私が業界紙を発行している出版社を退職し、今の会社を興したのは、昭和62年(1987年)の正月明けのことでした。
当時、私は29歳。前途は洋々かのように思えましたが、スタート早々からピンチに見舞われてしまいました。
いっぱしに事務所をかまえたものの、仕事らしい仕事がほとんどなかったのです。
それまで、私は業界紙の編集長として、そこそこ頑張ってきたという自負がありました。
広告営業でもそれなりの成績をあげることができ、クライアントに熱心に足を運べば運ぶほど、「あなたの熱意には負けた。広告を出しましょう」というポジティブな反応が返ってきました。
だから、「独立しても、この調子で頑張れば何とかなる」という一種のうぬぼれがあったのです。
しかし、自分で商売を始めてみて真っ先に感じたことは、自分自身の甘さと「世間はやっぱり冷たかった」という思いでした。
というのも、業界紙時代にお世話になったクライアントに、「このたび、私は独立しました。これからもよろしくお願いします」と、新しい名刺を配りながら挨拶まわりをしても、大半の人たちは「ああ、そうなの」という程度の無愛想でつっけんどんな応対しかしてくれなかったからです。
「オレは過去の実績にあぐらをかいていたのかもしれない。これからは、サラリーマン時代の実績は通用しないと思ったほうがいい」
そのことを思い知らされた私は、創業2か月目にして早くも崖っぷちに立たされてしまいました。
そして、精神的にも経済的にもかなり行き詰まり、「もう、後がない」という気持ちがそうさせたのでしょう。
業界紙にいたとき、よく広告のおつきあいをしてくれたある公園施設メーカーの社長に面会を求めるやいなや、いきなり土下座し、こんな言葉を口にしてしまったのです。
「脱サラしたものの、仕事が全然ありません。お願いです。何でもいいから、私に仕事をください。もう、本当に後がないんです。やばいんです」
すると、ここで〈奇跡〉が起こりました。
最初のうちは、唐突な私の言動に度肝を抜かれたようでしたが、私が事のいきさつを話し終える頃になると、その社長は苦笑し始め、驚くことにこういってくださったのです。
「おたくみたいな人は見たことがない。それならば、今、進行しようとしている仕事をお願いしましょう」
なんと、総合カタログの制作を発注してくださったのです。
それも、こちらの事情を察してか、前金まで支払うというではありませんか。信用も実績もまるでないにもかかわらず……。
こうして、私は危機一髪の大ピンチから逃れることができ、この仕事で大きな実績を作ることができたのです。
そして、これが縁で、その社長はことあるたびに私に仕事を依頼してくださるようになったのです。
それにしても、そこの社長は、信用も実績もない私にどうして仕事を発注してくださったのでしょう。
実は後になってわかった話ですが、私のあのひと言で「倉林さんらしさを感じた」「この人の本性がよくわかった」というのです。
言い替えると、私に対して本気を感じ、「この男は信用できる。こいつのために何とかしてやろう」という気持ちになったらしいのです。
人は格好をつけたり取り繕う人間よりも、丸裸になった人間に共感を示す。
ウソ・偽りのない自分をさらけ出すことで、相手に誠実な印象を与えることができる。
このことを、この一件を通して、私はまざまざと思い知らされたのでした。