いつか山中節をおぼえたいものだと思っていた。それがつい最近、三十三年ぶりで、年来の望みを果すことができた。
あれは、昭和二十二年のたぶん秋口じゃなかったかと思う。当時、私は『週刊朝日』のデスクをつとめていた。雑誌に東大辰野隆博士の連載対談『忘れ得ぬことども』が連載され、これがひどくうけていた。出版局長は嘉治隆一氏であった。(ひとつ辰野先生のご慰労をかねて、関西へ行こうや)ということになった。
昼飯を宝

で食べることになった。お客様は神戸の詩人竹中郁氏と辰野博士で、こちらは嘉治さん、大阪出版局次長の西村熊市氏と編集長の川村雄氏それに私の四人だったと思う。