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超老人のすすめ
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生き方・教養
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はじめに

『超老人のすすめ』
[著]広瀬立成 [発行]PHP研究所


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はじめに――超老人は二一世紀を切り開く

 二一世紀の日本は高齢者の世紀といわれます。高齢者とよぶ六五歳以上の人口は、二〇〇〇年には二二〇〇万人で、六人に一人が高齢者です。また、二〇二〇年になると、さらに一〇〇〇万人の増加が予測され、四人に一人が高齢者となります。

 一方、二〇〇二年の日本人の寿命は、男七八・一歳、女八四・九歳で、文字通り日本は世界一の長寿国になりました。このような数字を見たとき、これからの日本は、良くも悪くも高齢者のあり方に大きく依存することがわかります。やや過激ないい方を許していただくなら、日本の近未来は高齢者の手中にあり、ということができるでしょう。

 では、日本の高齢者は、自分の人生に誇りをもって生きているのでしょうか? 高齢者は、本当に日本の将来を任せられるだけの活力をもち、若い世代からの信頼を得ているのでしょうか? 高齢者が四分の一(三三〇〇万人)という時代が来れば、好むと好まざるとにかかわらず、まわりの高齢者の生き方が目に入ります。そんなとき、若い人たちが、高齢者を見て、あんなふうに年齢を重ねたいと思ってくれるでしょうか?

 このような高齢化社会の到来の中で、「超老人」とよぶ新人類が登場します。超老人は、年齢が高いということよりも、むしろこれからの社会において、個性と活力にあふれる大人たちに与えられた名称です。超老人が目ざすものは、「野性と気品」です。この二つの性質が、これからの高齢者にとって――もっと一般的に大人にとって――必要欠くべからざるものであることは、私の長年にわたる若者との交流の中から得られたものです。

 この二つの要求は、一見矛盾するように思われるかもしれませんが、決してそうではありません。これまで人間は、野生動物の生存競争における死闘などを観察し、野性が野蛮で粗野なものと決めつけてきましたが、はたしてそうでしょうか?

 野性をどのように理解するかは、本書の中で詳しくのべましたが、一口でいえば、自然との共生、自然の摂理を重視する生き方です。超老人は、野生動物がそうであるように、健康なからだを基礎として活力ある前向きの生活を目ざします。これまで人間は、自らを知的生物として自然界の最上位に位置づけ、自然の征服に邁進(まいしん)してきました。しかし、知性のひとり歩きがいかに危険なものであるかは、科学技術の乱用による地球環境の急速な破壊、繰り返される戦争、青少年犯罪の増加などを見れば明らかでしょう。これらの過ちはすべて、現実から遊離した、いわば「頭脳知」に過度に頼りすぎてきたことに原因があります。

 超老人がすすめる野性の生活とは、自然の中での身体活動から得られた「身体知」、あるいは「体験知」を重視した生き方にほかなりません。超老人は、海へ、山へ、川へと歩を進め、自然の息吹を感知しつつ自然の摂理を把握します。超老人はナチュラリストなのです。無理な理屈を連ねて主張を正当化する前に、からだが善悪の気配を感知します。あれこれ考え悩む前に、からだが動いてしまうのです。失敗したときは、それが成功の母と受け止め、新たな挑戦を目論見ます。

 超老人はこれまで人類が蓄積してきた知の遺産を貪欲(どんよく)に吸収します。世界の国々を訪れ、芸術・芸能、歴史、科学などを学ぶ中で知性を養うのです。やがてそれは、内なる野性と溶融しつつ個性ある気品をかもし出します。たくましさ、優しさ、知性、気品などが調和したとき、それはオーラとなってからだ全体から放射されます。

 これまで高齢者といえば、「人生のたそがれ」としての暗いイメージがつきまとっていました。人間は誰でも、程度の差はあるものの環境に左右されます。悪いことに、暗いイメージの高齢者像が社会全体に蔓延(まんえん)すると、高齢者は、自分は暗くなければならないという強制観念に束縛され、どんどん暗い穴に落ち込んでいきます。

 人間は、年を重ねるから老いるのではなく、年寄りとして扱われることで()け込んでしまうのです。最近新聞に、「退職した後の高齢者は収穫の秋を迎える」という表現がありましたが、ここにも寂しい雰囲気を感じます。人生に春夏秋冬があり、いま秋を迎えているのなら、次は冬になり一年(一生)が終わるということになるからです。

 超老人は、これからの高齢者が、長い人生で身につけた身体知を基礎として、もっと積極的に新しい文化の担い手になるべし、と主張します。ここでも野性の発想が勇気を与えてくれます。野生動物は、死の直前までからだを動かし、食物を求めて新しい土地へと進出していきます。私たちも、高齢者だからといって、収穫の秋に甘んずることなく、たえず新しい苗を植え続けるべきではないでしょうか。老いに流されるのではなく、それを迎え撃つという気概がなければ、高齢者の世紀を魅力あるものにし、若者を鼓舞することなどとてもできる相談ではないでしょう。

 ここでお断りしておかなければならないことがあります。超老人は、私が理想とする二一世紀の老人像であり、私自身は、超老人を目ざして努力の途上にある人間だということです。ただ、少しばかり胸を張っていえることは、そのような努力を五〇代から続けてきたおかげで、少しずつ超老人に接近していることを実感できるようになった、ということです。

 もう一つ付け加えておきたいことは、超老人は、その人がどのような仕事に就いているのかとはまったく無関係だということです。あえていうならば、仕事に埋没することなく、それとは別に豊かな人間性を身につけた大人こそ、超老人の名にふさわしい人であるということです。仕事では一流の人でも超老人失格の人もいれば、仕事などなくても超老人にふさわしい人はいくらでもいます。超老人は、プロの職業人という特別な存在ではなく、多くの人々が目標として努力してもらいたい基本的な人間像です。

 人にはそれぞれ固有の生き方があります。つまり、一〇〇人集まれば一〇〇の違った超老人像があるのです。ここで提示した超老人は、そのような多様な可能性の一つにすぎません。本書が、新しい超老人の出現へのきっかけとなればそれにまさる喜びはありません。

 最後に、本書の出版にあたりお骨折りをいただいた出版部の金田幸康氏に、この場を借りてお礼申し上げます。


 平成一六年一月吉日
広瀬立成 
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