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『論語』などというのは、このごろの若い人たちには、あまり馴染みのないことばかも知れない。
もうだいぶ前になるが、昭和四十一年の二月、朝日ビールの山本為三郎社長が亡くなられた時、その遺愛の品々というのをお聞きしたことがある。いくつかの日用品の外に一冊の手帖と二冊の小型本が手アカにまみれていたというのである。
手帖というのは、消息通の間では有名な“山本メモ”で、戦後の政財界の機密が、日付けと固有名詞を入れて丹念に綴られている。それがもし公表されたならば、政財界に大きな衝撃を与えたことであろう、いや、ひょっとすると、内閣は……とまでうわさされたものだったが、幸か不幸か手帖に書かれた文字はまったく山本さんでなければ判読できないような文字で綴られていた。で、関係者は思わずホッとしたというはなしが、当時、ささやかれたものである。
二冊の袖珍本というのは芥川龍之介の『侏儒の言葉』と矢野恒太氏編の『ポケット論語』であった。その二冊のことを関係者の方からお聞きした時、私は山本さんにひどく人間的な親しみを感じたことを覚えている。
山本さんは、劇作家飯沢匡氏によると“リッチな人”であった。まさに大旦那で、何よりも、知人にごち走することをホビイ(楽しみ)とされていた。