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(2021/11/26 追記)

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ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか?
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エンタメ
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『ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか?』
[著]細田昌志 [発行]イースト・プレス


読了目安時間:6分
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 一一月で四六歳と、五〇代を目前にしながら未だ独身の筆者は、ある時期より、芸能人同士の結婚より、離婚に関心が向くようになった。


 趣味の悪い芸能ゴシップの影響と思われようが、それより、自身のこれまでの記憶が脳裏をよぎったのである。


 過去、筆者も人並みに、何人かの女性と交際をしてきた。が、そのいずれも、結婚に帰結することはなく別れを迎えた。その理由は様々で、愛想を尽かされたこともあれば、派手な喧嘩をして決裂をしたこともある。お互いに、なんとなく連絡を取らなくなって、自然に……という事例もままあった。


 しかし──、

「別れにおいて、最も苦しいのは、どういったものだったか」


 そう自分自身に問いかけて、思い出したことがある。

「フラれること」


 より、

「フること」


 である。


 いや、もちろん、フラれることも苦しいし、つらい。それはまったく否定しない。すべてが嫌になる上に、生きていくことすら、むなしくなる。ある人は失恋を「船酔い」に喩えた。

「逃げ場のない苦しみ」


 という意味だ。とにかく、フラれることほど、惨めなものはないとさえ思う。


 しかし、フることは、フラれることにはない苦しみの原理を持つ。

「心の痛み」


 である。それは罪悪感と言い換えていい。


 フラれる場合は、被害者はこちらなのだから、罪悪感など感じようがない。


 しかし、フる側に立つと、心の中は罪悪感で占められる。これはこれで結構きつい。個人的な意見になるが、両方経験した筆者にとっては、

「フる苦しみ」


 の方がつらく感じた。心の中が惨めさで溢れるより、罪悪感で占められた方が苦しかった。死ぬほど苦しかった。


 想像してみてほしい。


 あなたに、最愛の恋人がいるとする。恋人は何一つ申し分ない。容姿も性格も。ただ、少し長く付き合っている。


 そこに、中村アンのような極上の美女が現れたとする。当然、こんな美女とうまくいくはずがないと、男なら誰もが思う。ただ、運がよければ仲良くなれるかもしれないくらいの、いささかの山っ気はある。


 そうしたら、実は向こうも、こちらに気があることが判った。さらに、その中村アン似の美女が、大胆にも接近してきたとすればどうなろうか。それもどうやら本気らしい。

「俺には最愛の恋人がいるからムリ」


 と言って、中村アン似の美女への想いを断ち切れる偉人も一定数はいるだろう。余程、恋人を愛しているに違いなく、それはそれで素晴らしい。


 しかし、断ち切れない凡人も一定数いる。

「二股でいいか」


 と言って、判りやすく逃げられるほど、男は(けい)(ちよう)()(はく)にできていない。無論、その手のタイプの男もいるにはいるのだが、そういう輩の場合、最初から答えは出ている。

「相手の気持ちがどうだろうと、とりあえず、遊んでみよう」


 という安直な答えだ。この手の人なら、そもそも悩まない。


 つまり──、ここで思い悩むのは、生真面目なタイプばかりなのである。「浮気」ではなく「本気」になってしまうタイプということだ。


 本気になった彼らは、最愛の恋人との別れを決断する。自ら打ち明ける以外の方法を、筆者は知らない。

「断腸の想い」


 とはよく言ったもので、それはやはり、嘘をつけない苦しさからくるのだ。結果的に心の中は罪悪感によって占められる。


 このように、フることによってもたらされる苦しみとは、この一連の流れから生み出された宿(しゆく)(しつ)のようなものだろう。


 右の事例は男性を対象に書いた。この話について女性は「理解できるタイプ」と「まったく理解できないタイプ」に分かれるかもしれない。

「私は理解できそうだな」


 と思った女性は、「男」と「女」の言葉を入れ換えて、さらに、「中村アン」を「綾野剛」にでも変換して想像してもらいたい。


 とにかく、フることも、フラれるのと同等に、いや、ある意味においてはそれ以上に、つらく、苦しいことなのだ。



 そこで、思い浮かんだのが、売れる前に支えてくれた妻、

「糟糠の妻」


 と離婚する一流ミュージシャンのことであった。彼らの存在は、女性の書き手にかかると、それはもう無惨な扱いとなる。

「女を裏切った恩知らず」


 という結論まで一直線に書き列ねられ、後には残骸すら残らない。


 しかし、男である筆者は、先に述べたような、彼らなりの苦悩だって間違いなくあったはずだと思った。それを知りたかったし、同性として理解すべきだとも思った。


 そこで、過去の週刊誌の記事や新聞記事、雑誌記事を収集して、状況を把握することをつとめた。あらゆる事情を深く知ろうと試みた。


 そうこうしているときに発生したのが、「ゲスの極み騒動」である。


 ここで多くのミュージシャンが、主にネット上において、またもや、過去を無防備に責めたてられた。すべての性別を確認したわけではないのだが、おそらく、その多くは女性の書き手だろうと思われた。


 筆者は、彼女たちを批判するつもりは毛頭ない。糟糠の妻に寄り添う感情は正しいと思うからだ。それが女性であれば、なおさらで、著述を生業とする以上、文章に感情や思惑が入るのは、ある意味において致し方ないと思う。


 しかし、それが「ノンフィクション」を謳う以上、それを志向する立場の書き手として、記述は正確でなければならないと考えてもいる。


 彼らミュージシャンたちの事例は、十把一絡げにされていいものではない。それぞれに事情が(ふく)(ざい)していることは知らされるべきで、女性の書き手と居並んで、叩く側に回ってはいけないとも思ったのだ。


 同時に、書かれる立場のミュージシャンにとって、それを穿(ほじく)り返されることの無情さについて、思い至らなかったわけではない。筆者自身の推測も含め、過去の記事やデータを厳選して抽出したつもりである。それらをどう解釈されるかは、読者の判断に任せたい。


 ただし、すべての責任が筆者にあることだけは、ここに述べておきたい。



 厄介この上ないテーマである本書を上梓できたのは、まぎれもなく、イースト・プレス社、藁谷浩一氏によるところが大きい。氏が『ゴング格闘技』編集部に在籍する頃より知る者としては、出会って二〇年目の今年、一緒に本を刊行できるとは思ってもみなかった。その多大なる尽力に、この場を借りて、深甚の謝意を表したい。


 そして、本書を購入して最後まで読んで下さったすべての読者の皆様に、心より御礼を申し上げます。


細田昌志

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