日本の教育は児童中心主義に偏向したので(ああせよ、こうせよと反応の仕方を教わらないまま大人になったので)、心の乏しい人間がふえたのではないかと愚考している。「反応の仕方を教えることは権威主義である」とのイラショナル・ビリーフ(*1)が心の貧しい人間をつくってしまったといいたいのである。心が貧しいとは反応の仕方がワンパターンということである。


 たとえば誰が死去しても同じ弔電を打つ人が心貧しき人である。恩師の死に対しても団地の碁仲間の死に対しても反応が同じというのは、複数の反応(心の豊かさ)を学習してこなかったということである。つまり、いじめられている子を見ているときも、犬と犬が吠え合っているのを見ているときも、反応(感情)は同じということである。


 心の教育とはそれゆえに、複数の思考・複数の感情・複数の行動を学習させることであると、まず結論づけたい。


 しかし、それだけではない。思考・感情・行動の三つが三点セットになっているかどうか。これが心の教育の第二のポイントである。

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