これまでわれわれは、「人間は知性をもった動物である」といいながら、自らが万物の霊長であることを誇らしげに主張してきた。とくに、ギリシャ時代から近代に至るまで、西洋の哲学者たちは、知性という名のもとに人間を特別な存在として位置づけ、自然を支配してきた。アリストテレスも、プラトンも、デカルトも。
ここで超老人は、このような知性優先の発想に「待った」をかける。なるほど、知性は人間がもつ特質であることに異存はない。だが、知性は頭脳の働きであるから、それを支えるからだなしには存在しえないことをしっかり認識すべきだ。
知性がからだを離れひとり歩きしたとき、それがいかに危険なものになるかは、知性の勝利ともいうべき科学技術の発達が、人間社会に対して、そして自然に対して、多くの破壊的行為を繰り返してきたことを見ればよくわかる。